SPONSORED PROGRAM

主催事業

アート・ライティング講座「かきかたきかく」

2回にわたり開催したアートライティング講座「かきかたきかく」には、年代も職業も様々な21名の皆さんが、受講者として参加されました。
講師の福住廉さんによる添削指導や受講生同士の意見交換を経て、一人ひとりが書き直した文章が完成しました。福住廉さんから示された課題は、「人生でいちばんおどろいたこと」をテーマにした文章と、各々が自由にテーマを設定した文章の2本。400字以内で記された文章には、受講生の皆さんの個性が表れています。

テーマ:「人生でいちばんおどろいたこと」。
テーマ:自由課題

※本名又はペンネームでの表記となっています

カトウマキ

神様からの贈り物

 人生で驚いたのは、“アーティストになる”という夢ができた事である。
 小さな頃、夢は花屋さんと言っていた。知っている職業を挙げただけで、本当にやりたいことではなかった。中学高校は、将来を考えろという学校からの重圧が大きく、考えても何をしたいのか全くピンと来ず、自分を責めていた。夢が無いまま就職し、18歳の私にとってすでに人生のゴールまで来てしまったような感覚があった。
 数年経ち、思い立って絵画教室に通い、上手くなりたい一心で学び続けた。30歳頃だったか海外へ旅行し、初めて外から日本を見た。漠然と日本は良い国だなと感じ、この国の為に私のできる事がしたい!と、なんとまあ大きな考えに至ってしまったのである。それを私の好きな事でやりたいと思った途端、“アーティストになる!”と閃き、胸がとても熱くなった。それは神様からの贈り物だと感じ、夢を得た事に心から感謝したい。

カトウマキ

私の選択

 私は現代アートのフィールドで表現をしていいのか、常々疑問を感じてきた。
 長らくボタニカルアートを描いてきたが、発表する場は現代アートを選んだ。図鑑のような絵ではなく、植物からのメッセージを表したかったからだ。
 現代アートは、社会や自分の内なるもの等を深掘りし、作品が出来た時には様々な考えが複雑に絡んでいたりする。
 だけど私は、ボタニカルアートのように雑草をありのままに描く。その理由は、植物をよく見て写実的に描くことにより、雑草が放つメッセージを受け取れると感じるからだ。
 だから現代アートなのに「そのままだね」と言われると、傷ついた。
 でも、ある方に言われて気づいたことがある。複数の人が対象物をよく見て描くと、人それぞれ発見する事が違う。その差は多様性の根源ではないかと。そうであれば、私の目で見て写実的に描くからこそ表現できる事がきっとあるはずだ。そう思ったら、この選択は間違いでは無いと自信が湧いた。

兒玉絵美

人生でいちばんおどろいたこと

 「起きなさい」。
 小学校低学年のころだった。平日の深夜、父に突然起こされた。
 よく知っているはずの父はなんだかよそよそしく、空気はひやりとした。2つ下の妹は起こされておらず、居間に両親と祖母と私がそろった。私は「大変なことが起こった」と直感的に感じた。
 父は1枚の宝くじを取り出し「1億円が当たってしまった」と神妙な顔で言った。母も祖母も「どうしたらいいのか」と繰り返すばかり。うろたえる家族は私にとって初めて見る光景で家族が壊れてしまうのかと恐怖した。
 結局、組違い当選で当たったのは1億円ではなく10万円だったというオチがつく。10万円で“回らない”お寿司を家族で食べに行った。「好きなネタを頼みなさい」と母に言われても注文するのが恥ずかしくて、味を覚えていない。
 深夜の父の動揺と、お寿司の注文が上手くできない幼い私の動揺がセットになって、今思い出しても嫌な汗をじっとりかくような緊張の記憶として残っている。

兒玉絵美

発見された「妖精たち」から見る芸術祭の可能性

  「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」は鉄道無人駅とそこから広がる集落を舞台にした地域芸術祭。無人駅を現代社会の象徴と捉え、アートを手法に風景や人の営みを顕在化させる試みである。
 作家の制作に協力してくれる70代のおじいちゃん軍団がいる。農業技術ばかりか、地域の情報の全てを持つ彼らは作家にとってとてつもない「先生」。何にでも応えてくれる温かさから作家たちがいつの頃からか「妖精たち」と呼ぶようになった。みな同じようなジャンパーに足袋靴、お酒とだじゃれが好き。美術館もアートも知らない彼らに作家の知名度は通用しない。しかし、常識を超えた予測不能なゴールを目指すような、ひたむきで時には狂気的ともいえるような制作に向き合う姿勢を真近で見ているからか、彼らなりに作品と作家を理解する。妖精たちは芸術祭の陰のキュレーターなのだ。
 妖精のネーミングが浸透し会期中出会えると来場者も大喜び。動くパワースポットのようになっている。アートを見に来た来場者は、いつの間にか妖精たちとの出会いに価値を見出し、作家達は、知らず知らずの内に自身の表現に妖精たちとの奇妙な師弟関係が反映されている。このことこそが無人駅の芸術祭の価値そのもの。地域とアートの新たな相互交換の可能性だと感じている。

