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	<title>コラム／祝祭芸術 &#8211; アーツカウンシルしずおか ARTS COUNCIL SHIZUOKA</title>
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	<description>静岡県文化プログラム「地域密着プログラム」の実績を生かし、文化芸術の力を活かした住民主体の活動を促進するため、文化プログラム推進委員会事務局を母体として、令和3年1月、公益財団法人静岡県文化財団内にアーツカウンシルを設置しました。</description>
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	<title>コラム／祝祭芸術 &#8211; アーツカウンシルしずおか ARTS COUNCIL SHIZUOKA</title>
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		<title>郷土芸能は驚くべき総合芸術　～寺野のひょんどり 川名のひょんどり～</title>
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		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 Jan 2026 05:15:57 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[見ているだけで凍える水垢離 正月の4日、あたりが暗くなると、小学校高学年の少年たち6人がやってきて、堂内を練り歩く。 ここは、浜松市は引佐町川名の福満寺薬師堂である。 石段の上に建つこのお堂の左手には伊豆神社が並び、両者は本来一体のものだっ]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wpp_ttl_t3"><strong>見ているだけで凍える水垢離</strong></h3>



<p>正月の4日、あたりが暗くなると、小学校高学年の少年たち6人がやってきて、堂内を練り歩く。</p>



<p>ここは、浜松市は引佐町川名の福満寺薬師堂である。</p>



<p>石段の上に建つこのお堂の左手には伊豆神社が並び、両者は本来一体のものだったはず。<br>神社と寺が分離された今でも、「川名のひょんどり」と呼ばれるこの日の祭事は、薬師堂が主たる舞台だが、寄進などの受付は伊豆神社で行われる。<br>神仏習合が本来の姿なのだ。</p>



<p>さて、「若者練り」に続いて、長老に先導されて、少年たちはステテコ姿でお堂から出てくるが、先導の長老の足元が危うく、提灯の火が消え再点火して、やっと段を降りられる。</p>



<p>長老と違って元気に下りてきた少年たちは、水垢離をするために川名川まで歩く。</p>



<p>お堂の下の広場には焚火もあり、甘酒などもふるまわれるが、200メートルとはいえ、いやはや、見ているだけでも寒い。<br>それでもよく考えられていることには、少年たちの周囲を法被姿の年長の若者十名ほどが囲み、掛け声をかけて押し競まんじゅうのようにして回りながら歩くのである。<br>こうした細やかな工夫の積み重ねが、祭祀の伝承を成り立たせている。</p>



<p>川名川の空には、三日月と宵の明星が大きく見える。</p>



<p>そうして少年たちは川で水垢離をするが、水を掛け合ったりしていて、やはり見ているだけで凍えそうである。<br>再び、押し競まんじゅうでお堂まで戻ってくる。　この間45分位か。</p>



<p>少年たちは堂内で再び練りをしていると、頃合いを見て松明をもった八巻白装束に赤い襷掛け紋付の人が数名を従えて現れて、今度は火との攻防になる。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img width="900" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11202" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：松明到着.jpg 1920w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /><figcaption>松明到着</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p><br>松明を振り回し中に押し入ろうとするのを、少年たちが阻止し、その勇壮な攻防が15分ほど続く。<br>ついに松明は道内に運び入れられるが、若者がこれを踏みつけたたき消して一段落。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1126" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-1126x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11201" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-1126x1200.jpg 1126w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-751x800.jpg 751w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-768x818.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-1442x1536.jpg 1442w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-1922x2048.jpg 1922w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：少年たちと松明の攻防-225x240.jpg 225w" sizes="(max-width: 1126px) 100vw, 1126px" /><figcaption>少年たちと松明の攻防</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wpp_ttl_t3"><strong>巫女舞こそ民俗芸能伝承の秘訣</strong></h3>



<p>祭祀はまだ続いているのだが、ここで巫女舞にふれておこう。</p>



<p>「川名のひょんどり」では、水垢離の後の火の攻防に続いて、やがてお堂では次々と神楽が舞われる。<br>これは主として大人たちの仕事だが、その中に、着飾った少女二人による舞も含まれている。</p>



<p>この巫女舞は元はなかったものだろう。女の子も参加したい、という希望を入れていつか加わった舞に違いない。</p>



<p>川名だけではなく、じつは前日の1月3日には同じ引佐地域ではあるが、さらに山間部の「寺野のひょんどり」も拝見したが、ここでも三人の巫女舞が披露された。お囃子にも女子が参加している。</p>



<p>この傾向は、実に全国各地に広がっていて、たとえば、宮崎県の椎葉村の神楽でも、男の子も女の子も、子どもが中心に踊る番組が組まれていた。<br>また、岩手県洋野町の「瀧澤鶏舞（たきさわけいまい）」や、同じく岩手県岩泉町の「救沢念仏剣舞（すくいざわねんぶつけんばい）」は、いずれも刀を振り回す勇壮な舞だが、舞手の圧倒的多数は女性によって占められていた。</p>



<p>中学生や小学校も高学年の女子の舞を、年少の少女たちが食い入るように見ている場面は、全国各地で見られることで、巫女舞に端を発した女性参画こそが、郷土芸能の継承に不可欠のようにみえる。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wpp_ttl_t3"><strong>焼畑農耕文化の利点</strong></h3>



<p> 同じ中山間地域でも、川名にはいくらか水田もあり、神楽舞の中には、大きな注連縄を左肩に担う「片稲叢の舞」と、同じく注連縄を両肩に担う「両稲叢の舞」があり、稲作が生業の中に明確に組み込まれていることがわかる。</p>



<p>寺野の方は、水田らしきものは全く見られず、集落も山の斜面に張り付くように形成されており、この日の見物客のために確保された駐車場も、斜面にジグザグに走る道路の傍らにかろうじて駐車できるスペースを区画したもので、おなじく「ひょんどり」の集落とはいえ、明らかに生業が違って見える。</p>



<p>平成５年に引佐町が発行した資料によると、寺野は「山岳斜面に展開する44軒からなる山地集落で焼畑を含む畑作農耕と林業を生業として古くは紙漉き、降っては養蚕を余業としてきたが、現今は茶樹栽培が基幹産業をなしている」という。</p>



<p>さらに宝暦四年の文書によるとして引用されたものには「畑作の作物は初年は粟、二年目稗、三年目芋、四年目大豆、五年目小豆、六年目荏胡麻」の「複雑な輪作形態をとっており、かつては焼畑農耕文化の濃厚な地域であった」という。<br>さらに、イノシシの害獣対策として狩猟も行われたという。</p>



<p>米作こそが農業の根幹であるとする、いわば米本位制のもと、焼畑を経験したことのない我々には理解しにくいことながら、焼畑は列島中のどこででも見られたことで、実は焼畑農耕文化こそが普遍的な生業の在り方だったのだ。</p>



<p>寺野の神楽舞には、川名のように稲作を示すものはなく、「粟穂の舞」があることから、宝暦4年文書に示されている通り、焼畑農耕の重要な作物である粟の作付けがあったことが伺える。</p>



<p>焼畑農耕の最大の利点は、いくつかの焼畑を同時に経営していると、輪作により常に複数の穀類を栽培していることになり、どれかが不作でも、別の作物が取れるので、飢饉を免れることにある。</p>



<p>これが、米単一のモノカルチャーと違う、マルチカルチャーとしての焼畑農耕の最大の利点である。</p>



<p>利点はさらにあり、15年ほど山林として再生させた山の小灌木を切り、焼き払った後に残る樹木の灰が肥料となるので、施肥が不要で、また、焼き払うことで雑草病害虫も死滅するので、その点でも安全性が高い。<br>米作に比べて実は労働生産性も高い。</p>



<p>かくして、高度経済成長期に、化学肥料、農薬、機械化の経済コストを強いられた米作中心の農業に比べて、いずれも必要としない焼畑農耕は、なかなかの優れものであった。</p>



<p>経済コストをかけなければならないモノカルチャーよりも、マルチカルチャーが、小さなコストで経済リスクを回避できる例である。</p>



<p>農業も文化も共通して多様性が重要なのだ。</p>



<p>そうした文化の名残を「寺野のひょんどり」は現代に伝えている。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wpp_ttl_t3"><strong>多種多様な神事や舞の集まった「ひょんどり</strong>」</h3>



<p>ところで、「ひょんどり」とは何か。</p>



<p>五穀豊穣などを祈念して寺院で行われる正月行事である修正会の一種で、遠州では、これを「おくない」と総称しているが、寺野と川名のものは、松明を振りかざす火踊から「ひょんどり」と呼ばれてきた。</p>



<p>「遠江のひょんどりとおくない」は、ここで紹介した寺野、川名と、さらには「懐山のおくない」をはじめ、「滝沢のおくない」、「神沢のおくない」などが知られている。</p>



<p>まず、１月３日の「寺野のひょんどり」の様子を紹介しよう。</p>



<p>静岡県文化財課の溝口氏のご案内で、静岡駅から車でたっぷり２時間半かけて旧引佐町寺野地区に到着。<br>海抜300メートル前後の山の斜面にしがみつくようにして人家が点在している。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="900" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11192" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：斜面の集落.jpg 1920w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /><figcaption>旧引佐町寺野地区、斜面の集落</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>杉木立に囲まれた寺野三日堂は、四間四方。<br>「直笛山」の扁額が掲げられており、直笛山宝蔵寺観音堂というらしい。</p>



<p>堂の前に少し広場となった平地があり、ここに仮囲いをして受付と屋台を設え、広場には50席くらいあるかイスも並べられて、最前列は「子供優先席」とある。</p>



<p>現地でまず目に飛び込んでくるのは、屋台の前、座席の後ろに設営された焚火で、いい天気にもかかわらず午後二時にしてすでに冷えこみ、焚火がまことにありがたい。</p>



<p>祭事に先立って、関係者が禊をするのだが、ここは、川名と違って、井戸の水を手に受けて清める。</p>



<p>お堂に向かって右手の石段の上に小さな祠があり、その前に数名が座し、脇に火を焚いて、神事が始まる。<br>これは、地主神と伝えられる「ガランさま」を祭るものだという。</p>



<p>石段の下に二本の真っすぐに伸びた杉が門柱のように立っていて、注連縄がかけ渡してある。</p>



<p>初めにある唱え事は、「神降ろしの詞章の唱和」だという。<br>笛と鉦、太鼓の音とともに、鈴と扇子を持って舞が始まる。「順の舞」である。</p>



<p>ところが驚くことに、二人目の舞「万歳楽」が始まったころ、お堂の方でも同時に、松明を手にした数名が時計周りに堂内を巡るのである。</p>



<p>これが、まさに「ひょんどり」であり、番組表示には「伽藍祭」とある。</p>



<p>祠の前では、三人の少女による巫女舞がはじまるが、お堂の方では松明の堂めぐりが続いている。<br>やがて堂の方から「火を持ってこい」と祠の方に声がかかる。<br>「火が遅い」などとも叫んでいる。総じて長老陣の仕事はもたつく場合が少なくない。</p>



<p>松明がお堂に到着すると、その松明をいきなりお堂の長押に打ち付ける。<br>激しく火花が散る。</p>



<p>これを合図に、お堂の内陣と外陣の境の戸が外され、祭り（おこない）が始まったことになるらしい。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1082" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-1082x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11194" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-1082x1200.jpg 1082w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-722x800.jpg 722w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-768x851.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-1385x1536.jpg 1385w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-1847x2048.jpg 1847w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野：松明を梁に打ち付ける-1-216x240.jpg 216w" sizes="(max-width: 1082px) 100vw, 1082px" /><figcaption>松明を梁に打ち付ける</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>松明とともに祠の前からはすべてを撤収し、後は本堂で祭事が進行する。</p>



<p>巫女舞から、禰宜、楽頭による「萬歳楽」、少年による「三ッ舞」、「片剣の舞並びにもどき」、「両剣の舞並びにもどき」と続いたところで、市長の挨拶、地区会長の挨拶がある。</p>



<p>祭礼はさらに続き、「火能の舞並びにもどき」、「矛の舞」、「粟穂の舞」、「杵の舞」、「女郎の舞並びに道化」、「翁並びにもどき」と、まじめな舞から滑稽な舞まで多様な舞が続く。</p>



<p>圧巻は、三匹の鬼が登場する勇壮な「鬼の舞並びに招き」。<br>松明の火を鬼がたたいて消すのだが、動きがみごとで、あたりに火の粉が飛び散って、日が暮れるにつれ陰陽の変化が美しい。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-11191" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/寺野＊火と格闘する鬼たち-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>火と格闘する鬼たち</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>そして招きに応じて獅子が登場して、鎮めの舞である「ねこざね」で完了する。</p>



<p>陽が落ちると一気に寒さが増してきて、体の芯まで冷える。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>翌1月4日に開催されるのが、冒頭で水垢離の様子を紹介した「川名のひょんどり」である。</p>



