秋晴れが気持ちの良い9月9日(日)、レストラン&カフェ「グランテラス」を会場に、静岡県文化プログラムスペシャルトーク2018が開催されました!
昨年度の「仮設の文化–モニュメンタルなものとエフェメラルなものとをめぐる対話」に引き続き、静岡県立美術館の木下直之館長に企画いただき、今回は武蔵野美術大学の神野善治教授をお招きした「地を味わうスペシャル地味対談」が実現しました。
木下館長は冒頭で、静岡県文化プログラムのテーマ「地域とアートが共鳴する」から、今回の企画意図を次のように語りました。
「今回、『地域=海の国静岡』とし、(元を辿れば「アート」は「技術」を意味する言葉でもあることから)『アート=道具』とした。海の国とそこで使われていた道具が、どのように共鳴しあっているのか。文化となると派手さが求められがちだからこそ反対に、思いっきり地味な対談にしよう」と考えたところ、真っ先に頭に浮かんだのが神野教授だったのだそうです。
現在武蔵野美術大学で教鞭を執る神野教授も、自身が専門とする民俗学は地味な分野だと会場の笑いを誘いながら、「人間と自然との間をどう結びつけて生きていくのか、その時に登場するのが道具」と説明しました。ある時は家1軒分何千点もの道具を約5年かけて1点1点すべて調べあげることもあるそう。
今回は、沼津市歴史民俗資料館で学芸員として勤めていた頃調査したことを元に、海の国静岡での漁業の道具について、数々の史料とともにお話いただきました。
紹介された史料は、江戸時代中期の漁業家・大川四郎左衛門の資料を渋沢敬三が読み解いた「豆州内捕漁民資料」をはじめ、天保2年発行の木村喜繁「九十五年前の伊豆」(静岡県中央図書館蔵)など。
これらの史料から、かつて伊豆の海には磯までマグロが来ており、入江に入ってくるマグロを仕切りながら最後には磯で抱きかかえ、木槌で頭を打ち気絶させるという漁をしていたことがわかるというのだから驚き!
沼津で活躍していた画家として、まず歌川一運斎国秀が紹介され、彼の存在があったからこそ沼津周辺の寺や神社の絵馬が豊富になり、今でも当時の漁法を説明できるのだということでした。沼津にはさらに、宇田雨柳という画家がいて、実は河鍋暁斎の息子だったという事実も。
焼津で活躍した画家としては、大正生まれの焼津のマグロ船の船主、鈴木兼平が紹介されました。鈴木は、船から降りた後、100枚ほどの絵を残しており、神野教授は1995年に「焼津漁業絵図」として書籍化しています。
鈴木の作品を見た木下館長は、山本作兵衛(当事者として炭鉱労働者の暮らしを描き残した記録画家。ユネスコ記憶遺産として日本初登録を受けたことで知られる)に通じるものがあるとの指摘がありました。
他にも海のお祭りの風習について触れながら、先人が生み出した道具の素晴らしさが話される中で、チラシのデザインに使われている「輪っか」の正体が明らかに!
正解は、、、南伊豆のささぎ商いでワッパを頭に載せ、支えるための道具とのこと。最大で40キロもの荷を頭に載せ、手で支えず歩くことを可能にしたそう。
神野教授が1980年代、実際に使っていた方に話を聞くことができたエピソードも披露されました。荷の重さが20キロ30キロになると、誰かの助けがないとあげられないため、お客さんの家に入って、お客さんに手伝ってもらうのだと、売る人も買う人も互いに支え合っていたというところに、血の通った人情味を感じます。
鰹縞のシャツ、アンバリ(網針)、枕箱、釣り針、疑似針、お守りなどなど、基本的な道具の形は、はるか昔から大方決まっているものの、暮らしをよりよくする為に人や家族によって少しずつ工夫され、身体の延長として研ぎ澄まされた1点物なのだということが印象に残りました。
神野教授は「これまでに作られ蓄積されてきたものをぜひ知ってほしい。埋もれて無くなったものも多いけれど、地味で雑然とした博物館の収蔵庫の中には、宝物があるということを知ってほしい」との思いを語りました。
木下館長からの最後の質問「駿河湾の深さは海の文化にどう関わっているか」に対し、神野教授はマグロが来た理由がそれだと明言。その深さによって魚が迷い込みやすく、深海と丘との落差が生物の多様さに繋がったのだと言います。また、例えば下田は陸からみると秘境とも言われがちですが、海の視点から考えると交通の要所であるという重要な指摘も。海によって静岡は繋がっているとも言えるのです。
どうしても富士山ばかりが取り立たされがちな静岡ですが、そのすぐ近くにある「深さ」にも目を向けたいと改めて感じたトークでした。