小玉実輝

ボルドーの壁

 電車の中吊り広告というのは確かに効果的だ。残業が続いた昨年の夏、通勤電車の中吊り広告をぼんやりと眺めながら、旅の行き先を決めた。
 11月某日。午前8時26分発、甲府行きの特急列車に乗り込む。紅く色づきはじめた車窓を横目に、優雅に読書にふける自分が、まるで贅沢な大人の休日を満喫しているかのようで誇らしかった。
 平日の山梨は想像以上に静かだった。テレビで話題の有名店で食事をし、ワイナリー見学や紅葉ハイキングを堪能した。けれど、何かが足りない。どこかもの寂しい。夜、バルで一人ワインを飲みながら、私は密かに一人旅の侘しさを感じていた。
 しかし、芸術の前では孤独感を味わう暇もない。帰りがけに立ち寄った美術館で吹き抜けのホールを進むと、ボルドーの鮮やかな壁が一面に広がり、豪華な金色の額縁によって存在感を一層際立たせたジャン=フランソワ・ミレーの作品が並ぶ。圧倒的な空間の中で、私は思わず自分の存在を忘れた。

小玉実輝

新たな感動との出会いはイマ、ココにある「icoma(イコマ)

 演劇の公演情報を発信する演劇キュレーションメディア「icoma」は、コロナ禍の2021年3月に開設されました。
 立ち上げ一か月後には、首都圏を対象に3度目となる緊急事態宣言が発出され、演劇公演は軒並み中止。多くの作り手と観客が涙を飲みました。
 そこで、icomaがはじめたのは、「上演されるはずだった公演の記録」を発信すること。スケジュール帳や㏋上からは簡単に消えてしまう公演の記録を、「必ずまたいつか見に行ける日が来るように」という想いを込めてアーカイブに残すことで、悲嘆に暮れる演劇ファンのやり場のない切実な気持ちを救いました。
 私もチケットの返金手続を繰り返し、悔しさを耐え忍んだ1人。先日、久しぶりに県外遠征をし、やっぱり演劇は生が一番だと、熱気に満ちた劇場の空気を味わうことができる喜びを噛みしめました。
 全国各地で演劇公演が復活しはじめた今、icomaでは公演の見どころや観劇レポートの紹介を再開しています。

四ノ宮里美

彗星への歓喜

 少しの自慢をもって紹介したい驚きとして、ヘールボップ彗星を肉眼で見たことを挙げたいと思います。
 1997年春の北西の夜空に、右側に尾を二本引く白い大彗星を目視しました。今再び検索してみると、大きさ50㎞程の氷玉で、約21億km先を一日100万km進み、次の地球接近は2500年後という想像できないほどの壮大な規模だったことが分かりました。ネット上の画像からも確認できますが、月星太陽以外の、宇宙に存在している物体を肉眼で見てしまった実体験のインパクトは絶大です。
 流星とは明らかに異なる見た目で、輝く小さな点というよりはマットでおぼろげな白いガスの塊のようです。即発見できるほどの巨大塊に、ご近所さん10人程で大歓声を上げました。高速移動しているはずが一点に止まっているような見え方は特に奇妙で、脳を混乱させました。非現実的光景は数日間眺めることができ、宇宙の中の地球(自分)を実感しながら胸が弾む時を過ごしました。

四ノ宮里美

近くで見たことの幸せ

 「六本木クロッシング2019展」で初めて知った現代アーティストチーム、目[mé]と作品《景体》。遠景の大海原が塊で表現され、目前でじっくり鑑賞できる大作だ。
 景色そのものを見たくて近くに寄れば細部が明らかになり、見ていた景色ではないことに落胆した幼少期。彼らの《景体》に、似たような感性を感じた。
 この時点からすっかり目[mé]の虜。アートで謝意に溢れた初めての体験だった。
 《景体》の出会いから7か月後、千葉市美術館での展覧会にも行った。館内の何が作品なのか否か、題名通り「非常にはっきりとわからない」。暫し困惑した後、謎が解ければまたもややってくれたと愉快爽快。彼らの視覚への飽くなき探求にも感心した。
 胸いっぱいで壁にもたれていたら、展示の延長のように彼らが目の前に現れ仰天した。一緒に写真撮影したいとせがむ私に快く承諾してくれた学芸員と目[mé]は、よく気づいたねと驚いていた。当然、非常にはっきりわかった。