<p>川名川に向かって南面する緩やかな斜面に集落は展開している。山間の集落ではあるが、昨日の寺野よりは少しだけ平地がある。</p>



<p>会場は右手の石段の上に福満寺薬師堂、その左手に伊豆神社が並び、薬師堂には提灯がいくつか掛けられて準備が整っている。</p>



<p>受け付けは伊豆神社の方でされて、寄進するといたく感激され資料などをいただく。<br>幟は奉献瑠璃山薬師如来とあり、昭和五十七年のもの。</p>



<p>ここも社の前に焚火をして、屋台も出て五平餅、蕎麦などを振舞う。<br>甘酒をいただく。</p>



<figure class="wp-container-2 wp-block-gallery-1 wp-block-gallery has-nested-images columns-default is-cropped">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="929" height="1200" data-id="11198"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-929x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11198" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-929x1200.jpg 929w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-619x800.jpg 619w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-768x992.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-1189x1536.jpg 1189w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-1585x2048.jpg 1585w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で-186x240.jpg 186w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：受け付けは伊豆神社で.jpg 1981w" sizes="(max-width: 929px) 100vw, 929px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="960" height="1200" data-id="11199"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-960x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11199" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-960x1200.jpg 960w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-640x800.jpg 640w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-768x960.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-1228x1536.jpg 1228w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-1638x2048.jpg 1638w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で-192x240.jpg 192w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：神楽舞はお堂の方で.jpg 2047w" sizes="(max-width: 960px) 100vw, 960px" /></figure>
<figcaption class="blocks-gallery-caption">受け付けは伊豆神社で（写真左） ／ 神楽舞はお堂の方で</figcaption></figure>



<div style="height:10px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>掲げられた「ひょんどり式次第」によると、すでに十四時には六所神社で「シシウチ神事」が行われたらしい。<br>そうして、十八時に「若者練り・水垢離」がはじまるとあるが、その様子は冒頭に紹介したとおりである。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="579" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-1200x579.jpg" alt="" class="wp-image-11197" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-1200x579.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-800x386.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-768x371.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-1536x741.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-2048x988.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：式次第-360x174.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>「川名のひょんどり」式次第</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>この後屋台で蕎麦をいただいている間に、お堂では歌詠に続いて「禰宜の舞」がはじまっている。<br>次いで若連の舞が順に進行し、途中には巫女舞もある。</p>



<p>説明書きによると、「はらみの舞」の最中に、「小禰宜の者は静かに立ち上がってオブッコ宿に行き、一室に籠ってオブッコ作りを無言のうちに行う。<br>秘事となっていて小禰宜以外の者は知ることが出来ない」という。</p>



<p>すなわち、「川名のひょんどり」と総称されている一連の祭事の中には、当事者だけで行われる神事や、当事者以外知ることのできない秘事やらが含まれているのだ。</p>



<p>「片剣の舞」に続く「片稲叢の舞」と「両剣の舞」に続く「両稲叢の舞」は、ぞれぞれに大きな注連縄を左肩、そして両肩に掛けて舞う。<br>これに続けて獅子が舞う。</p>



<p>獅子舞の後は、渓雲寺住職と大禰宜が堂外に出て三十二本の御幣を円陣に立てる。円陣の中で火を焚き読経をして式が終わる。<br>これが伽藍鎮めである。</p>



<p>伽藍鎮めの後は役の者が堂に帰り田遊びをする。<br>再び説明書きによると、「田遊びが終わるころ、オブッコ宿の当主が口に香芝の葉をくわえて薬師堂に参詣に来る」。<br>白装束のオブッコはお堂の隅で、他の参会者には背を向けて薬師如来を拝し、なにやら唱え事をしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-11200" width="770" height="1026" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2026/01/川名：なぜか一人堂の隅で唱える.jpg 1920w" sizes="(max-width: 770px) 100vw, 770px" /><figcaption>なぜか一人 堂の隅で唱える</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>最後の最後に汁掛け飯が振舞われ、神と共食して祭礼が終わったのが10時ごろ。</p>



<p>寺野では広場に椅子が並べられていたが、川名の場合は、狭いお堂の中で行われる舞を見続けるには、壁に背をつけて立ち続けているしかない。<br>それでも、いろいろの振る舞いがあり、舞を見続けて、御幣をいただき、最後に神と共食までさせていただき、この体験の全体こそが郷土芸能の価値である。</p>



<p>まことにありがたくも稀有な体験であった。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wpp_ttl_t3"><strong>歌舞音曲こそ総合芸術の花</strong></h3>



<p>「川名のひょんどり」は、森町文化会館での「ふじのくに民俗芸能フェスティバル」でも紹介された（2025年12月）。<br>明るいステージ上の「両稲叢の舞」を客席から眺めるだけでは、立錐の余地がないような、あの暗いお堂の中での雰囲気は全く伝わらないかもしれない。</p>



<p>そもそも、郷土芸能の多くは見物客を想定していない。</p>



<p>たしかに、寺野でも川名でもそれぞれに何十人かの見物客はあるが、そのほとんどはそれぞれの村の出身者か、親類縁者であって、全くのよそ者は、私を含めて、ほんのわずかだったに違いない。</p>



<p>それは、こうした祭祀は、神仏に祈願するのが目的であって、神仏に見ていただく、つまり、祭祀の本来の見物人は神仏であって、つくり手である集落の人々が、この祭祀を楽しんだのは、まさに神仏の余慶としてであった。</p>



<p>郷土芸能の重要性は、専門家の創造と非専門家の鑑賞とが画然と分離している近現代の芸術文化と全く違って、祭りのつくり手は同時に祭りを楽しむという、創造と鑑賞が未分化なところにある。</p>



<p>それでも、芸術文化を専門としない多くの人々にとって、ただ鑑賞するしか方法はないと思い込んでいたのが、こうした郷土芸能に接することで、新たな可能性を発見する。</p>



<p>だからこそ、わずかの見物人であっても、祭祀の場に足を運ぶことが重要で、また、それすらもかなわぬ多くの都市住民にとっては、時に、文化会館のような文化施設であっても、できるだけ頻々と紹介されることが貴重なのだ。</p>



<p>地域社会の人々が、みなつくり手でもあり受け手にもなる郷土芸能の文化創造の形態は、実に、地域に根ざしたアートプロジェクトにも通じる。</p>



<p>だれもが表現にかかわりうる、あるいはだれもが表現者になりうる、そうした社会をめざそうと、アーツカウンシルしずおかは提唱している。<br>その実現の手法として、アーツカウンシルしずおかはアートプロジェクトを応援しているのである。</p>



<p>郷土芸能は、その手法を開発するためのヒントに満ちているといえるのではないだろうか。</p>



<p>さらに、郷土芸能には総合芸術としての重要な特色がある。</p>



<p>「ひょんどり」には、いくつもの舞があり、当然にも、鉦や太鼓笛などのお囃子が入る。いろいろと唱え事も交じる。<br>規模は小さくとも、歌舞伎やオペラなどの総合芸術の様相を呈しているのだ。<br>つまり、歌舞囃子などが混然一体となって演じられる。</p>



<p>歌舞音曲という言葉があるが、まさに郷土芸能は歌舞音曲の世界である。</p>



<p>音を伴う古今東西のあらゆる芸能活動では、実は、西洋音楽の代表選手のように提唱されているオーケストラなどの純粋器楽音楽は、例外中の例外的存在である。</p>



<p>ほとんどの音楽は、歌や踊を伴うのが通例である。にもかかわらず、音楽普及を使命とする多くの文化施設は、どうして、この例外的な純粋器楽曲に特化したがるのだろうか。</p>



<p>総合芸術としての歌舞音曲、あるいはアートプロジェクトとしての郷土芸能を、私たちはもっと高く評価して、応援していく必要があるのではないだろうか。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>見える富士、見えぬ富士　～三島満願芸術祭～</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol22/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 27 Nov 2024 06:21:01 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[三島で去年始まった「満願芸術祭」に、ビーズを編んだカーテンの作品が出ていた。 三島から見える雲のかかった富士を中心に、町並みと林が織り込まれている。白い雲、青と黒の山肌、緑の木々の中に朱や黄色が混じる。作者の辻梨絵子さんによると、色の違うビ]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>三島で去年始まった<a href="https://manganart.com/">「満願芸術祭」</a>に、ビーズを編んだカーテンの作品が出ていた。</p>



<p>三島から見える雲のかかった富士を中心に、町並みと林が織り込まれている。白い雲、青と黒の山肌、緑の木々の中に朱や黄色が混じる。<br>作者の辻梨絵子さんによると、色の違うビーズを選んで、一つ一つ糸に通すのに、何人もの人の手助けがあって、この美しい作品ができあがったのだという。<br>嬉しいことに、その作品が今年も展示されている。</p>



<p>三島ではありふれた景色を、様々な色のビーズを用意して、パズルのように糸を通してわざわざカーテンに仕上げるのはなぜだろうか。<br>おそらくこうした手間暇をかけることによって、実際にモノを見ることの難しさと、楽しさを改めて問うているのだろう。</p>



<p>この作品に出合って、その昔、やはり、ビーズを糸に編んで、簾（すだれ）というかカーテンとした作品に心が震えたのを思い出した。<br>それは、フェリックス・ゴンザレス＝トレスの作品で、現代美術の企画展示で見たのだが、思いがけずソウルでも、企業が設立した美術館で再会したことがある。</p>



<p>かき分けながら通り抜けるときの、何と表現したらいいのか、頼りなくも切ないような、しかし、かき分けるモノの確かな抵抗感があって、小さくとも確かな希望が見えるような、そういう感じだと言えようか。</p>



<p>　<em>面白や　どの橋からも　秋の不二</em></p>



<p>三島といえば、正岡子規はこんな句を詠んでいる。<br>富士の伏流水が湧き出す三島には、小川の流れに掛かるどの橋からも秋の富士が見える。<br>本当にどの橋からも見えたかどうかはともあれ、こう言いたくなるほどには、どこからでも富士が見えたのだ。</p>



<p>しかし、三島の人にとっては当たり前すぎる情景で、それをどうして子規は句にしたか。<br>これは芭蕉への挑戦だったかも知れない。</p>



<p>芭蕉は、箱根の関を越えて、三島に下ろうとしたとき、富士が見えなかったらしい。時雨が降って霧がかかっていたためである。<br>けれどもそれを芭蕉はあえて句に詠んだ。</p>



<p>　<em>霧しぐれ　富士を見ぬ日ぞ　面白き</em></p>



<p>こういう文学的修辞を近代人たる子規は理解しなかった。<br>富士は見えるから面白いのではないか。現に、三島に下れば、どこからでも富士は見える。<br>それで、この芭蕉の句に挑みかかる意気込みで、子規は先の句を詠んだ。<br>明らかに芭蕉に挑戦しているではないか。</p>



<p>まさに見たままを句にしたのは、「実際の有がままを写す」写生を提唱した正岡子規ならではのことだ。</p>



<p>そうではあるが、しかし、富士が見えるのを面白いと表現するのでは、あまりにも凡庸ではなかろうか。<br>文学としてどちらが優れているかという評価はさておいても、見えない富士を想像して、心中にはっきりと見て取ることこそが、表現としては面白いのではないか。</p>



<p>旧時代に対抗して、斬新な表現を開拓したはずの近代人の表現力が、随分薄っぺらになり、かえって陳腐に見えるのは、眼前にないものを想像する力を軽視したからではなかったか。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>芭蕉と子規の句を三島で比較することになったのは、現代のアートプロジェクトである「満願芸術祭」を見て歩いたおかげだ。</p>



<p>桜川沿いにいくつも文学碑が建てられていて、まさに、芭蕉の句と子規のそれが並んでいた。</p>



<p>これを建てた人の鋭い文学観に感服するが、眼前に見えるものの写生と、見えないものへの想像力と、文学の創造にはどちらも必要だろうが、どちらをより重視すべきかと、問うているようである。</p>



<p>ふと、乾武俊が千利休についていった言葉を思い出す。<br>「現実の否定をつうじて、よりアクチュアルな現実を照らし出すことがフィクションとしての茶の機能である」と。<br>この「茶」を「文学」あるいは「アート」に置き換えてみると、芭蕉の面白さ、アートプロジェクトの面白さの秘密が解けるのではないだろうか。</p>



<p>してみると、近代知識人のやったことなど、つまりは近代科学に親炙して写生とか実証とかいってみたが、フィクションを軽視した結果、現実以上に「アクチュアルな現実」など到底表現できなかったのではないか。</p>



<p>二人の句に限らず、三島は少なからぬ文学作品の舞台となっている。</p>



<p>「満願芸術祭」も実は文学作品がその名称の由来だという。</p>



<p>「満願」というのは、神仏への願いが、その期が満ちて成就することだが、太宰治が三島に滞在して『ロマネスク』という小説を書いた際、身辺の些事に触れた、ごく短い小説が『満願』である。<br>その主題は、庶民の小さな幸せの成就で、太宰はそうしたことに心配りをする人だった。</p>



<p>太宰は三島を主題にしては『老（アルテ）ハイデルベルヒ』という小説も書いていて、出生地の津軽と並んで、太宰文学にとって三島は重要な土地だった。</p>



<p>『ロマネスク』の結末では、それまで別々の人生だったはずの登場人物三人が一堂に会し、「いまにきっと私たちの天下が来る」と啖呵を切る。<br>「私たちは芸術家だ。王侯といえども恐れない。金銭もまた我らに於いて木葉の如く軽い。」</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>さて、彼らの思うような天下が来たかどうか、まだまだ道遠しではあるが、アートの面白さは、眼前に見えないものを想像力で創造することにある。</p>



<p>芸術家であろうがなかろうが、だれでも想像力を働かせる権利はある。</p>



<p>「満願芸術祭」のような地域に根差したアートプロジェクトが展開することは、県民全てが表現者となる状況が生み出されることだ。</p>



<p>だからみんなで「私たちは芸術家だ」と啖呵を切る世の中が来るであろうことを太宰は、この三島の地で予言したのである。<br>この予言こそ、県民全てが表現者だ、という我々の目標と重なり合うではないか。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>かくして、二年目の今年は「満願芸術祭」も広がりを見せ始めた。</p>



