COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.70

第6回MAW茶会レポート ゲスト:本原令子さん

(プログラム・コーディネーター 立石沙織)

マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)のその後をゆるゆると追いかけるインスタライブ、「MAW茶会」、静岡県内を旅してもらった「旅人=アーティスト」にお話いただく公開インタビューです。しばらく更新が滞ってしまいましたが(すみません!)、2023年12月4日(月)に開催した本原令子さんの回をレポートします!


本原令子さんについて

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本原令子さん(photo:kabo)

静岡県を拠点に活動する本原令子さんは、粘土を使った立体作品を制作する陶芸家です。本原さんが扱う「陶芸」とは、土を練って成形し、高温で焼成することで器や立体を完成させる技法であり、日常生活にも近い芸術として馴染みの深い人も多いでしょう。人類が初めて化学変化を利用した素晴らしい技術である一方で、実は一度焼成するとリサイクルが難しく、地球に還らない物質になってしまいます。そのことに疑問を感じた本原さん。最近では「滅多に焼かない陶芸家になっている」といいます。
例えば、2010年には任意団体「登呂会議」を発足し、弥生時代の稲作文化を継承する登呂遺跡(静岡市)を舞台に、アートプロジェクト「ARTORO(アートロ)」を立ち上げました。
そこでは、大学時代に学んだ「地球上の土は焼けばみんな焼き物になる」との教えから、登呂にある田んぼの土で土器をつくり、同じ田んぼで稲を育て、収穫した米をその土器で煮炊きして食べる。そのプロセスを通じて、自分自身(アーティスト)だけでなく、様々な人を巻き込みながら「土」や「循環」を探求する試みを行ってきました。


一人ひとり異なる記憶を記録する『Kitchen Stories』

登呂遺跡で行ったアートプロジェクトの経験や考察から、「自分の身体も器であり、地球という大きな循環の一部である」ことを実感した本原さん。2011年の東日本大震災も重なって、「人間の身体を構成する組成はみんな同じだけれど、一人一人持っている記憶は違う」ことに関心を抱き、生きている一人一人の話を聞きたいと感じるように。
そこで2016年、名古屋港周辺のまちづくりを行う「港まちづくり協議会」が主催する「み(ん)なとまちをつくるアーカイブプロジェクト」に招へいされたことをきっかけに、新たなプロジェクト『Kitchen Stories』を始めました

人は生きている限り食べ続ける。だからこそ、「台所」をその人の暮らしや人生を最も象徴する場所として注目し、その人の定番料理を一緒につくりながら会話を交わして記録する。それが『kitchen stories』です。

同協議会のコーディネートのもと、年代も国籍も異なる8人に協力を依頼し、実際にそれぞれのお宅にお邪魔して、「台所」という小さな空間で手を動かしながら個人の生い立ちや思いに耳を傾けていると、10年来の関係を構築してきたはずの同協議会スタッフさえも知らなかった話が出てくることが度々あったのだといいます。
これは偶然なのか?それともこの町だから?あるいは自分(本原さん)が「余所者(よそもの)」だからできたこと?そんな疑問をもう少し検証してみたいと考えていたとき、目に飛び込んできたのがMAWの「旅人」募集情報だったそうです。


龍山町での『Kitchen Stories』

本原さんが滞在した浜松市天竜区龍山町は、人口約500人の小さな集落。「モノも知恵も情報も人の力も共有して支え合う地域社会の美しさが印象的だった」と語ってくれました。
例えば、滞在期間の前半に訪問した家で、本原さんが自身の母に関する悩みを話題にしたところ、数日後に会った別の人からも「これあげるわ、あなたのお母さんに」と気遣う声をかけてもらったそう。
本原さんは、この町の情報の伝わる速さに驚くと同時に、各所で起こる「これ持って帰んな」という声掛けから、日頃からモノも情報も分かち合うコミュニティのすごさを感じたと話してくれました。
そんな龍山町が気に入って、「この町にアトリエがあったら良さそう」とMAW後に場所探しで再訪したときも、「あの空き家がいいな」と言うとすぐに「〇〇さんは土木関係の仕事をしていたから、その人に改修してもらうといい」と情報をくれる人がいる。知識も技術もみんなでシェアしているからこそ暮らしやすい地域が保たれている。見過ごしがちな地域の魅力を実感させてくれるエピソードです。

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地域の人と「料理」という日常の営みを通して交流する本原令子さん(右)
(写真提供:龍山未来創造プロジェクト)

一方で、龍山町は過疎地域であるため、『Kitchen Stories』として訪問できたのは60歳以上の方々がほとんど。それ以外は20代男性が一人でした。
その彼と台所で話をしていたとき、本原さんが触れた彼の本音は、どうでもいいこともグダグダと話せる、同世代の存在がいないことに対する切実さだったといいます。これは、少子高齢化が一層加速していく日本において、世代の偏りはどの地域でも起こりうる大きな社会問題でもあります。
『Kitchen Stories』は、ふとした瞬間に溢れ出る「個人」の実感が、驚くほど密接に「社会」の問題とつながっていることを、私たちに再認識させてくれるのです。


本質に辿り着くための『Kitchen Stories』

暮らしや日常そのものを支える台所で、笑い合いながら身の上話を交わし合う。それがまさに「同じ窯の飯を食うという体験につながっている」と本原さん。「それは自分のなかでリサーチ(調査)という意識ではない」とも。そこで、MAWの後に参加したエストニアのナルバ・アート・レジデンシーでのエピソードを共有してくれました。そのとき協力を依頼したうちの数名に、あらかじめすべての食事を用意してくれていた人がいたそう。けれど本原さんにとっては、一緒につくるプロセスがなくなったことで食事は「おもてなし」の一部になり、会話は「インタビュー」となってしまったと指摘します。
台所でのおしゃべりは、つねに話題があっちこっちにいってしまうけど本音が出るんです。私にとっては、インタビューやリサーチとなると、その人の本質に辿り着けない。よく、『なんでこんなことをしているの?』と聞かれるけれど、言葉も文化も違う相手も同じ人間だという感覚になれるのが、台所だと思っている」
 
エストニアで本原さんは手巻き寿司をつくり、出会った人からボルシチを学びました。今でも時折「手巻き寿司をつくったよ!」と送られてくる写真には、現地の人たちが少しずつアレンジを加えたオリジナル手巻き寿司が写っているそう。本原さん自身も、今も日本で手に入る材料で工夫したオリジナルボルシチを作り続けていて、ボルシチを通じてエストニアに直面したウクライナとロシアの問題に向き合い続けています。

大きな問題を個人との出会いから紐解き、これまで自分とも関わりのなかった問題に対して当事者性を獲得していく本原さんの姿勢。これこそ私たちアーツカウンシルしずおかが、MAWを通じて「旅人」というアーティストのみなさんにひそかに期待していることの一つでもあり、静岡県のみなさんにもアーティストたちならではのふるまいとして、ぜひ目撃して欲しいと思っていることです。
 
本原さんは、アーティストがいつもとは違った場所に滞在することは、「『種』をもらう機会である」とも語ってくれました。新しい作品を「完成させるため」ではなく、知識や技術、問題意識など、今まで持っていなかった「新しい種を拾いにいく」こと。これを旅の目的とするならば、MAWはアーティストにとっても感度をあげる絶好の機会になるはずです。
 
本原さん、貴重な経験をシェアいただき、ありがとうございました!

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MAW茶会恒例の記念スクショ!
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