丹野成子

夢の着地点

 20歳の時、車の衝突事故に遭った。
 島根の宿に向かっている途中だった。
お花畑でうっとりする音楽を夢うつつで聴いていた。
音が途切れた瞬間、衝撃を体に感じて目を開けると、フロントガラスの大量の破片が運転席の父に飛んでいくのがスローモーションで見えた。
母と私、そして運転していた父も眠っていたのだった。
 私は予想外のことでパニック状態だった。
助手席の母が落ち着いた声で「お父さんまだ寝てるわ」と言うので、少し冷静になれた。
腰が痛くて座っていられなかったので、2点シートベルトを外して横になった。
小雨の中、救急車のサイレンの音が聞こえた。
父はいびきをかいて、まだ寝ていた。
 病院への搬送中、救急隊員に連絡先を訊かれた母は、勤め先の島根事務所長の名前を告げていた。ぼんやり座ってるだけの父と比べて、私たちを助けてくれるであろう知人の存在をすぐに思い出した母の落ち着きようにも驚いた。
診断で私は腰椎圧迫骨折、全治3ヶ月の重傷だった。

丹野成子

はじめの一歩

 真剣に絵を学びたいと芸大受験を志した高校2年の秋、私は進路指導室で受験情報を調べることにした。最初に目にしたのは京都市立芸術大学の学校案内で、「芸術を学ぼうと思うなら、自分の好き嫌いを知ること」という当時の学長の一文だった。
 子どもの時から食べ物にしろ、勉強にしろ、「好き嫌いをしてはいけない」と言われて育ったので、どんなものでも受け入れて飲み込むのが善だと思っていた。だが、芸術家になるには好き嫌いをわかることが必要。驚きだった。
 思い出したのが、母が所有していた西洋画家全集である。少し黄ばんだ本たちは、たくさんの図版が載っていて、風邪で休みがちだった小学生の私の楽しみだった。
 いちばんのお気に入りはルノワール。優しい色調と、曖昧な輪郭なのに人物の体温が感じられる肌の輝きに魅せられた。対して、母が好きなゴッホの絵には興味を持てなかった。
 なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか。自分自身に問う日々が始まった。絵や音楽に限らず、社会の全ての事象を知るために。

ナガタヒロミ

大好きな場所

 初めてのことを経験するとき、わくわく感や驚き、おそれなどの感情が入り交じる。
これまでにこんなにも大きな音を聞いたことはなかった。耳がおかしくなるんじゃないか。たった3人で演奏しているのに、このおなかの底にズンズン響く音は何? そして、近すぎる人、人、人。リズムに乗せてからだを揺らす。少し遅れてリズムを取っている隣の人と、何度も腕が当たる。人の目など気にせず、もう思いのまま身をまかせればいい。
 いつも耳だけで聴いていた音楽を全身に浴び、最初にあった不安や期待、複雑な感情は、心地の良いものに変わった。
 初めてのライブハウスでの経験は、かなりの衝撃だった。
 その後、何度行っても、あの爆音に耳を慣らすのには時間がかかったが、ゆらゆらとからだを揺らし、そこにしかない、そこでしか感じられない、足が地に着かないような感覚にはまってしまった。
 書いていて久しぶりに思い出した。また、行きたい。

ナガタヒロミ

音の展覧会

 少し前、「ヘラルボニー」のことをラジオで初めて知った。知的障害のある方のアートを発信している福祉実験ユニットだった。なんとなく気にかかっていた。
 先日、金沢21世紀美術館に入り、偶然にもヘラルボニーに出会えた。ガラスで囲まれた小さな空間でその展示は行われていた。展示といっても、CDショップのように視聴ブースがいくつも並んでいる。それぞれの「音」の解説を読みながら、知的障害や自閉症の人が好んで発する「音」を聴くことができた。例えば、プラスチックチェーンを床に叩き続ける音、インスタントラーメンの袋をただひたすら擦り合わせる音、気に入っている言葉を繰り返す音。
 何度も繰り返されるそれらの音はリズミカルで、まさに音楽だった。私にも好きな音、好きな言葉はいくつもある。ただ、そこまで繰り返しはしない。好きな音を発し、ずっと聴いていたいという純粋な思いを、少し理解できたように思う。耳に残る展覧会だった。

はざまゆみえ

独りじゃないかも

 私には好きで好きでたまらない本がある。
 優しさだけで出来ているような一冊。初めて読んだときから虜になり、何度も読み返している。
 ある朝、今日も残業かなとうんざりしながら家を出た。ごみ置き場で紙ごみを捨てる時、隣にあった古い本の束に目が留まった。そこには私の一番好きな本が置いてあった。周りを見渡すと誰もおらず、ドキドキしながら抜き取った。まるでどうぞ持って行ってと言われているようだった。
 会社に遅れそうだったが家へ戻り本を開いた。私の文庫本よりずっと古そうな表紙。本を開くと知らないバレリーナの新聞記事が挟まっていた。
 突然、持ち主の存在を感じた。同じ本が好きな仲間の姿が見えたようだった。私は独りではなかったのかもしれない。本当の事はわからないが、この本との出会いは私にはもう会えない誰かの気配を感じる出来事となった。
 最初に家を出たときの重たい気分はすっかり忘れてもう一度家を出た。走って駅へ向かった。