<p>佐野美術館庭園の隆泉苑や浅間神社にも小林万里子さんの作品が置かれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="901" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-1200x901.jpg" alt="" class="wp-image-9033" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-1200x901.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-800x601.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-768x577.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-1536x1153.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-2048x1538.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_033025602-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>浅間神社には豊かな色彩の鳳凰の羽ばたく姿があった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="901" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-1200x901.jpg" alt="" class="wp-image-9032" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-1200x901.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-800x601.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-768x577.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-1536x1153.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-2048x1538.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_053349128-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>文化の伝承の場に、新たな創造が加わる。<br>こうした新旧の出会いが、古い文化と新しい文化の双方に光を当てる。</p>



<div style="height:10px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>市中を縦横に流れる水路の一つ、源兵衛川のほとりには、水車のついたミニチュアの小屋がつくられている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1099" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-1099x1200.jpg" alt="" class="wp-image-9036" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-1099x1200.jpg 1099w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-733x800.jpg 733w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-768x838.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-1407x1536.jpg 1407w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-1876x2048.jpg 1876w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044113789-2-220x240.jpg 220w" sizes="(max-width: 1099px) 100vw, 1099px" /></figure>



<p>しゃがんで中を覗いてみると、小屋の壁には何と小さな作品が展示されている。<br>さながら、世界最小の美術館というべきか。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img loading="lazy" width="901" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-901x1200.jpg" alt="" class="wp-image-9037" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-901x1200.jpg 901w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-601x800.jpg 601w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-768x1023.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-1153x1536.jpg 1153w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-1538x2048.jpg 1538w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044154789.jpg 1922w" sizes="(max-width: 901px) 100vw, 901px" /></figure></div>


<div style="height:10px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>こうした作品を見て回ると喉が渇く。 その時は、カフェ「ラ・ペー」で喫茶はいかが。<br>水戸部春奈さんの「きおくのきろく」を眺めながら、お茶をいただく。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="901" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-901x1200.jpg" alt="" class="wp-image-9038" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-901x1200.jpg 901w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-601x800.jpg 601w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-768x1023.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-1153x1536.jpg 1153w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-1538x2048.jpg 1538w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/11/PXL_20241102_044800269.jpg 1922w" sizes="(max-width: 901px) 100vw, 901px" /></figure>



<p>アートプロジェクト見学は少々歩き疲れるが、目だけではなく喉も、そして心も潤うのである。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>「満願芸術祭」は、こうした試みを継続する中で、やがてアートプロジェクトのネットワークのハブとして重要な役割を果たすに違いない。</p>



<p></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>横尾歌舞伎－あこがれが生み出す伝承－</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol21/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 27 Aug 2024 06:00:24 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[子どもたちの三番叟に続いて演じられたのは白波五人男である。それが、お世辞にも上手いとはいえないのに、拍手喝采どころか、おひねりの花が盛んに舞台めがけて飛んで、大層ウケる。それはなぜか。その経緯を考えてみよう。 浜松市引佐にある開明座で演じら]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>子どもたちの三番叟に続いて演じられたのは白波五人男である。<br>それが、お世辞にも上手いとはいえないのに、拍手喝采どころか、おひねりの花が盛んに舞台めがけて飛んで、大層ウケる。<br>それはなぜか。その経緯を考えてみよう。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>浜松市引佐にある開明座で演じられたのは、横尾歌舞伎と呼ばれる地歌舞伎だ。<br>横尾歌舞伎の起源発祥は必ずしも定かではないという。伝存した台本や記録などから寛政年間には演じられていたことは確かで、少なくとも200年の歴史がある。</p>



<p>江戸時代は、今日考えられる以上に人の行き来が盛んで、都市に掛かる芝居を観た村人が興奮して伝えたか、あるいは地方巡業の芝居の一行が近隣に来て仮小屋掛けで興行したものを見たか。<br>いずれにしても、世にも面白いものを見てしまった以上、これを真似て、自ら演じたいと思うのは人情の自然であった。<br>村にも歌や踊りの上手がいたはずで、芸達者の一人二人もいれば、たちまち興奮のるつぼで、はじめは見様見真似から、やがて本格的な芝居に発展したであろう。</p>



<p>しかし、芝居を年中やっているわけにはいかない。<br>村には様々な生業があって、日ごろは骨身を惜しまず働く。働き者ほど、しかし、同時に人生を楽しむ術も要る。</p>



<p>芝居はその中でも最高の場であった。<br>歌あり、踊りあり、三味線やら太鼓の響き、きらびやかな衣装に、おどろおどろしくも滑稽な化粧、仮小屋の表には幟が並び、出店まで出る。<br>穢土を離れたこの世の極楽。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity is-style-default"/>



<p>公演の当日配布された保存会の資料によると、そもそも横尾歌舞伎についての最古の記録は、芝居を禁ずる御定書であるという。</p>



<p>寛政六年（1794）に、神事や盆中に狂言、あやつり、にわか等「決して致すまじきこと」とあるという。<br>その他の芸能と並んで、ここに「狂言」とあるのが歌舞伎で、それを禁じた通達が残っているのだ。<br>通達を出して禁じているのは、それ程にも歌舞伎や人形劇（あやつり）が盛んだった証拠である。神事にことよせて、あるいは盆の行事として歌舞伎芝居が行われていた。<br>　<br>そもそも、芝居をやり続けるために、若者たちが考え出したのが「神事」としての奉納芝居という仕掛けだった。<br>つまり、あくまでも神様に奉納するための神事としての芝居である。<br>ただの娯楽ではない。<br>だから、村の若者が青年会に入会すると、全員が歌舞伎をやらなければならなかったというのは、神事である以上、芝居をすることは氏子としての務めだからだ。</p>



<p>こうして大義名分を得て、芝居の当日はもちろん、その練習のためと称して、若者たちは公演直前だけでも公休である「遊び日」をおそらくは3日ほど獲得したはずである。<br>その遊び日を巡る駆け引きが、禁令にあらわれている。<br>若者は、年に一度ならず芝居をやりたい。しかし、村の経営を心配する長老たちは、自分たちが若いころあれほど芝居に狂っていたにもかかわらず、できるだけ日数を減らしたい。<br>放っておけば、若い者はどこまでもつけあがるだろう。だから禁令により落としどころを探ったのだ。　<br>江戸期の村の生業と休暇の研究をした専家の言うところでは、遊び日の平均は、年間に百日前後だったらしい。<br>だから、落としどころはおのずと決まったはずである。</p>



<p>そのようにして伝承されて今日に至った横尾歌舞伎である。<br>よそ者にどう映ろうが、当事者たちには面白くないはずがない。</p>



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<p>浜松市北区に位置する開明座、すなわち東四村農村コミュニティーセンターには、150人ほどの人が詰めかけ満員の盛況である。<br>まず、子どもたちによる三番叟。この下座音楽がすばらしい。</p>



<p>これに続いて、白波五人男。</p>



<figure class="wp-container-4 wp-block-gallery-3 wp-block-gallery has-nested-images columns-default is-cropped">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" data-id="8696"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-8696" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8644-1-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>子どもたちによる『三番叟』</figcaption></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" data-id="8697"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-8697" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_170953-2-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>『白波五人男』</figcaption></figure>
</figure>



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<p>私が開明座に公演を見に行ったのは、昨年の秋だった。<br>これに先立って、明治神宮で「日本の郷土芸能大祭」という催しがあり、実はそこで横尾歌舞伎のこの演目を見て、興味を持ち本場までやってきたのだ。<br>芸能大祭の方は、全日本郷土芸能協会の創立50周年記念の催しだったが、全国各地から様々な郷土芸能がやって来ていて、そこに選ばれたのだから、横尾歌舞伎の注目度はすごいのだ。<br>もっとも、岩手県早池峰（はやちね）の大償（おおつぐない）神楽、島根県の石見神楽などという、郷土芸能中でも特に洗練された出し物に囲まれて、横尾歌舞伎は少々緊張気味ではあった。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>開明座にもどると、冒頭にふれたように、あまり上手とは言えない出し物に、おひねりの花が飛ぶ。<br>特に子どもたちが喜んでいる。<br>これは子どもの演技をハラハラして見ている親たちの逆で、親の演技を、子どもたちがハラハラドキドキして見ていて、何とかやりおおせたのに安堵して、さらには誇りに思っているのだ。<br>　<br>これに続いて、絵本太功記から十段目の尼ケ崎閑居の場が演じられたが、これは立派に芝居になっていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="973" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-1200x973.jpg" alt="" class="wp-image-8699" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-1200x973.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-800x648.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-768x623.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-1536x1245.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-2048x1660.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/20231014_191254絵本太閤記-296x240.jpg 296w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



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<p>さらに何より感心したのは、その間奏に子どもたちによって弾かれた三味線の見事だったことだ。<br>中学生から小学校高学年くらいの子どもの演奏を、低学年の子どもたちが食い入るように見とれ聴き入っている。</p>



<p>そうか、わずかの年齢の差だが、この憧れ、自分もお姉ちゃん、お兄ちゃんのように弾きたい、という憧れが、郷土芸能の伝承を支えているのだ。</p>



<p>地歌舞伎の面白さは、時折台詞の中に今日では禁句とされている表現が混じるというところにもある。<br>黙阿弥などによる改変以前、さらにはGHQの検閲以前の台本が伝承され演じられているのだ。だとすると、江戸歌舞伎の研究には、地歌舞伎の台本研究が参考となる場合があるということか。<br>そういう研究もすでになされているのだろうが、横尾歌舞伎は奥が深い。<br>　<br>今年の秋も待ち遠しいことだ。</p>



<p>＊横尾歌舞伎2024年は、10月12日、13日に開催される予定。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8645-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-8693" width="649" height="485" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8645-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2024/08/IMG_8645-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 649px) 100vw, 649px" /></figure></div>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>アートプロジェクトと煎茶の縁</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol20/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Oct 2023 04:41:35 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[茶どころ駿河の国は、広沢虎造の「旅ゆけば駿河の国に茶の香り」だが、静岡となった今でも素晴らしい茶の産地だ。 その静岡駅の地下に茶を飲ませる店がある。喫茶をこよなく愛する者にとってありがたい場所だ。 茶と茶菓子を選ぶと、急須やお湯などが一式運]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
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<p>茶どころ駿河の国は、広沢虎造の<em>「旅ゆけば駿河の国に茶の香り」</em>だが、静岡となった今でも素晴らしい茶の産地だ。</p>



<p>その静岡駅の地下に茶を飲ませる店がある。<br>喫茶をこよなく愛する者にとってありがたい場所だ。</p>



<p>茶と茶菓子を選ぶと、急須やお湯などが一式運ばれてきて、小ぶりの湯飲みでまず一服。<br>至福の時だ。<br>それから和菓子もいただき、急須で二煎目の茶を頂く。<br>これもなかなかいける。</p>



<p>ひとつ不思議なことは、二煎目からの入れ方の説明があることだ。<br>小さな鉄瓶の湯を湯冷ましで冷ましてから入れるように、そして三服目は湯をそのまま注いでよろしい、という。<br>店の親切に不服はないが、こうした説明が必要なほど、煎茶はわが日本文化の日常ではなくなったということだろう。</p>



<p>沸騰させた湯を冷まして、急須を使って茶を入れて味わう人は今でも少なくないだろうが、圧倒的多数の人はこうした茶の飲み方をほとんどしなくなった。<br>だから日本人が日本人に茶の入れ方の説明をする必要が生じる。<br>　<br>わが幼小のみぎりを振り返ると、もちろん庶民も茶を常に飲んだが、大きな薬缶に茶葉を入れて煮出し、薬缶から直接茶碗に注いで大家族の用に供していた。<br>白湯よりよほどましだが、戦後の貧しい時代に、湯を冷まして急須に入れてなどなどの余裕はなかったのだろう。 急須を使うのは、客のあった時くらいだった。</p>



<p>煎茶の風がもともと根付いていなかったのか、あるいは戦中戦後の混乱期に忘れられたのか、いずれにしても煎茶は意外と日本文化の主流ではなかったのかもしれない、という疑いが生じる。</p>



<p>そうして、今度は高度経済成長期にインスタントコーヒーをありがたがる時代が到来し、ついにはカフェでもオフィスでもマシーンで入れたカフェラテを中心とするコーヒー喫茶文化が定着する。<br>一方でペットボトルのお茶を飲む。</p>



<p>これが今日の喫茶の主流で、急須で入れる日本茶などは化石化してしまったか。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-7099" width="793" height="595" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/茶の木＠盆栽美術館-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 793px) 100vw, 793px" /><figcaption>茶の木＠盆栽美術館</figcaption></figure></div>


<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>もちろん煎茶の習慣はあるところにはあった。</p>



<p>1950年代の日本について活写したフォスコ・マライーニは東海道の旅の途中に、偶然立ち寄った静岡市郊外の農家の縁側で茶をごちそうになった経験を記録している<sup>(注1)</sup>。</p>



<p>茶の歴史にも触れていて「日本では、茶は千年以上前から知られていた。それは、数世紀のあいだはほとんど普及せず、宮廷あるいは限られた一部の貴族や仏僧が珍重する飲み物にすぎなかった」という。</p>



<p>静岡近郊の田園は、手入れの行き届いた豊かな平野である。</p>



<p>「北側に山をいただき、南には海が迫る。したがって、日当たりがよく、かつうまく護られている。水田のあちこちに家が散らばっている。どの家の周囲にも庭があり、背が高く緑濃い垣根がめぐらされている」と、マライーニは書いている。</p>



<p>イタリア人の文化人類学者マライーニと友人は、そうした農家の縁側、つまりは「地面から五〇センチメートルほどの高さにしつらえられた小さなベランダの上に」しゃがんだ「皺だらけの老婆」に、「ちょっと休ませてください」と声をかけて歓待された。</p>



<p>茶碗や急須をいくつも使っては、次々とお茶を試飲して、玉露から番茶までを味わい、茶の歴史や選別について話を聞き、実に二時間もの間を過ごしたというのである。</p>



<p>これは茶どころのお茶農家であったればこそだが、しかし、こうした様々なお茶を生産する農家が存在したということは、これを消費する人々もいたということだ。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h4>煎茶の歴史</h4>



<p>そもそも煎茶はいつごろから始まったのだろうか。</p>



<p>手元に『煎茶手引之種』と題された小冊子がある。　</p>



<p>発行は天保十四年とあるので、江戸時代もだいぶ詰まってきた1843年ごろである。</p>



<p>内容は、中国でのお茶の起源から、日本への伝来、茶の名産地（駿河茶発祥の地である足久保も、芦久保として挙げられている）、茶道具、使う水、煎茶の方法はもちろん、茶菓子にまで触れていて、なるほど煎茶マニュアル本（手引き）に違いない。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-7095" width="683" height="512" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/マニュアル本『煎茶手引之種』-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 683px) 100vw, 683px" /><figcaption>マニュアル本『煎茶手引之種』</figcaption></figure></div>


<p>こうしたマニュアル本が売り出され活用されたということは、この本の手引きによって一般にも煎茶を楽しむ人々が増えてきたということだろう。<br>この本は結構売れたらしく、再刊もされており、珍しいものではない。</p>



<p>18世紀には製茶の方法も革新される。</p>



<p>宇治の永谷宗円が青製煎茶製法を開発し、静岡にも伝わってさらに改良されたというし、宗円は茶の販路を大消費地江戸に広げた。<br>そして、急須を考案したのは高芙蓉（こうふよう）だと江戸時代きっての博物学者であった木村蒹葭堂（けんかどう）が書いている<sup>(注2)</sup>。<br>宝暦六年のことだというから18世紀の半ばである。</p>



<p>つまりはそれまで急須で煎茶を入れることは喫茶の方法になかったことになる。</p>



<p>蒹葭堂は急須を「キビシヤウ」と表記している。<br>高芙蓉が考案し、それを池大雅に伝え、大雅が「上木し弘められし」という。<br>つまりは、大雅が急須を描いて版画に刷って宣伝チラシとして配布したのだろう。</p>



<p>高芙蓉は篆刻でも知られた画家である。 大雅は言わずもがなの大画家であり、蒹葭堂は大雅に弟子入りしている。<br>これらの人々は、みな文人と総称することができるだろう。</p>



<p>つまり、煎茶の普及は茶の製法を改革し販路を拡大した商人と、煎茶を仲立ちに交流した文人たちによって弘まったことになる。</p>



<p>そして、文人交友の要にいて、売茶翁（ばいさおう）という象徴的な名前で呼ばれ、黄檗山の僧侶から出て煎茶を売り歩いた詩人も永谷宗円を訪ねている<sup>(注3)</sup>。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-7097" width="861" height="646" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 861px) 100vw, 861px" /><figcaption>売茶翁、木村兼霞堂の名前が見える</figcaption></figure></div>


<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>蕪村や上田秋成を含めて、18世紀の文人たちは、俳諧、書画、漢詩などとともに煎茶を仲立ちにして交流を深めた。</p>



<p>幕末に至って、その交流は富岡鉄斎を支援した歌人の太田垣連月の手びねりによる水差、急須、茶碗などにも結実した。</p>



<p>こうして、マライーニが「数世紀のあいだはほとんど普及せず、宮廷あるいは限られた一部の貴族や仏僧が珍重する飲み物にすぎなかった」という茶は、煎茶とともに庶民にも普及していった。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h4>アートプロジェクトには喫茶が不可欠</h4>



<p>煎茶は文化の交流の仲立ちをした。</p>



<p>もちろん抹茶よりもはるか以前から茶は堂上方に嗜まれてその文化の仲立ちをしたが、抹茶は庶民文化の仲立ちをした。</p>



<p>だから、アートプロジェクトを推進する上で、創造と交流の拠点としてカフェの重要性を我々は提唱してきた。</p>



<p>全国各地で展開されているアートプロジェクトでカフェ機能を備えているものも増えてきた。</p>



<p>県下では<a href="https://www.chaennale.jp/2021/">「かけがわ茶エンナーレ」</a>という、まさに茶どころだからこその、象徴的なアートプロジェクトも開催されている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/20211016_134742-900x1200-1.jpg" alt="" class="wp-image-7096" width="578" height="771" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/20211016_134742-900x1200-1.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/20211016_134742-900x1200-1-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/20211016_134742-900x1200-1-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/10/20211016_134742-900x1200-1-180x240.jpg 180w" sizes="(max-width: 578px) 100vw, 578px" /><figcaption>「かけがわ茶エンナーレ2020＋1」展示作品　『ジッパー５』（北川純）</figcaption></figure></div>


<p>喫茶がコミュニケーションを仲立ちするとしたら、まさに喫茶こそは祝祭芸術の代表だということもできる。</p>



<p>静岡では特に煎茶を中心としたカフェが必須ではないだろうか。</p>



<p>そうして、マライーニが農家の縁側で味わった交流を追体験し、地域社会創造の糧としたいものである。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity is-style-dots"/>



<p>注１）フォスコ・マライーニ『随筆日本－イタリア人の見た昭和の日本』（岡田温司ほか訳、松籟社、2009）<br>注２）木村蒹葭堂『『蒹葭堂雑録』（『日本随筆大成 第一期 第14巻』吉川弘文館、2007年所収）<br>注３）ノーマン・ワデル『売茶翁の生涯』（樋口章信訳、思文閣、2016年）</p>



<p></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「ジュリアおたあ」の手紙（駿河と萩）</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol19/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 23 Aug 2023 07:56:28 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[家康が大御所となって駿府に移ってから二年、その大御所の駿府城から、遠く毛利氏の居城がある萩へ手紙を送った者がいる。 今回の主人公「ジュリアおたあ」である。 手紙を受け取った者の末裔は、これを大切に保存し、近年地元の博物館に寄贈された。寄贈を]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
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<p>家康が大御所となって駿府に移ってから二年、その大御所の駿府城から、遠く毛利氏の居城がある萩へ手紙を送った者がいる。</p>



<p>今回の主人公「ジュリアおたあ」である。</p>



<p>手紙を受け取った者の末裔は、これを大切に保存し、近年地元の博物館に寄贈された。<br>寄贈を受けた萩博物館で、その手紙がはじめて展示公開されるというので、いてもたってもおられず萩まで見に行った。</p>



<p>手紙の筆者「ジュリアおたあ」は、朝鮮王朝の高官の娘で、秀吉の朝鮮出兵時、14歳のころに捕虜として日本に連れてこられたという。</p>



<p>紆余曲折の後、家康に「御奉公」して、格別に寵愛された。すなわち「おたあ」と通称された家康の侍女で、キリシタンとしての洗礼名「ジュリア」を持っていたので、「ジュリアおたあ」である。</p>



<p>当人の意思にかかわらず、世界史の中で、東アジアにおける外交と交戦、交易と海賊、異文化の衝突と交流などなどの要を象徴する存在だった。</p>



<p>家康の外交を今日の外交と比較すると、家康の視野の広さと平衡感覚には驚嘆させられる。</p>



<p><em>「天下統一を成し遂げた家康にとって、幕藩体制の確立が急務だった。内政はもちろん、外交上にもいくつもの課題を抱えており、その最大のものは、秀吉による朝鮮出兵の戦後処理にあった」</em>（本シリーズの<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol14/">第14回</a>）。</p>



<p>それで、「ジュリアおたあ」の自筆の手紙が新たな歴史世界を解き明かすかも知れないと、急に思いついて萩まできたのだ。</p>



<p>萩を訪れたのは二十年ぶりくらいだろうか。</p>



<p>萩は、日本海に注ぐ阿武川の下流の二つの川、橋本川と松本川とに挟まれた三角州上に発達した町である。<br>砂浜に立つと、左手に三角形の美しい山が海に張り出し、その向こうに夕日が沈むはず。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>急遽予約したホテルは確かに砂浜に面していて、左手の指月山（しづきやま）の向こうに夕日が沈む。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230606_191220-1200x844.jpg" alt="" class="wp-image-6831" width="871" height="611" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230606_191220-768x540.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230606_191220-341x240.jpg 341w" sizes="(max-width: 871px) 100vw, 871px" /></figure></div>


<p>景色は二十年余りの間変わらなかった。</p>



<p>当時毎年のように山口の地へ通ったのは、秋吉台の名を冠した音楽祭、山口情報芸術センター、秋吉台国際芸術村などを訪問したためだが、時に、萩まで足を延ばすこともあった。<br>その経緯については拙著『祝祭芸術－再生と創造のアートプロジェクト』に書いたので今は繰り返さない。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>博物館へはホテルから歩いていける。</p>



<p>あたりは萩城の三の丸があったところで、堀内伝統的建造物保存地区に指定されている。<br>緑も多く、塀に囲まれた瓦屋根の美しい建物が並ぶ。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1060" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-1060x1200.jpg" alt="" class="wp-image-6832" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-1060x1200.jpg 1060w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-707x800.jpg 707w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-768x869.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-1357x1536.jpg 1357w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-1810x2048.jpg 1810w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_091325-212x240.jpg 212w" sizes="(max-width: 1060px) 100vw, 1060px" /></figure>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>さて、「ジュリアおたあ」は、まことに数奇な運命の人で、連れてこられてキリシタン大名小西行長に引き取られたので、その縁で洗礼を受けたものと考えられている。</p>



<p>関ヶ原の戦いで西軍の武将であった行長が処刑された後、「おたあ」は助けられ、今度は家康に引き取られ侍女となり、大御所となった家康が駿府に移るのに従ったらしい。</p>



<p>博物館では、時あたかも幕末明治の古写真の展覧もあり、案内係の人が口々に「長州ファイブ」と呼び掛けている。<br>今日の目的は、幕末明治ではなく江戸初期にまで遡ることだが、入り口付近に展示されているので、井上馨やら伊藤博文やらの写真に一瞥もくれず通り過ぎることもできない。</p>



<p>しかし、考えてみれば、家康が基礎を築いた外交政策によって、江戸時代は二百五十年にも及ぶ平和を維持したが、長州ファイブを含めた明治維新政権は、その富国強兵策によって、抜き差しならぬ戦乱の時代へ突入し、百年もたたぬうちに、あの壊滅的な戦争に至ったのだ。<br>だとすると、家康ゆかりの遺品と幕末明治の写真には、比較検討すべき課題があると、博物館はシニカルに言っているのかも知れない。</p>



<p>残念ながら、気の急く身には、その検討をする暇がないので、ここはその道の専門家に任せて、手紙のある場へと急ごう。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>館の奥まったところに手紙は展示されていた。</p>



<p>手紙の前にまず目に入るのは、萌黄を中心にした落ち着いた色彩をもつ美しい小袖である。<br>デザインが実に斬新だ。 亀甲文様の上下に絞り染めが散らされて、さらに三葉葵の紋章があるところから、研究者は家康が着用したものだと考証している <sup>注1</sup>。</p>



<p>この小袖の左手に手紙が二通展示されている。</p>



<p>展示ケースにさえぎられて、手紙までの距離が遠い。</p>



<p>急に思い立った久しぶりの博物館見学で、双眼鏡を忘れてきたことが悔やまれる。<br>あったとしても、どうせたいして読めやしないに違いないが、そこはありがたいことに専門家の解読がある。<br>博物館の研究員による解読と写真を頼りに読めるところだけでも指でなぞってみよう。</p>



<p>そうすれば、あら不思議、筆者の息遣いまでが聞こえてくるようではないか。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>書きなれた美しい書だ。</p>



<p>漢字交じりの仮名文字によるほれぼれとする書である。</p>



<p>考証により慶長十四年（1609）六月十五日付けと考えられる最初の書状では、特色ある「ん」の字に目が留まる。<br>「ぞんじ」という表記が二か所あって、その「ん」の字である。　</p>



<p>中央上から左斜め下に入った筆が狭角で水平に右へ運ばれ、そして、中央に向けて左上に払う、まるで三角形を描くような文字が筆者の意志の強さをしている。</p>



<p>同時に情愛の細やかさが、丸みを帯びて伸びやかな書に表れている。</p>



<p>手紙は「おたあ」から弟に書き送られたものだ。</p>



<p>会いたい、駿府に来てほしい、と手紙は訴えている。<br>会いたい思いがあふれている。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>文面によると、毛利家の家臣のことをよく知る人と面談したところ、話の中に出てきた人物が、どうも我が弟のように思えるので、それであなた（そもじ様）に書き送るのです、と言っている。</p>



<p>そしてあて名の仮名を漢字に直して表記すると、「毛利殿御内平賀勝二郎殿にて高麗の御人様」となる。<br>弟らしき人（高麗の御人様）は、毛利の家臣であった平賀勝二郎のもとに養われていた。</p>



<p>このように「高麗の人」が話題となったのは、この手紙の書かれた二年前、慶長十二年（1607）に江戸時代最初の朝鮮通信使（当時の名称は、回答兼刷還使）が来航したことにかかわりがあるであろう。</p>



<p>秀吉の朝鮮出兵後の懸案であった日朝の外交関係が再開した。</p>



<p>使節団の帰国に際して、捕虜1300人が帰還したとされる。 当然それに先立って、捕虜の調査が行われたであろう。<br>通信使は江戸で将軍秀忠に謁見した帰路に駿府で家康に拝謁している。 だとすると、家康の周辺でも「高麗の人」のことが話題となりえた。</p>