はざまゆみえ

赤いタータンチェックのスリッパ

 母はよく靴修理のおじさんの事を褒めていた。昔東京で働いていた腕のいい職人らしい。綺麗になった靴を見ると母の言う通りなのだろうと思えた。
 5年前に母は亡くなり靴修理を頼む事も無くなったが、数年ぶりに店の前を通ったので思い切って入ってみた。雑貨も売る小さな店。店内は昔一度だけ私が靴を取りに行った時と同じ薄暗さだった。修理する靴は無い。何か買おうと目についたスリッパを手に取った。
 レジには昔と同じ白いシャツと黒いズボンのおじさんがいた。かなり歳を取っていた。迷ったけれど「母がよく靴の修理をお願いしていました」と伝えると、おじさんは「そうですか」とおつりをくれた。会話はそれだけだった。
 もしかしたらおじさんは母のことを覚えているかも、声も顔も母に似ている私を見たら懐かしそうに母の話をするのではと期待したがそんなことはなかった。突然感じた寂しさは母の欠片みたいだ。欠片は私の中にあり続け無くなることはない。

樋口加奈

四季の音

 それは初秋の頃、夜道を一人歩いていた時の出来事です。少し上に目線をやれば、夜空にきらめく星々が歩道の両端を彩る赤、黄、茶の葉を照らしていました。その幻想的であでやかな光景に見惚れ、意識はすっかり頭上に吸い込まれていました。
 カサッ…。
 足元に軽やかな音が響き、足の裏には柔らかで確かな感触がありました。私は枯葉の音がとても好きです。なぜならば、季節の中で最もお気に入りの「秋」を実感させてくれるからです。もっと秋の訪れを感じたくて、無邪気に地面を踏みしめました。
 サクサクッ…クシャッ…ァ……。
 足裏の嫌な違和感。子どものように心を躍らせていた私は、ふと我に返りました。枯葉はこんなに厚みのある音をしていただろうか、いったい私が踏んでいたものの正体は…?
恐る恐る、じっと目を凝らして足元をみると、薄ぼんやりとした靴のシルエットから、何やらセミの羽らしきものがはみ出していたのです。

樋口加奈

ゲルハルト・リヒター展 『ビルケナウ』を鑑賞して

 4点の絵画作品からなる『ビルケナウ』、各260×200cmもの大作である。キャンバスの大半を占める色彩はモノトーンで、どこか殺伐とした印象を受けた。随所に鈍い朱色や緑を確認したが、重ねた絵具が削りとられた跡の粗さから、“生”が搾取されるかのようなドメスティックさを感じた。
 その横には、リヒターが着想の源とした4枚の写真も展示されていた。これらはビルケナウ強制収容所にて、極秘裏に撮影されたものである。緊張感が滲む画面。ピントが激しくぶれ、解像度はあまり高くない。しかし、じっと目を凝らすと大勢の人が野外に無造作に並べられている様子が分かる。
 後日、それらの写真は施設内部の惨劇を伝えるため撮影者が“死”を覚悟して撮影したものだと知った。とてもショッキングな内容であった。
 “絶滅収容所”という単語が私に迫り、人間の愚行を知らしめ、向き合うべき史実の入り口に立たされたような気がした。

ぴろ庫

どこでも修行

 フラメンコシューズを買うため久しぶりに小田急線に乗った。車内はガラガラ。長い道のり、腰を落ち着かせ旅のお供の本を読むも、ウトウト。
 気付けば、多くの人がつり革に掴まっている。ふとその人に目が留まり、バレリーナと名付ける。すらりとした体型、ノースリーブから出た筋肉質の腕、そして何といっても団子アタマ。つり革には掴まらず、何かを読み始めた。気になったが、視界に入る程度に。時折電車は激しく揺れ、つり革の人々は稲穂が揺れるように、右に左に。が、バレリーナは少しも揺れることなく、しっかりと根を張っている。(凄い体幹だ)心がつぶやく。あっ、何やら不思議な動きを始めた。バレリーナは目を閉じ、首を横にいやいやするように動かし、次にうんうんと縦に動かす。何度か繰り返した。(おまじないか?) ああ、修行なのだな、これは。
 シューズを買って帰る新幹線の中で思う。やるべきは、彼女のような揺るぎない体幹を身に着けること。

ぴろ庫

正しさは柔らかな圧

 圧という目に見えぬものに合点がいったのは、ある書評を読んだ時だった。「正しさは柔らかな圧」。この言葉が、私の中にあったもやもやの正体を明かしてくれた。
 当時の私は弱っていた。「病は気から」と言うが、私の場合、病が心を蝕んでいた。「思い返せば良い人生だった」などと、死を意識しない日はなかった。食生活を正すため、その道に詳しい知人に相談した。食品添加物の危険性、パンより米、良質の油など。今まであまり気に留めていなかったことを後悔し、神経質になった。一時期、何を食べたら良いのか考えすぎて、体重がどんどん減る羽目に。
 あれから7年が過ぎ、次第に冷静さを取り戻すと同時に、疑問が生まれた。体に良いものだけを食べることは可能なのか?と。 「これを摂らないと、または摂ると〇〇になる」という脅迫めいた言葉が耳障りだ。
 「正しさの圧」。息苦しい。ほどほどでいこう。そう気づいた自分は、もう病んではいないのだと思う。