<p>そうした状況の中で、「おたあ」は自分の弟らしき人の存在を知ったのである。<br>まだまだ多数の捕虜が残っていた時代であった <sup>注2</sup>。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>手紙に「おたあ」は、父の名を「せいわううん（世王温）」、母の名を「おつくんし（乙君時）」と記し、父が王朝の五大老の一人であったとし、「高官」であったことを裏付ける。</p>



<p>さらに、姉弟妹たちの名前と年齢、朝鮮における乱の年にどのようにして家族が別れ別れになったのかを記している。<br>乱の当初、「おたあ」は十三歳、弟は五、六歳だったという。</p>



<p>返事がないので、八月十九日付で再び手紙を書く。</p>



<p>自分の手紙が届かなかったのではないか、と不安になったのだ。<br>もし弟ならば、すぐに駿河まで会いに来てほしいと姉は弟に呼びかける。<br>この国に来ておられるとは思いもしなかったので、今まで探さなかっただけれど、どう見ても弟に違いなさそうだ。</p>



<p>この時のあて名は「うんなき殿」となっている。<br>彼らがこの国に来てからすでに十数年がたっていた。 手紙を受け取った方も驚いたであろう。</p>



<p>「うんなき」が身を寄せていた平賀家、さらには毛利家にも報告し許可を得て旅立つことができたに違いないが、毛利藩にとっても、これは嬉しい知らせだったはず。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>弟「うんなき」は飛ぶようにして駿府に来て、駿府の城で、姉「おたあ」に会った。</p>



<p>「うんなき」は歓待された。<br>大御所家康からご馳走をいただき、馬、刀（信國）とともに「葵御紋付之御服」を拝領した。<br>この拝領の「御服」が今回展示された小袖である。</p>



<p>家康に寵愛された「おたあ」にはそれだけの力があった。</p>



<p>家康が「おたあ」を引き取ったのには、その美貌と出自があったためであろう。<br>今その手紙に接して、この人の動きを見ると、情愛の細やかさと意志の強さ、そして確かな記憶力と知性が備わっていたことがわかる。<br>家康は「おたあ」のそうした総合的な人格に惹きつけられたのだ。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>この駿河行きによって、「うんなき」は二百石の知行を持って毛利家に召し抱えられることになる。</p>



<p>そして、村田安政と名乗った。</p>



<p>この村田家の末裔から、手紙、小袖が博物館に寄贈されたのである。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="900" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-6838" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104344.jpg 1920w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>家康は実に見事な全方位外交を展開しており、英国出身のウィリアム・アダムスらを外交顧問にしていたように、カトリックに必ずしも好意的ではなかったにもかかわらず、フィリピン、メキシコを拠点とするスペインとの交易も期待していた。</p>



<p>家康の外交政策の結果、慶長十六年（1611）スペイン国王からの公式使節が駿府で家康に謁見した。</p>



<p>大使ビスカイノの報告では、「ジュリア」も同席していたという。<br>手紙の書かれた二年後のことだ。</p>



<p>一行は大歓迎を受け、キリシタンだけではなく、家康の子弟も大使セバスチャン・ビスカイノの宿舎を訪問した。<br>その中に、我らが主人公「ジュリア」の姿もあり、ミサに参列を希望したという。<br>家康の子どもたちはもちろん、「ジュリア」も家康の許可のもとにビスカイノを訪問したに違いない。</p>



<p>ところが翌慶長十七年（1612）になって、事態は急変する。</p>



<p>岡本大八による疑獄事件が発覚した。<br>詳細は省くが、交易に絡む家康の朱印状の偽造をも含むこの事件が、家康のキリシタンに対する心証を決定的に悪化させた。</p>



<p>家康は外国との交易の経済的のみならず安全保障上の価値をもよく理解しており、幕府によるその独占を目指していた。<br>だから必ずしも好感を持っていなかったキリシタンをも許容していた。<br>しかし、この政策を致命的に危うくする者が幕府の官僚の中におり、しかもその者がキリシタンであったことにより、家康はキリシタン禁教に踏み切る。</p>



<p>幕府の官僚の中にもキリシタンがいることを家康は知っていたはずで、現にキリシタンである「ジュリアおたあ」を傍においていて、側室にまでしようとしたので、キリシタンの存在自体を家康は恐れはしなかった。</p>



<p>しかし、キリシタンである幕府の役人が、同じくキリシタンである西国の有力大名と手を結び疑獄事件を起こすとなっては、これを許容はできなかった。</p>



<p>岡本大八を処断した後、直ちに禁教政策に踏み切る。</p>



<p>これにより、家臣の中のキリシタンは改易などの処分を受け、キリシタン大名もいなくなり、さらには伴天連の追放令も加わって、国外に追放されたり棄教したりで、表面的にはキリシタンは存在しなくなった。</p>



<p>家康にとって誤算だったのは、「ジュリアおたあ」が棄教を拒んだことであった。</p>



<p>家康は自分が命じれば、「おたあ」は棄教するものと思っていたのではないだろうか。<br>あれほど恩愛細やかに接したにもかかわらず、君命よりも信仰を重視する者がいようとは、家康の理解を超えていた。</p>



<p>信仰のありようの差。</p>



<p>家康にも「厭離穢土欣求浄土」に代表される信仰があった。<br>人それぞれにそれぞれの信仰があることは理解していたが、君命を超える信仰は理解できなかった。</p>



<p>どちらがいいとか悪いとかの話ではない。　<br>信仰のありようは、人によって違っていた。</p>



<p>側室となることを拒絶されても「おたあ」を失いたくはなかったが、棄教を拒否されたのでは、流刑を避けることはできなかった。<br>「おたあ」は伊豆大島に流された。</p>



<p>神君家康公にして人生最晩年の大誤算であった。</p>



<p>岡本大八たちの処断は家臣に任せておけばいい。　<br>しかし、「おたあ」に拒絶された心の傷は、自ら癒すしかなかった。<br>これが家康のキリスト教嫌悪を決定づけたのではないか。</p>



<p>時に家康の齢は古希に達していた。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>さて、朝鮮王朝の高官の娘として生まれ、十四歳の時捕虜として日本に連れてこられ、キリシタン大名に引き取られ縁で受洗しキリシタンとなり、関ヶ原の戦いで主君が処刑されて、勝者家康に引き取られ侍女となり、生き別れになった弟とも再会し、しかし、棄教を拒絶して流刑になった「ジュリアおたあ」はその後どうなったか。</p>



<p>後に赦免されて、最終の流刑地神津島から出て、大坂、長崎に住んだという記録があるという。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>手紙を見ながら心が震えた。</p>



<p>その内容に歴史を大きく書き換える程のことが記載されているわけではない。<br>しかし、数奇な運命の中で、信仰を心の支えとして生きて、さらには禁教期に入ってもキリスト教の信仰を堅持した人の確かに生きた証がここにはある。</p>



<p>この列島だけを見ていては歴史は判らない。<br>東アジアの多様な歴史の動きの中で、ひいては世界の歴史の中で列島の歴史も考えなければならない。</p>



<p>駿河の歴史も、萩の歴史も、郷土史と世界史とのつながりの中で見えてくるものがある。</p>



<p>その意味で、史実としての新事実の発見以上に、東アジアの歴史とキリシタンの信仰を巡る考察に欠くことのできない資料である。<br>「うんなき」殿の子孫、村田家の人々がよくぞこれを大切に保存し、残しておかれたことだ。</p>



<p>この波乱万丈の人生は、高位の家に生まれ、捕虜となった後も高官に侍したために記録が残ったが、同様に歴史に翻弄されても、多くの庶民は記録にも残らない。<br>手紙の料紙や、書くために使われた筆、墨、硯をつくった人たち、あるいは、小袖の布地を織り、染めた人たちは、どういう人生を送り、何を楽しみにして生きてきたのだろうか。</p>



<p>そうした歴史の発掘にも力を入れたいものだ。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>萩博物館の長屋門の軒下に、燕が巣を掛け、子育てをしていた。</p>



<p>しばらく眺めていると子燕が鳴いている巣から、親燕が猛スピードで飛び立っていった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1107" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-1107x1200.jpg" alt="" class="wp-image-6837" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-1107x1200.jpg 1107w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-738x800.jpg 738w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-768x833.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-1417x1536.jpg 1417w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-1889x2048.jpg 1889w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/08/20230607_104152-1-221x240.jpg 221w" sizes="(max-width: 1107px) 100vw, 1107px" /></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>その昔、田舎の我が生家にも毎年燕が巣作りをしたのを思い出す。</p>



<p>懐かしい街を歩き、生きてここまで来て、波乱万丈の人生を生き延びた、四百年も前の人だが、その息遣いを感じえたことに深い感慨を覚えた。</p>



<p>人は時空を超越して心を通わせることもできるのだ。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<div class="wp-container-6 wp-block-group"><div class="wp-block-group__inner-container">
<div class="wp-container-5 wp-block-group"><div class="wp-block-group__inner-container">
<p>（注1）福島雅子「新出の伝徳川家康下賜「白練緯地葵紋付変り段亀甲模様小袖」について」(『国華』1533号、2023年7月)。 同論文によれば「ジュリアおたあ」の手紙の解読は、萩博物館の平岡崇による。 本稿は、両者の研究に全面的に負っており、博物館による公開資料、写真をも参考にした。</p>



<p>（注2）朝鮮通信使については研究も進んでいるが、ここでは古典的名著、辛基秀『朝鮮通信使－人の往来、文化の交流』(明石書店、1999年) を参考にあげておく。</p>
</div></div>
</div></div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>白須賀宿 ―浜名湖のその先へ</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol18/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 07 Apr 2023 07:57:04 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://artscouncil-shizuoka.jp/?post_type=shukusaigeijutsu&#038;p=6018</guid>

					<description><![CDATA[一転にわかにかき曇り、黒雲の流れる様は、あたかも龍が天翔けるがごとくだ。龍は浜名湖から登り、白須賀宿を覆い、たちまち大粒の雨が降ってくる。 この情景を文字であらわしたのが、元宿屋にして食堂だった座敷の欄間に掛かっている。 書は右から書かれて]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>一転にわかにかき曇り、黒雲の流れる様は、あたかも龍が天翔けるがごとくだ。<br>龍は浜名湖から登り、白須賀宿を覆い、たちまち大粒の雨が降ってくる。</p>



<div style="height:2px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>この情景を文字であらわしたのが、元宿屋にして食堂だった座敷の欄間に掛かっている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-1200x684.jpg" alt="" class="wp-image-6025" width="826" height="470" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-1200x684.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-800x456.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-768x438.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-1536x876.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-2048x1168.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230224_145926-1-360x205.jpg 360w" sizes="(max-width: 826px) 100vw, 826px" /></figure></div>


<p>書は右から書かれているが、「龍翔雨起」と読める。<br>つまり、龍が天翔けり、雨が起こるという。</p>



<p>右から三文字目の「雨」の点々が、もうほとんど雨粒となって落下しようとしている。<br>絵画化しつつある文字。<br>その流れるような筆の動きはよく伝わってきて、よどみがない。<br>左側に「柴石書」とサインがあるので、柴石という号を持つ人の書に違いないが、これがどういう人かを考証する力は残念ながらぼくにはない。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>この書が掛かっているのは、浜名湖の西の湖西市にある元旅館<strong>「白東館」</strong>の座敷である。</p>



<p>湖西市には遠州最西の宿場<strong>「白須賀宿」</strong>があった。<br>白東館はその白須賀宿の旅館だった。</p>



<p>旅館には実にいろいろな人が泊まり、その中には画家や書家をはじめとする文人墨客が含まれる。<br>したがって、宿場の宿には画家や書家の作品が残される。<br>現にこうした書があるのは、宿代代わりに残していったと言い伝えられている。</p>



<p>現代の我々の多くは昔の書が詠めないので、旧家に入ってもほとんど注目することもないが、この地に宿泊した人は、ある夏の日に実際に龍が立ち昇るように雲が覆い、俄雨が降り出したので、こう書いたのだろう。<br>意味もなく書かれたのではなく実景を映したのだ。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>白須賀宿で江戸の後期に宿屋を営んでいた白東館（旧吾妻屋）を会場に、<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/sms/">「浜名湖のその先へ Re-flowering」</a></strong>というアートプロジェクトが昨年開催された。</p>



<p>街歩きやアートワークショップやマルシェを実施したところ、参加者は600人に上ったという。<br>アートプロジェクトへの潜在的な期待値が大きいことがうかがえる。</p>


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<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-1200x900.jpeg" alt="" class="wp-image-6020" width="808" height="606" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-1200x900.jpeg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-800x600.jpeg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-768x576.jpeg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-1536x1151.jpeg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-320x240.jpeg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/42_SMS_メイン-360x270.jpeg 360w" sizes="(max-width: 808px) 100vw, 808px" /><figcaption>「浜名湖のその先へ  Re-flowering」（9/23～25開催） <br>白東館でのアートワークショップの様子</figcaption></figure></div>


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<p>宿場町は、防衛などの観点から通りをわざわざまげて通す。<br>これを曲尺手（かねんて）と呼ぶが、白須賀宿の街歩きでは、こうした曲尺手や、防火のために植えられた樹木である「火防樹」なども見て回った。<br>白須賀には槙の木が植えられており、現在も火防樹が見られるのは県下では白須賀宿だけという。<br>参加した人の感想に、空き家が多い、というのがあったが、どこの地域にも共通した課題だ。</p>



<p>アートプロジェクトは、これからこういう課題にどう取り組んでいくのだろうか。</p>



<p>廃業した白東館自体も創造拠点になっていくかどうか。</p>



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<p>白須賀宿は、元はもっと海岸沿いにあったが、宝永地震（1707年）の被害を受けて、潮見坂の上の現在地に移った。</p>