堀内真澄

ピアノからの問いかけ

 小さなホールの片隅にひっそりと佇む、1908年製エラール。そのピアノは私の目を奪った。
 木目の美しい天板には、規則正しいダイヤ模様と自然な色のグラデーション。天板を開くと『平行弦』が整然と並び、機能美という言葉がしっくりくる。透かし彫りの譜面台の横には同じ装飾の燭台があり、当時の生活様式がうかがえる。足元に目をやると、奏者や聴衆も気づかないペダルにまで細やかな彫刻が施されている。
 今よりも音楽が生活に溶け込んでいた時代。このピアノも調度品のように家族の輪の中で愛されながら使われていたのかも…と想いを馳せる。そこにはきっと笑顔あふれるあたたかな空間があったことだろう。
 『合理的』である事が良しとされる現代。人々の心は疲弊し豊かさを失っていないか。静かに時を刻んできた優美なピアノは、美しいものに触れ心が満たされる幸せをそっと教えてくれた。

堀内真澄

自分事として捉える

 90年代に一斉を風靡したダンスボーカルグループのメンバーが、自身や家族の加齢に伴う身体機能の変化をヒントに、高齢者が無理なく楽しく行えるダンスを考案し、フレイル予防に貢献しているという。
 パフォーマーとして第一線で活躍する彼ら自身も、変わりゆく心身と向き合う中で変化を前向きに捉え、得意を活かし、今の自分に何ができるかを考えることで人生を楽しんでいる。また、そこから新しいワクワクを創造し、世の中を明るくしようとする姿にも感銘を受けた。
 加齢というと、マイナスなイメージばかりが先行し、身体の変化に落ち込んだり自分にはまだ関係がないと目を背けたりしがちだが、誰もが避けては通れない自然の流れである。彼らの活動が広く知られ、誰もが加齢を自分事と捉えるきっかけになってほしい。
 未来の自分が生きやすい社会を想像しながら。

水越雅人

日常について

 2015年の秋、縁あって福島県の飯館村を見学するツアーに参加した。村内をバスで巡り、要所要所で地元の方から話を伺うというものだ。
 ツアーが始まると、最初は色鮮やかな紅葉が車窓を彩っていたが、次第に人気のない村落に変わっていった。この時、飯館村は福島第一原発事故の被害により、全村避難を強いられていた。そのため、家や家財は生活感を帯びたまま残され、人だけがすっぽり抜けていた。そして、多くの畑は除染のために表土が取除かれ、枯れた草が静かに広がっていた。
 気がつくと腕に鳥肌がたっていた。それは、飯館村の殺伐とした風景に対してではなく、ずっと続くと思っていた私の暮らしも、失われる可能性があることに気づいたからだった。
 ツアーを通して、日常とは「表土のようなものだ」と考えるようになった。繰り返しあるように感じる日々の生活は、実は土地やコミュニティを耕し、文化や習慣などを育む日常を作っているのだ。

水越雅人

ミミズの死骸

 4年前の夏、僕は血を吐いた。
 翌朝、すぐに医者へ行くと「喘息持ちだから肺かもね」と言われ、大きな病院の紹介状を渡された。そこでは胸部CT検査を行った。ガンはなかったが、診断結果は「原因不明」。不安が膨れ上がる。診断までの間も喀血は三度続いていた。
 診断日の翌朝、死に向かって靄の中を進んでいるかのような漠然とした不安に飲まれながら、職場までの道を歩いていた。不意にミミズの死骸が目に入った。よく見ると皮しか残っていない体を全部使って「し」の字を描いている。死してなお「し(死)」を体現する姿に初めは驚いたが、思わず笑ってしまった。そんな死に方があるのか。
 ミミズと出会ってから不安が軽くなった。死までの道程は様々にあり自由であること。そして、誰しもがいつか死を迎えることに改めて気づかされたからだ。
 その後、禁煙を始めると喀血はおさまった。が、不安になる度にミミズはいないかと地面を探すようになってしまった。

美音子

人生でいちばんおどろいたこと

 人生で一番驚いたことといえば、やはり父親がいなくなったこととその顛末だ。ちなみにこれは私の鉄板ネタであり、悲しい話ではないので安心されたい。
 かつて理髪店を営んでいた両親は、父が店の二階、母と私が自宅、というように、物心ついたときには別居していた。それを疑問に思ったことはない。ある時、休業日でもないのに店の電気が消えていた。翌日も翌々日もその次の日もそうだった。なので母に、最近、父が店を営業している様子がないが大丈夫なのか、と尋ねたところ、なんと両親はすでに離婚しており、父は転居も済ませていることが明らかになった。あまりの事態と、私が尋ねるまでいうつもりがなかった母がおかしくて、しばらく大きな声で笑った。
 そして10年後、突如父からFacebookで友達申請が来た時の衝撃は忘れられない。大学の講義室で「『友達』ちゃうやろ」と笑いながら突っ込み、申請は承認した。