<p><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol13/">「遅れてきた戦国武将」（その13）</a>で紹介した岩佐又兵衛がこの宿を通ったのは、寛永14年（1637）のことなので、この巨大南海トラフ地震の前だった。</p>



<p>だから、又兵衛は塩田に海水を撒く女と、濃縮した海水を煮詰める燃料として薪を切ってきた男を見て記録した。<br>当時、海岸にはどこにも塩田があったが、その維持には膨大な燃料が必要で、薪を供給する塩木山こそ、塩田以上に重視された。<br>塩汲女と薪を運ぶ男は塩田につきものだった。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>オランダ商館付きの医師として江戸参府を果たしたケンペルも白須賀宿を記録にとどめていると、白須賀宿歴史拠点施設<a href="https://www.city.kosai.shizuoka.jp/soshikiichiran/kanko/spot/shirasukashuku/1221.html">「おんやど白須賀」</a>のパネルが教えてくれる。</p>



<p>ケンペルの紀行は膨大な『日本誌』にまとめられているが、これまた宝永地震の前のことであった。<br>確かに白須賀のことをケンペルは二百戸ばかりの人家のある海岸の村と記載している。</p>



<p>ケンペルの『日本誌』が初めて公刊されたのは、その死後、1727年の英訳本であった。<br>これは大型の上下二冊で、美しい挿絵が何枚も印刷されている。<br>その実物を手に取る機会があり、しばらくお借りし読みふけったことがある。<br>三百年の時間差を感じさせなかった。</p>



<p>実に興味深いことには、18世紀の英語の本は、辞書の助けを借りながらではあるが、今の日本人にも何とか読める。<br>ところが、当時の日本、ということは吉宗が将軍だった享保の頃だが、当時出版された日本語の本を今の日本人で読める人は極めて少数である。</p>



<p>つまり、英語を母語とする人々は、その歴史を知るのにあまり苦労せず資料を読み解けるのに、我々は、わずかに三百年前の母語の文章も読めず、したがって過去を知ることにも、当時の人々の息遣いに接するのにも大きな障壁があることになる。</p>



<p>これでは、地域社会の創造はできないとまではいわないが、折角の先人の知恵の集積の多くを知らないままに、社会資本の蓄積なく、社会創造に取り組むようなものではないか。</p>



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<p>街道の宿場にはあらゆる人が通過した。<br>ケンペルのようなオランダ商館の一行や朝鮮通信使、琉球の江戸登りなど、外国人までもが通って行った。</p>



<p>ただ通過するだけの者もいるが宿泊する者もいる。  長期に滞在する者もいる。<br>そうして滞在したであろう人の残した書画を読み解くワークショップをこの白東館で実施できれば、地域の歴史と文化を知るうえで大いに役立つだろう。</p>



<p>旅館の歴史は実に面白い。</p>



<p>東海道を東へ進んだ興津宿では、脇本陣だった<a href="https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=484">「水口屋（みなぐちや）」</a>の歴史を、何と米国人が記録している（オリバー・スタットラー『新版ニッポン歴史の宿』）。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-6021" width="570" height="760" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/04/20230405_102456.jpg 1920w" sizes="(max-width: 570px) 100vw, 570px" /></figure></div>


<p>小説ではあるが、その資料博捜は精緻なもので、近世近代の歴史の基礎知識を得るのにも有益である。<br>しかもそれを地元企業の鈴与が再刊している。</p>



<p>こうした企業の文化活動としても優れた先進事例がある。<br>白須賀宿でも残された文書を読み解けば、地域振興に役立つのではないだろうか。<br>過去こそが未来を読み解くカギである。</p>



<p>こうした理由からも、湖西市白須賀宿でのアートプロジェクトに大いに期待している。</p>



<p>白須賀宿ではかつて柏餅を名物として提供したという。<br>季節を少し先取りするが、最後に一句。</p>



<p>　 <em>塩田を海に返して柏餅</em></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>おもしろい人に会えたか</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol17/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Mar 2023 10:03:32 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://artscouncil-shizuoka.jp/?post_type=shukusaigeijutsu&#038;p=5923</guid>

					<description><![CDATA[オープニングのライブに怪獣音楽が次々と登場して、グランシップは熱気あふれる祝祭芸術の会場となった。 とはいえ、楽しんでいるのは圧倒的に中高年で、子どもたちはいささか物足りなさそうだった。 そもそも、怪獣と静岡のかかわりは、『キングコング対ゴ]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
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<p>オープニングのライブに怪獣音楽が次々と登場して、グランシップは熱気あふれる祝祭芸術の会場となった。</p>



<p>とはいえ、楽しんでいるのは圧倒的に中高年で、子どもたちはいささか物足りなさそうだった。</p>



<p>そもそも、怪獣と静岡のかかわりは、『キングコング対ゴジラ』で熱海がゴジラとキングコングによる世紀の大決闘の地となったことから始まる。<br>これが1962年のことだ。  静岡は、その後も様々な怪獣映画、特撮映画の舞台となった。<br>しかし、実に話が古い。『ゴジラ』映画の登場はさらに古く、1954年のことだ。</p>



<p>こうして、高齢者の楽しみで会がスタートしたのは珍しいことだが、もちろんそれだけではない。</p>



<p>会場には子どもが主人公となる展示もあり、何といっても<strong>野口竜平(のぐち たっぺい)さん</strong>のアート作品<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/news/5630/">「蛸みこし」</a></strong>が秀逸で、親子連れや若い世代も楽しんで熱気にあふれてはいた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-5955" width="872" height="654" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-1536x1153.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-2048x1537.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/蛸みこし-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 872px) 100vw, 872px" /><figcaption>8人で息を合わせて担ぐ、竹でできた≪蛸みこし≫<br>小さな子どもから大人まで誰もが担ぎ手になれる</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>実は、これは<strong>アーツカウンシルしずおか</strong>のアートプロジェクト支援制度<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/support/">「文化芸術による地域振興プログラム」</a></strong>の報告会だ。</p>



<div style="height:2px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<figure class="wp-container-8 wp-block-gallery-7 wp-block-gallery has-nested-images columns-default is-cropped">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="800" data-id="5956"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5956" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/ラボキュリオWS-1-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="800" data-id="5957"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5957" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1961-1-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>
<figcaption class="blocks-gallery-caption">「文化芸術による地域振興プログラム」2022年度実施団体によるワークショップ</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>冒頭の怪獣ライブの達者な演奏家たちは、本支援制度にも参加する<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/atamikaiju5/"><strong>「熱海怪獣映画祭」</strong></a>と<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/atamimirai4/"><strong>「熱海未来音楽祭」</strong></a>のメンバーだ。<br>熱海出身の二人の音楽家、<strong>井上誠</strong>と<strong>巻上公一</strong>によるトークを挟んで、<strong>ヒカシュー</strong>、そして姉妹音楽ユニットの<strong>チャラン・ポ・ランタン</strong>。</p>



<p>井上誠は音楽プロデューサーとしても素晴らしい仕事をいくつも手掛けていて、ライブの進行でも豊富な知識の片鱗を語った。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5952" width="872" height="581" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1689-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 872px) 100vw, 872px" /><figcaption>オープニングライブ『ゴジラ伝説2023 in 静岡』<br>井上誠(左)、巻上公一(前列中央)らによる圧巻のパフォーマンス。中盤には≪蛸みこし≫もステージに登場した</figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>さらに、年を取ってから突然に才能を開花させた<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/chorogeijutsu/"><strong>「超老芸術」</strong></a>家による作品も展示され、高齢者の表現活動に光が当る一方、小中学生が原稿を書く「子どもたちがつくるローカルマガジン」を発行している伊豆市の<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/izukurura/">KURURA</a></strong>や、「人との違いを認め合い、自然とのつながり、地域とのつながりを大切にしながら生きる土台を育む」<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/newschool/">静岡あたらしい学校</a></strong>、さらには赤ちゃんをテーマとした浜松の活動（<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/babykawada/">赤ちゃんと人形のお店河田</a></strong>）まで、子どもを主人公とする活動の紹介も多数。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5953" width="872" height="581" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC1708-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 872px) 100vw, 872px" /><figcaption>『超老芸術』展覧会<br>出展作家と来場者が交流する場面も見られた</figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="800" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5954" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/助成団体紹介-1-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<figure class="wp-container-10 wp-block-gallery-9 wp-block-gallery has-nested-images columns-default is-cropped">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="800" height="1200" data-id="5959"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-800x1200.jpg" alt="" class="wp-image-5959" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-800x1200.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-533x800.jpg 533w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-768x1152.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-1024x1536.jpg 1024w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-1366x2048.jpg 1366w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059-160x240.jpg 160w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2059.jpg 1707w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="800" height="1200" data-id="5961"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-800x1200.jpg" alt="" class="wp-image-5961" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-800x1200.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-533x800.jpg 533w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-768x1152.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-1024x1536.jpg 1024w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-1366x2048.jpg 1366w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055-160x240.jpg 160w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2055.jpg 1707w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="800" height="1200" data-id="5960"  src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-800x1200.jpg" alt="" class="wp-image-5960" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-800x1200.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-533x800.jpg 533w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-768x1152.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-1024x1536.jpg 1024w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-1366x2048.jpg 1366w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049-160x240.jpg 160w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2049.jpg 1707w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>
<figcaption class="blocks-gallery-caption">「文化芸術による地域振興プログラム」2022年度実施団体による成果報告プレゼン</figcaption></figure>



<div style="height:2px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>障害者の表現活動にも、様々な試みが行われてきた。</p>



<p>先駆的な民間の活動に加えて、近年は厚労省やら文化庁でも障害者芸術文化活動普及支援制度を設けている。<br>障害の有無にかかわらず、芸術として優れた活動かどうかを評価基準とする考え方がある一方で、あくまでも福祉活動の中で位置づける考え方もある。</p>



<p>さらに新たな評価基準を提唱しているのが浜松の<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/lets/">クリエイティブサポートレッツ</a></strong>である。<br>レッツではこれまでの評価基準では表現と認められないような、ありのままの行動をも「表現未満、」として認め、表現の幅を限りなく広くとっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ.jpg" alt="" class="wp-image-5966" width="960" height="720" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ.jpg 1104w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/AC長コラムレッツ-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 960px) 100vw, 960px" /><figcaption>ワークショップ「マイ『ベッド』タウンをつくろう」<br>クリエイティブサポートレッツによるアートイベント「オン・ライン・クロスロード2022」（於；松菱百貨店跡地）より</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>高齢者の表現活動を推進するにあたっては、この「表現未満、」を応用すると、その幅を広げる可能性が広がりそうだ。</p>



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<p>かくして、報告会では、障害者の表現活動と子どもの活動と高齢者の活動が多角的に交流する場ともなった。<br>さらには、商店街と演劇、食文化、災害とアートといった様々な地域課題と芸術文化を結んだ多彩な活動が報告された。</p>



<p>こうした現在の社会的な課題と切り結ぶ芸術活動が交流することで新たな活動展開が生まれ、地域振興の手法も多様化して活性化するに違いない。</p>



<p>文化芸術が地域振興に寄与するかどうかは、その活動の創造性にかかっている。<br>創造性を計測するのはなかなか難しい。<br>経済価値を含むけれども、経済価値に還元され切ってしまわない創造性とは何だろうか。</p>



<p>報告会では島田市と川根本町にまたがる大井川鉄道沿線で開催された注目の<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol16/">「無人駅の芸術祭」</a></strong>も報告された。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-5972" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG-2895-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>丸山純子『ひかりとり』<br>「UNMANNED 無人駅の芸術祭／大井川2023」より</figcaption></figure>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>もっとも、アート活動と無人駅が結びついたのはこれが初めてではない。<br>群馬県での事例だが、アーティストの白川昌生は20年以上も前に「無人駅での行為」（2000年）と題したパフォーマンスを行っている。</p>



<p>無人駅のプラットホームに一人の男が座ってカップ麺を食べていた。<br>その写真を見ると、魔法瓶が置いてあるので、そのお湯をカップに入れたのだ。</p>



<p>この行為にはどういう社会的な意味があっただろうか。<br>おそらくほとんど何の意味もないか、いや、あったとしてもその意味をほとんど誰も理解できなかった。</p>



<p>このパフォーマンスによって、しかし、無人駅の抱える様々な課題が浮かび上がってくる。</p>



<p>ほとんど乗降客がいないから駅は無人化するが、それは過疎の課題を象徴している。<br>このパフォーマンスには「群馬の食」という副題がついていた。<br>過疎地は食の生産地だろうに、孤独に無人駅で食べているのは工業製品としての食である。<br>この駅の周辺では米もとれるだろうし、新鮮な野菜も豊富だろうに。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>20年も前の一過性のパフォーマンスは当然にも人々の記憶からもほとんど消えてしまったけれども、無人駅という存在がなんとなくざらざらした手触りの違和感を記憶の底に残した。</p>



<p>実に、この違和感こそが創造性の源泉である。</p>



<p>だから、群馬のパフォーマンスが20年たって静岡で「無人駅の芸術祭」となって噴出した。<br>当然にも静岡の食にかかわる課題が大きく浮かび上がってくるに違いない。<br>そうだ、茶の存在を忘れかけているのではないか。<br>いや、忘れてはいないけれども、その価値を効果的に訴える方法がなかなか確立しない。</p>



<p>県下を広く見渡すと、興津の<a href="http://www.chaluck.jp/">「茶楽」</a>のように茶を味わう場を開く場合もいくつかある。<br>大井川鉄道沿線では、自らお茶を入れて味わう体験コーナーも備えた<a href="https://kadode-ooigawa.jp/">「KADODE OOIGAWA」</a>という規模の大きな試みにまで発展している。</p>