美音子

歓喜が上演される――灰から芽吹く希望の福音

 彼らのダンスは、「生きる歓び」そのものだった。オーディションで選ばれた静岡の中高生と55歳以上のメンバーによる「ダンスかんぱにースパカンファン-プラス」が、カメルーン出身でフランスを拠点に国際的な活動を展開するメルラン・ニヤカムとともに、3年の創作期間を経てつくりあげた『Reborn-灰から芽吹く』。それは見ているものを「魂の歓び」と出会わせる。
 舞台上の端から端へと走りまわり、身体を上下左右に激しく揺すり、大きく回し、リズムを刻み、歌い、踊り続けるダンサーたち。食べ物が不自由なく手に入り満ち足りた肉体と、他者との関係性に満たされない精神という個々人のねじれに加え、コロナ禍と環境問題という、われわれ人類に起こった/われわれ人類が引き起こした災厄の中で、いかにして希望をもちえながら生きてゆけるか。それを問い続け、また、踊ること、生きていくことそのものが希望なのだということを証明し続ける70分である。

ゆのきやすひろ

火葬場とサイコロ

 「人生でいちばんおどろいたこと」は、心に秘めて伝えたくないことなので、はじめておどろいたことを書かせて頂く。
 もう半世紀ほど経つだろうか。私が幼稚園児のころに、ひいおばあちゃんが亡くなった。葬儀は慎ましやかに終わり、出棺され町はずれの小さな火葬場で荼毘に付されている最中にそれはおこった。
 男衆は時間を持て余したのか、コップ酒を飲み出した。すると一人の男が新聞を広げペンで線を引き6分割にし、ひとマスずつに1から6の数字を入れた。誰が持ち込んだのかなぜかサイコロがある。男たちは手持ちの銭をそのマス目にそれぞれ置く。一人がサイコロを振る。すると男たちは、取っただ取られたのだと声を上げる。一息置くと、また同じことが繰り返される。賭け事?まさか賭博?なんて不謹慎!などと、なぜかまったく思わず、これもまた弔い方のひとつなんだと感心しながら驚いたことを鮮明に覚えている。

ゆのきやすひろ

アマい考え

 普段は見ないプロ野球中継を見ている。日本シリーズがめっぽう面白いのだ。一流の選手たちがひたむきに白球を追う姿はまるで甲子園の高校球児のようで目が離せない。それは彼らの根底にあるアマチュア精神が勝敗を超えたところでぶつかり合っている様を見せつけられているからだろう。
 躍動する彼らの姿をみているとプロとアマチュアはけっして対立する概念ではないということが分かる。いや、むしろプロは高いアマチュア精神を持たなければ、一流のプロとはいえないようだ。なぜなら人を感動させるには、評価や勝敗を超えた純然たるアマチュア精神が必要だからだ。ゆえにアマチュアという言葉は、エクスキューズに使うには適切でないといえるだろう。
 このように考えてみるとアマチュアで在ることを自ら意識的に選択できることは、大きな可能性を手にしていることにならないだろうか。ただ初心に常に回帰し、そのものに取り組めることの純粋な喜びを持ち続けることが難しいことを、私たちは仕方なく承諾している。ゆえにその尊さを希求するのだ。

良知訓子

人生でいちばんおどろいたこと

 自分の感情に何よりも驚いた。
 13年前の秋、乗り始めたばかりのバイクの事故で部下が亡くなった。結婚式を一ヶ月後に、子供の誕生も半年後に控えていた。事故前に交わした会話一つを思い出しても、できることはなかったのかと後悔ばかり。じりじりと痛みを感じていたのに、一方でご遺体に縋り付いて泣く奥様の様子がテレビドラマのように見えた。話の流れにただ涙しているだけ、泣くべき場面だから泣いてる、そんな自分の感覚がプログラムされたもののように感じ、引いてしまった。
 それが。死亡退職手続きを済ませ、後任の部下も迎え、1年程経った日の朝礼で、亡くなった部下とそっくりな足音と気配にドキンとした。事故を知らない新しい上司のものだった。もうすっかり日常を取り戻していたはずだったのに、一気に当時の痛みを思い出し、しばらく朝礼に遅れて入ってくる足音に敏感になってしまった。
 ドラマ感覚だった自分と、引きずっている自分、どちらも合わせ持っている自分に驚いていた。