<p>無人駅の芸術祭が「KADODE OOIGAWA」を誕生させたわけではない。<br>しかし、この芸術祭が無人駅の価値、ひいては沿線の価値を人々の心に喚起させる力を発揮した。</p>



<p>アートとは、たちどころにその意味が明らかになる場合もあるが、巡り巡ってようやくおぼろげながら意味らしいものが明らかになる場合もある。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img loading="lazy" width="1574" height="1181" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited.jpg" alt="" class="wp-image-5968" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited.jpg 1574w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC0016-3-edited-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1574px) 100vw, 1574px" /><figcaption>さとうりさ『くぐりこぶち』<br>「UNMANNED 無人駅の芸術祭／大井川2023」より</figcaption></figure></div>


<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>アートは人の心を動かす。<br>だから社会を動かす力を持つのである。</p>



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<p>今回の報告会のテーマは「おもしろい人に会いたい‼」であった。</p>



<p>会の最後は、三島の祭りに伴うシャギリの大音響の競り合いだ。<br>競り合いに「蛸みこし」までが乗り込んできた。<br>競り合いの行事席はすっかり「蛸みこし」に占領され、みこしの傍らから顔を出して軍配をふるう羽目に陥った。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="800" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-1200x800.jpg" alt="" class="wp-image-5962" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-1200x800.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-800x533.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-768x512.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-1536x1024.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-2048x1366.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/DSC2167-1-360x240.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<p>こうした交流によっておもしろい人に出会い、自分たちでもアートプロジェクトを始める人が生まれるだろう。</p>



<p>そうして地域社会に創造的提案をすることで、地域振興のうねりとなっていくことを願っている。</p>



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<div class="wp-container-11 wp-block-buttons">
<div class="wp-block-button"><a class="wp-block-button__link" href="https://artscouncil-shizuoka.jp/sponsored-program/omoshiroihito2023/">3/12開催　成果報告会「おもしろい人に会いたい‼︎2023 −しずおかアートプロジェクト見本市−」</a></div>
</div>



<p></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>アートプロジェクトの時代</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol16/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 06 Mar 2023 07:38:04 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[大井川鉄道の抜里（ぬくり）駅には家族連れとお年寄りがたむろしている。あちらこちらで四方山話に花が咲くが、アート作品について熱心に説明するおじいさんもいる。 駅舎の中には、ぽつねんと座る人の形をした白いオブジェが鎮座していている。手足も目鼻も]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>大井川鉄道の<strong>抜里（ぬくり）</strong>駅には家族連れとお年寄りがたむろしている。<br>あちらこちらで四方山話に花が咲くが、アート作品について熱心に説明するおじいさんもいる。</p>



<p>駅舎の中には、ぽつねんと座る人の形をした白いオブジェが鎮座していている。<br>手足も目鼻も何もなく、ツルっとした形になぜか親しみが持てる。<br>余計なものをすべてそぎ落とした究極の形だ。</p>



<p><a href="https://2022.unmanned.jp/s_art/1177/">さとうりさ</a>の作品である。</p>



<p>近くの茶畑の中にも、同じ形の結構大きなオブジェが置かれている。<br>こちらの方は、風船のように空気で膨らませている。<br>緑の茶畑に鮮やかに映える。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="900" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-5854" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_134217.jpg 1920w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>島田駅前の空きビルには、足を広げて座している巨大な人体を思わせる青い作品が展示されていて、この形から今の形へと変化したことがわかって興味深い。</p>



<p>それはあたかも、ブランクーシが、鳥の形態を探求して最後に弧を描く一本の羽のようなフォルムに至ったような経緯を彷彿とさせる。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-5855" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/03/20230225_104916-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>さとうりさの場合、青い作品の方ははじめ横浜の黄金町で発表したもので、その町の歴史を考えれば明らかに女性性を色濃く帯びていたものが、ついにジェンダーを超えたフォルムに至ったのだ、ということを理解させてくれる展示だ。</p>



<p>こうして、アートについていろいろ考える機会になることは芸術祭の一つの価値である。</p>



<div style="height:4px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>さらに、この<strong><a href="https://2023.unmanned.jp/">「無人駅の芸術祭」</a></strong>が優れているのは、抜里駅に高齢者を含む人々が集まってくるように、集客という以上に人を引き付ける力があるからだ。</p>



<p>アクセスの不便な中山間地域で、野外や駅舎、さらには廃屋など、およそ作品展示に向かない無防備な場所で、わざわざ開催する以上、地域の人々の主体的参画が不可欠である。</p>



<p>そういう意味では、抜里駅に地元の方が居場所を見つけてたむろし、野菜や干し柿なども販売しているのは、芸術祭の大きな効果だ。</p>



<p>芸術祭を見て回る親子連れも、つい話の輪に加わる。</p>



<p>経済的には小さく見えるかもしれないが、地域社会の活気が回復するためには、こうした小さな居場所の積み重ねが重要だ。</p>



<p>抜里には古民家を改造した交流拠点<a href="https://www.facebook.com/people/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%B2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-%E3%83%8C%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9/100087871943098/">ヌクリハウス</a>も誕生した。<br>芸術祭が着実に地域に溶け込み、人々の交流を促している。</p>



<p>芸術祭は、まさに面白くてためになる祝祭芸術である。</p>



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<p>無人駅の芸術祭が始まったのは2018年で、県下のアートプロジェクトは最近始まったものが多い。<br>全国的に見てもアートプロジェクトや芸術祭が広がってきたのはここ20年ほどのことだ。</p>



<p>ところが実は、静岡県では随分早くからアートプロジェクトが開催されていた。<br>浜松で早くも1981年に<strong>浜松野外美術展</strong>（1981-1987）が開催されているし、1988年には<strong>川俣正</strong>のインスタレーションを中心にした<strong>袋井駅前プロジェクト</strong>が開催された。</p>



<p>彫刻は石やブロンズを素材とする場合には野外にも展示されるのは普通のことなので、彫刻を展示した浜松野外美術展は違和感なく受け入れられたのだろうが、駅前のよく知られたビルを工事の囲いのような材木で覆った川俣正のプロジェクトの方は、ほとんどアート活動とは受け止められなかったのではないだろうか。<br>きわめて先駆的な実験であった。</p>



<p>それでも、このプロジェクトの4年前、1984年に川俣は東京代官山のヒルサイドテラスの屋上に工事の囲いを組んだ、文字通り「工事中」という作品を展示している。</p>



<p>それがいかに斬新すぎて人々の理解を超えていたかは、ヒルサイドテラスを管理する朝倉不動産の朝倉健吾氏から聞いた話に示されている。<br>「テナントから苦情が殺到して、それでも川俣さんはどんどん増殖させて頑張るし、結局は10日ほどで撤去しましたね」という状況だった。</p>



<p>袋井駅前の場合は、解体することが決まっていたビルを覆ったので、関係者のクレームはなかっただろうが、これがアート活動だと広く理解されたとは思えない。<br>それでも、木材の調達などに地域の方の協力があって実現したプロジェクトだったと、<a href="https://www.shizubi.jp/event/shizubi_project_71980.php">静岡市美術館の「イベントアーカイブ」</a>に記録されている。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>アートプロジェクトは、このように様々なアートの実験の歴史の中から誕生した。</p>



<p>芸術史を広く紐解けば、近現代のアーティスト個々人の仕事を独立して評価する時代以前は、芸術活動のほとんどはアートプロジェクトだったといえなくもない。</p>



<p>たとえ個人の名前が冠されている場合でさえも、西洋では例えば<strong>ルーベンス</strong>の仕事の多くは、プロジェクトとして成立していた。<br>ルーベンスは絵画だけの注文も受けたが、しばしば、礼拝堂全体の注文を受け、そのネットワークの中で、建築、調度、絵画などなどを分担して推進する事業家でもあった。</p>



<p>日本の例では、鎌倉期の大仏再建など国家的アートプロジェクトだった。</p>



<p>プロジェクト全体のプロデューサーとして勧進和尚の<strong>重源</strong>の名があり、彫刻家は<strong>運慶快慶</strong>などという個人名が上がっているが、名前が埋もれてしまったはるかに膨大なアーティスト群の協働事業としてのプロジェクトだった。<br>何よりも勧進に応じて何らかの協力をした無数の民衆の力をも結集したプロジェクトだったのである。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>無人駅の芸術祭に代表される現代のアートプロジェクトは、だからこそ、地元の方々の創造的参画がなければ成立しない。<br>したがって、地域社会にインパクトを与えるプロジェクトにならなければ持続できない。</p>



<p>見方を変えると、アートプロジェクトの展開が地域社会になぜインパクトを持つのか。<br>インパクトは経済だけではなく、アートの創造性が広く人々の心を動かし、したがって地域社会を変える力があるからである。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>芸術祭を見て回ると、足も草臥れるが、喉も乾く。</p>



<p>近年の静岡は、煎茶を中心としたお茶ブランドの再構築に取り組んでいる。</p>



<p>「賑わい交流拠点」形成の観点から、大井川鉄道に門出駅を新設し、駅に隣接して、大井川流域の旬の野菜や果物を販売するだけではなく、喫茶体験のできる、体験型フードパーク<a href="https://kadode-ooigawa.jp/">「KADODE OOIGAWA」</a>がオープンしている。</p>



<p>もちろん、無人駅の芸術祭のパンフレットでも紹介しており、ぼくたちも、ここで美味しいお茶を頂いた。</p>



<p>芸術祭は地場産業との結びつきにも新たな可能性を示しつつある。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>そわそわ老人の生きがい</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol15/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Feb 2023 01:31:12 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://artscouncil-shizuoka.jp/?post_type=shukusaigeijutsu&#038;p=5764</guid>

					<description><![CDATA[芸術祭が花盛りだ。 大井川鉄道沿線の「無人駅の芸術祭」は島田から川根本町にかけて開催され、国内有数の芸術祭としての評価も高まってきた。 茶畑はまだ新芽の萌芽には早いが、無人駅に菜の花が映える。 これまで県下で開催された芸術祭をざっと眺めただ]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div style="height:6px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>芸術祭が花盛りだ。</p>



<p>大井川鉄道沿線の<a href="https://2023.unmanned.jp">「無人駅の芸術祭」</a>は島田から川根本町にかけて開催され、国内有数の芸術祭としての評価も高まってきた。  </p>



<p>茶畑はまだ新芽の萌芽には早いが、無人駅に菜の花が映える。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>これまで県下で開催された芸術祭をざっと眺めただけでも、「<a href="https://www.chaennale.jp">かけがわ茶エンナーレ</a>」「<a href="https://haraizumiart.com/artdays/">原泉アートデイズ！</a>」「<a href="https://fujinoyama-biennale.com">富士の山ビエンナーレ</a>」「<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/matsuzaki_machikado/">松崎まちかど花飾り</a>」「<a href="https://www.shagiri.jp">しゃぎりフェスティバル</a>」「<a href="https://cliff-edge.org">Cliff Edge Project</a>」「<a href="http://www.makigami.com/atamimirai.html">熱海未来音楽祭</a>」「<a href="https://tsunagaru-fujieda.org/theatre-f/">藤枝ノ演劇祭</a>」「<a href="http://cslets.net/hotnews/news-1533">オン・ライン・クロスロード</a>」「<a href="https://findart.jp/syougeisai2022/">静岡県障害者芸術祭</a>」「<a href="https://projectatami.com">Project Atami</a>」「<a href="https://atamikaiju.jp">熱海怪獣映画祭</a>」など枚挙にいとまがない。</p>



<p>音楽、美術、演劇、映画と分野も様々で、名称から内容が推し量れないものもある。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>いくつかの芸術祭を見て回ると、いろいろ発見があって楽しい。<br>こうした芸術祭は、新潟での「<a href="https://www.echigo-tsumari.jp/">大地の芸術祭</a>」が始まった2000年ごろから全国に広がり始め、今や燎原の火のごとく全国津々浦々に見られるようになった。</p>



<p>近年は、どちらかというと規模の小さい芸術祭も花盛りだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="900" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-1200x900.jpg" alt="" class="wp-image-5767" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-1200x900.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-1536x1152.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-2048x1536.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/USAMIの賑わい-1-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>海辺のまち、伊東市宇佐美で開催される<strong>『<a href="https://www.facebook.com/usaminoumi/">Usamiフェス</a>』</strong>の賑わい。初開催から10余年を数える</figcaption></figure>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>はじめのころは、その企画運営は若い人が中心だった。<br>近年は、そこに高齢者が混じる傾向がみられる。<br>芸術祭の世界も少子高齢社会を反映している。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>掛川市原泉地区で開催された<strong>原泉アートデイズ</strong>には、練達の絵を中心にいろいろのオブジェを配置した展示があった。</p>



<p>廃屋のような古い製茶工場が一気に華やいで活気さえ感じられる。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="900" height="1200" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-900x1200.jpg" alt="" class="wp-image-5765" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-900x1200.jpg 900w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-600x800.jpg 600w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-768x1024.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-1152x1536.jpg 1152w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-1536x2048.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403-180x240.jpg 180w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20211014_124403.jpg 1920w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>展示品作者の<strong>中瀬千恵子さん</strong>は1945年生まれで高校の美術教員などもされていたという。<br>静岡県立美術館で個展を開催され、浜松市美術館に作品が所蔵されてもいる。<br>道理で本格的なわけだ。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>一方で、原泉アートデイズの最も奥まった会場は、バスの終点にある元駄菓子屋の旧田中屋だ。<br>駄菓子屋は小学校とともに、地元の人々にとっては心の故郷だ。</p>