良知訓子

美術検定受験

 もう3回も落ちている。懲りずに4回目のチャレンジだ。
 「美術検定」という資格で、2級以上を取得できれば美術館のボランティアスタッフになれる。セカンドライフの選択肢として、美術展の案内ができたらと、ふわっとした考えで受験している。勉強の過程で美術の知識が得られること自体も嬉しい。
 と言いつつ3回も落ちると向いてないんじゃないかと思えてきた。まず画家や作品名がパッと出てこない。まあこれは加齢のせいか。問題はもともと歴史が苦手ということ。日本とヨーロッパの時の流れや作品がさっぱり結びつかない。加えて宗教も絡む西洋美術は、八百万の神信仰の典型的日本人の私には暗黒の闇のような奥深さ。毎年表面を嘗め回した感覚しか残らない。
 今年はあまり美術展に行けず残念だったが、その代わり学生のごとく、関連本や目に付く掲載物を読んではテキストに書き込んだり、前年の試験問題を何回もやり直したり、美術用語辞典を自家製したりもした。これを書き終えて最後の追い込みをする。かきかたきかく2回目の日は試験が終了している。気持ちよく出席できるか、残り2週間がカギとなる。

海芽絵瑠

病は気から!

 病は気からと昔の人は言ったものだ。最近はあまり耳にしない気もする。
 ある朝、布団を干そうと窓を全開にしたら、あれ?天気予報で一日晴れだったのに曇っている。思わず口から
「いつになったら晴れるんだか」
と漏れていた。そばにいた息子が不思議な顔をして私の顔を覗き込む。
「すっごいイイお天気だけど。」
えっ?と思ったと同時に、自分の見えている世界が白黒なことに気付く。意外と人間慌てない。そのまま取り敢えず一日を過ごしたが、次の日の朝になっても治っていない。眼科の検査で異常なし。脳の方も異常はない。白黒の理由が分かった。心の病だそうだ。アートを仕事にしたく主人に内緒で起業塾に入ったが、仕事の進展の遅さと支払いの高さを責められる恐怖と焦りが身体の不調として現れたのだった。
 病は気から。気から目が見えなくなる事を知る。

J・ティベリア・カーク

日比交流1979-1981

 1970年代後半、静岡でも好景気の波が押し寄せつつあった頃、その日は早めに家に帰ると、珍しくザワザワしていた。
 食堂に入ると、男性と母親が待ち構えており、開口一番、あなたは今日から部屋がないからと弟の部屋に移ってと言われた。人が来るからその部屋にする。いいわよね。いいよも何も、荷物を片付けに部屋に入ると、すでにお客さんたちはいた。ヨロシクオネガイシマスー。カタコトの日本語で長身の若い女性たちが一斉に挨拶をしてきた。汗臭い部屋は、若い女性の熱気と華やかな香水の香りでいっぱいだった。こんにちは、適当になんでも使っていいです。そう言って部屋から当面使う着替えを出して、足早に出た。
 部屋はフィリピンパブの合宿所になっていた。彼女たちはオープンで、ニコニコしながら、時々裸でウロウロするので、困ったような嬉しいような日々が始まり、いつの間にか同級生と近所の父の友人たちが、よく訪れる家になった。

J・ティベリア・カーク

1980-1985 日比交流後静岡市呉服町両替町常磐町界隈の話

 僕と弟の仕事は、日曜日に彼女たちを市内の女子校に隣接する教会へ連れていき、ミサの帰りに街なかのマクドナルドで時間をつぶすことだった。彼女たちは英語とスペイン語とタガロク語でよく喋りよく笑う。彼女たちは、いずれも半年の契約で来日していたが、なかには突然部屋からいなくなる娘がいた。そんな時は、外で男たちがヒソヒソと話をしているので家には帰らない。
 しばらくして店は外国人と日本人が混在するようになった。女性たちの出身もフィリピンのマニラから周辺の島々、タイ、ベトナムへ変わった。日本人で背が高い若く綺麗で歌が上手な娘がいた。仕事の後、奢ってくれるというので、一緒に出かけた。彼女は未成年で男性だった。彼女はよく稼いでいたが、電話で同僚に新宿にいくと伝えたあと、姿を消した。

K

今の自分の仕事に驚いている

 今までの人生の中で一番驚いたことは、今の仕事に就職したことだ。
 現在、NPO法人クロスメディアしまだに勤務して2年目。
 今から5年前に、長く勤めた近所の工場を退職し、友人に誘われて取材、記事作成の仕事を始めた。
 始めて間もなく、クロスメディアからの依頼で記事作成の仕事をしたことがあった。以前からまちづくりNPOとして様々な活動や企画を興し注目を浴びていたのを知っていたので、仕事で関わることができたのがとてもうれしかったことを覚えている。クロスメディアの対応や姿勢に直接触れ、尊敬の気持ちも湧いた。
 その後、偶然が重なり自分がクロスメディアの一員となった。成り行きとはいえ、過去の自分の仕事ぶりも判断してくれたのではないかと思いたいが、実際はどうなのか聞けずにいる。現在この仕事が楽しくて仕方がない。尊敬の気持ちは当時から今も変わらない。自分が今クロスメディアで働いていることに、人生で一番驚いている。