<p>その駄菓子屋が使われるとあって、なんとなく落ち着かない気持ちになる人がいた。  </p>



<p>子どものころの思い出深い田中屋に若い人が集まってくる。<br>自分も行ってみたいけれど、アートとは全く縁がない。 さてどうするか。<br>そこで、おじいちゃんは田中屋の前をそわそわ行ったり来たりする。</p>



<p>こうしたお年寄りを見ると他人事とは思えない。  </p>



<p>今年、後期高齢者の仲間入りをするはずのぼくは、この「そわそわ」老人が自分の写し鏡に見える。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>子どもとアートの接点づくりは成功事例も多いし、障害者の表現活動も多彩な試みが成果を生んでいる。  </p>



<p>高齢者とアートの接点づくりはもちろんいくつも試みられてはいるが、まだまだ工夫の余地がありそうだ。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p><strong><a href="https://www.arda.jp/workshop/aged">高齢者アートデリバリー</a></strong>という活動をしているアートNPOがある。</p>



<p>高齢者施設にアーティストが出向いて行って、高齢者と一緒にダンスのワークショップなどをして、高齢者の潜在的な表現力を引き出す活動である。歌でも踊りでも絵でも、ほめられるとみな嬉しそうである。</p>



<p>さらに、アーツカウンシルでかかわっている活動に<strong><a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/chorogeijutsu/">「超老芸術」</a></strong>というのがある。</p>



<p>これは高齢になって才能が突如開花した「超老芸術家」を紹介するもので、このホームページにもすでに20名以上の方が紹介されている。<br>担当の櫛野展正ディレクターが命名者だが、よくぞこれだけと思うくらい高齢の表現者を次々と発掘してくる。</p>



<p>ほとんどが、年を取ってから突然アート活動に目覚めた方で、驚愕させられたり、抱腹絶倒させられたり、面白くて目が離せない。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>なぜ、高齢者の表現活動を推進する必要があるのか。</p>



<p>高齢者が最後まで生きがいを持って生きていくことで、社会がどれほど多様で健全なものになるかしれないからである。</p>



<p>社会的投資という観点からも、高齢者福祉や医療経費の削減もさることながら、超高齢社会で多数を占める人々が活動することで、眠っている消費が生まれるだけではなく、若い世代の新たな社会起業家を生み出すきっかけにもなる。</p>



<p>一人一人の活動は小さくても、数がものをいう。<br>高齢者の表現活動の推進は、実に有望な投資だといえよう。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity"/>



<p>さて、これまで紹介したのは、いずれも素晴らしい活動だが、表現の才能が開花しない、あるいは人と一緒に表現したくないコミュニケーションの下手な頑固者の年寄りはどうするのだろうか、と頑固者のぼくはふと考えこむ。</p>



<p>何ができるだろうか。</p>



<p>何があればこうした場に加わるだろうか。</p>



<p>元の駄菓子屋を会場に選んだ着眼点は素晴らしい。<br>たとえば、あのそわそわおじいさんたちに声をかけて、ここで駄菓子屋座談会を開けないものか。</p>



<p>駄菓子屋の思い出から始まって、昔のことをいろいろと語る。<br>脈絡もなく、みんなで語り合う。</p>



<p>そうしてその記録を冊子にして知り合いに配り、一人でもいいから面白かったといってもらうと、生きがいになるのだがなあ。</p>



<div style="height:7px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>表現ができる高齢者だけでなく、特別の表現などできない高齢者にも可能な表現活動を発明しなくてはならないだろう。</p>



<p>介護民俗学を提唱する六車由実さんの本を読むと、聞き書きを冊子にまとめる話が出てくる。  </p>



<p>高齢者がありのままでいて、生きがいになる活動だ。</p>



<p>障害者のアート活動は今では随分と一般に理解され評価されるようになった。<br>けれども、その多くが既存の芸術観の中で傑出した表現であるところが評価されている。<br>何も表現できない障害者の表現を発掘することは始まったばかりだ。</p>



<p>一日中ひたすら新聞紙を切り刻む、空き缶に小石を入れて終日これを鳴らす、ただ階段を下りるのに三十分も費やす、これまでは問題行動とされたこうした行為を、<strong>「表現未満、」</strong>として、あるがままでいいと評価したのが<a href="https://artscouncil-shizuoka.jp/group/lets/">クリエイティブサポートレッツ</a>で、障害者アートに大きな波紋を投げかけた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" width="1200" height="900" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1.jpg" alt="" class="wp-image-5781" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1-800x600.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1-768x576.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1-320x240.jpg 320w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_3221-1200x900-1-360x270.jpg 360w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>クリエイティブサポートレッツによるアートイベント <strong>『オン・ライン・クロスロード』</strong>(2021年～)</figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>同様のことが高齢者の表現活動にとっても必要ではないだろうか。</p>



<p>高齢者にもアートを鑑賞してもらう、あるいは、もう少し積極的にワークショップに参加してもらう、こうした活動が高齢者の意欲を掻き立てることもある。</p>



<p>しかし、もっと重要なことは、高齢者自らが表現することである。<br>けれども高齢者のほとんどは特別の表現手段を持たない。<br>そのあるがままの姿を、「表現未満、」として積極的に評価する。</p>



<p>ワークショップ型の活動は重要だが、その後に発表の機会が欲しい。<br>表現活動は人に見てもらって、ほめてもらうことで生きがいにつながる。</p>



<p>大げさにいうと、これが自己表現の社会化である。</p>



<p>けれども、高齢者の自己表現の社会化に若い人が関心を持つかどうか。</p>



<p>こうした仕組みを生み出すことも、結局はぼくたち高齢者自らがしなければならないのかなあ、と堂々巡りのつぶやきになってしまった。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>清見寺と喫茶去</title>
		<link>https://artscouncil-shizuoka.jp/shukusaigeijutsu/vol14/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[acs-editor]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 17 Feb 2023 03:04:06 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[大河ドラマの進行を先取りしてしまうが、すでに大御所となった家康が駿府に居城した時代のことである。 江戸時代最初の朝鮮通信使（当時の呼称は回答兼刷還使）が、江戸で将軍秀忠に国書を奉呈した後、駿府で家康に謁見した。一行は、往路にも駿府を通ったが]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div style="height:6px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>大河ドラマの進行を先取りしてしまうが、すでに大御所となった家康が駿府に居城した時代のことである。</p>



<p>江戸時代最初の朝鮮通信使（当時の呼称は回答兼刷還使）が、江戸で将軍秀忠に国書を奉呈した後、駿府で家康に謁見した。<br>一行は、往路にも駿府を通ったが、家康は、外交使節はまず将軍に会うべきだとして、その時には会わず、帰路に引見して歓待した。<br>ここにも家康の幕藩体制の確立における統治能力が示されている。<br>統治体制の永続を図るために、あくまで将軍が幕府の中心にあることを国際的にも示したのである。</p>



<p>朝鮮通信使の一行は、興津の清見寺に宿泊した。<br>以後、江戸時代を通して何度かの通信使が清見寺を訪れている。</p>



<p>したがって、清見寺には通信使一行が認めた漢詩がいくつも残されている。<br>知識人たちは、こうした漢詩を求めて行列の宿舎に群がった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" width="1200" height="883" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-1200x883.jpg" alt="" class="wp-image-5745" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-1200x883.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-800x588.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-768x565.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-1536x1130.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-2048x1506.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_140446-326x240.jpg 326w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /><figcaption>朝鮮通信使の残した漢詩</figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>一方、庶民にとって漢詩は難しいが、旗を先頭にした五百人もの通信使の行列は、鼓笛、篳篥（ひちりき）を奏して、まさに異国情緒豊かに道中を練り歩くので、これを祝祭芸術として楽しんだ。<br>全国のいくつかの地では、その様子を真似て唐子踊りと称して祭りの中に組み込んでもいる。<br>それほどに熱狂した。</p>



<p>天下統一を成し遂げた家康にとって、幕藩体制の確立が急務だった。<br>内政はもちろん、外交上にもいくつもの課題を抱えており、その最大のものは、秀吉による朝鮮出兵の戦後処理にあった。</p>



<p>家康は、ウィリアム・アダムズなどの外交顧問をも雇い、スペイン、オランダ、イギリス、明、東南アジア（安南、シャム、カンボジア）などとの外交交渉を続けた。<br>そうした外交の最大の目的は、莫大な富をもたらす貿易の独占にあったであろう。<br>同時に、世界史的視点を持っていた家康は、平和外交こそが、国の安全保障の根幹だと理解していた。</p>



<p>朝鮮出兵の戦後処理を誤ると、幕府の外交政策は大きく揺らぎかねず、その影響は貿易の独占、さらには幕藩体制そのものにも及ぶかもしれなかった。<br>したがって、ことを慎重に進める必要があった。</p>



<p>朝鮮出兵以前に、関東に追いやられていた家康は、北条氏残党の鎮撫を口実に、朝鮮出兵に加わらなかった。<br>この事実は、秀吉と違って自分こそが朝鮮との平和外交に適任であることを示すうえで有効だった。<br>双方にいろいろと主張があり、また駆け引きもあり、国書改竄事件までも起こしたが、しかし、こうした厄介な相手との交渉こそが外交というものであり、朝鮮からの外交使節派遣は何とか実現した。<br>捕虜の帰還などで相当の実績を上げ、これによって明との交易、清の成立以降は清との交易が保証された。</p>



<p>外交こそ、経済の基盤づくりでもあった。</p>



<p>250年に及ぶ戦役のない「徳川の平和」は、内政だけではない、こうした様々な外交の継続によって維持された。<br>朝鮮関係だけに限っても、日本側は朝鮮国に和館を開き、対馬藩から五百名以上の人が現在の釜山にあたる地に常駐して、貿易にも携わった。</p>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>清見寺が通信使の宿舎や休憩所に選ばれたのは、後世の上島鬼貫（おにつら）の句</p>



<p>　<em>春風や三保の松原清見寺</em></p>



<p>にあるように、眼下に海を見下ろす景色が素晴らしかったからである。</p>



<p>また、通信使の残した漢詩にも「大海原の波」を詠じたものがある。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" src="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-1200x890.jpg" alt="" class="wp-image-5747" width="796" height="590" srcset="https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-1200x890.jpg 1200w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-800x593.jpg 800w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-768x569.jpg 768w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-1536x1139.jpg 1536w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-2048x1518.jpg 2048w, https://artscouncil-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2023/02/20230202_135447-1-324x240.jpg 324w" sizes="(max-width: 796px) 100vw, 796px" /><figcaption>清見寺・潮音閣。かつて、潮の音が聴こえるほど近くに海を望むことができた</figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>現在の清見寺からはバイパスの向こうに物流センターの倉庫やクレーンが並んで見え、海はわずかに見えるが、松原はさてどこかという風情だ。<br>けれども、静岡と日本の経済における清水港の役割を考えると、これは必要な基盤整備だった。</p>



<p>静岡県の経済基盤にとって清水港の物流は欠くことのできない重要な要素である。<br>貿易額は日本の港湾のベストテンにランクされ、マグロを筆頭に漁業の水揚げも多い。<br>清水港は静岡県の経済、ひいては日本経済にとっても重要拠点である。</p>



<p>この物流の中心地を生かしつつ、清見寺をはじめとする歴史や文化遺産とを結び、新たな創造活動がどのようにすれば可能だろうか。</p>



<hr class="wp-block-separator has-alpha-channel-opacity is-style-dots"/>



<p>幸いにして、清水港の来歴から始まって、現在の新たな美術活動をも紹介するフェルケール博物館がある。<br>この博物館の総合的な活動が、経済と文化を創造的に結びつけた、新たな町づくりの方法を編み出すヒントになる。</p>



<p>清見寺の周辺には、西園寺公望の別荘だった興津坐漁荘があり、地元の方々が管理して公開している。</p>



<p>建物は老朽化し明治村に移築されたが、現在は復元された建物が建っている。<br>庭は小川治兵衛によるもので、明治村館長を務めた建築史家の鈴木博之によれば、低く刈り込まれた植栽が、海に臨んだ興津の立地にふさわしいものだったはずという。<br>坐漁荘という名の通り、まさに座して釣り糸を垂れることができたはずだというのである。ここも残念ながら今は海が見えない。</p>



<p>さらに、興津宿の脇本陣であった水口屋の一角は水口屋ギャラリーとなって、水口屋の資料などを展示している。</p>



<p>さすがにここまで歩くと喉が渇く。  ちょうどいい所に茶店がある。<br>その名も「茶楽」で、和菓子とともに煎茶をいただこう。</p>



<p>これは、静岡が誇るべき喫茶文化のオンリーワンブランド化の事例というべきだろう。</p>



<p>清水港から興津にかけては、現在でもこれだけの文化資源があり、それぞれに創造拠点として機能している。<br>こうした創造拠点間のネットワークが必要であろう。</p>



<p>すでに祭りや物産展は行われている。  ネットワークの基盤はできている。</p>



<div style="height:5px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>フェルケール博物館、興津座漁荘、清見寺、水口屋ギャラリー、茶楽などなどを巡ると、歴史や文化遺産と現在の物流拠点、さらには独自ブランド形成を含めた経済活動を結び付けた、新たな町づくり構想が大きく開花しそうな気がする。</p>



<p>関係者が集って、新たな町づくり、あるいは地域創造を語り合う場にも事欠かないだろう。<br>それぞれの拠点を巡って毎月どこかで集まりを持つことも考えられるかもしれない。<br>休憩時間には茶楽から出前をしていただくのもありがたい。</p>



<p>興津の街を歩いていると妄想が膨らむ。<br>以上上げた拠点に物流センターをも加えて会場とした清水港興津国際芸術祭を「喫茶去」をテーマとして開催できないだろうか、と。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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	</channel>
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