K

生音の迫力あるジャズライブでホットなひとときを。

 生演奏を聴いたことがありますか?
 デジタルの音楽は巷にあふれていますが、生演奏を聴く機会はだいぶ減りました。
 ですが、チャンスがあればぜひ生演奏を聴いてほしいのです。
 タイミングを合わせ、豊かに響くハーモニーとノリの良いスイング感を楽しめるのはもちろん、人間が身体を使い音を奏で、観客と演奏者が共に体感するその場限りの瞬間の連続です。これはデジタルサウンドでは味わえません。

 そんな生演奏を体感できるチャンスがあります!
 島田市内で活動中のアマチュアビッグバンド「島田ミッドナイト・ズー・リハーサル・オーケストラ」の第13回リサイタルが12月に開催です。
 スイングジャズはもちろん、ラテン、フュージョンなど様々なジャンルを楽しめる演目となっています。

 今回は初の「入場料無料」。暗いニュースが多い近年ですが、迫力あるビッグバンドジャズの生演奏を聴いて、楽しいひとときを過ごしてみてはいかがですか?

KM

人生でいちばんおどろいたこと

 「今月いっぱいで解雇させていただきます」。
 忘れもしない5年前のある朝、私は人事部に呼び出されて職場の会議室の中央に立っていた。突然の事態を飲み込めず、頭が真っ白になり生きた心地がしなかった。これから裁判でも始まるのではないかと思うほど重厚な視線が一斉に向けられ、哀れみのような、早くこの場から立ち去りたいような、居心地の悪い空気が流れていた。
 「私、職を失うのか」。
 と理解できたのは、退職にあたっての諸々の事務的な説明をされている時であった。もちろん説明の内容など頭に入ってこない。机上に渡された書類をかき集めて、その日は意識朦朧としたまま職場を後にした。外に出た瞬間、太陽が妙に白く眩しかった事を覚えている。
 憧れて入った職場。入社半年でまさかドラマのような台詞を言われる立場になるとは思ってもいなかったが、もしもあの時に解雇されていなかったら、今の人生はなかったのだとも思う。

KM

2022とよたまちなか芸術祭 コンセプト要約

 今年度は、人の発想と技術とアートの関係を考える「知の技術」をテーマに開催します。豊田市は、古代の窯業、近代の養蚕業、現代の自動車製造業など、資源や土地の豊かさを活用する技術によって発展してきたまちです。技術とは自然に生まれるものではありません。先人たちが創意工夫を繰り返してきたからこそ、今日の技術があるのではないでしょうか。
アートの語源であるラテン語の「アルス(Als)」は「技術」と「才能」という意味を含む言葉です。このアルスを手がかりに、豊田地区にある歴史的側面をなぞりながら、その根幹にある人の発想力や創造力を「知の技術」という言葉で表しました。「知の技術」の視点は、アート分野に限った話ではありません。自分らしい発想で物事を捉える力は、日常生活においても様々な気づきを与えます。その経験が人々にとって豊かな生活を過ごすきっかけとなることを目指します。

S

覚えていること、忘れてしまったこと

 人生でいちばん驚いたことを思い返した。まったく思い浮かばなかったので、私はいったい何に驚いていたのだろうと自分のLINEのトーク履歴から「驚いた」を検索してみた。ヒットしたのは2件。ひとつめは自分の結婚の話、ふたつめは本で見た仙人がやるような人間離れした健康法の話だった。
 私の人生は今のところ38年。LINEを始めてだいたい10年。検索で「驚いた」がヒットしたのはいずれも過去2年以内のできごと。LINEの中で私が驚いたことは、今では驚くどころか前後を熟読しなければ何の話かすら思い出せなかった。
驚きは一瞬だけ私を大きく揺らし、通り過ぎて、どこかへ消えてしまう。記憶の中から絞り出しても、思い浮かぶのは驚きのあまり友達とギャーッと大声で叫んでそのあと一緒に笑ったことばかり。LINEするまでもなく、文字には残らない、ささいだけれど思い返すと楽しいこと。それが私の人生でいちばん驚いたことである。

S

もやもやの解消のしかた

 カレーとナンを求めてときどき行くお店がある。ある日、友人と2人でおなか一杯食べ、会計の際に外国人のオーナーから流暢な日本語で「ありがとうございました」と送り出された。すると友人が笑顔で「ありがとう」と返したのを聞いてびっくりした。タメ口で返事をするなんて失礼ではないかと、もやもやした気持ちになった。彼女によると「外国人は日本語がわからないから、短くわかりやすく言った」とのことで、彼女なりの優しさだったという。しかしオーナーには無用だ。彼は日本語が達者である。
 友人は外見が外国人であるだけで日本語が不自由と決めつけた。私はタメ口であるだけで友人を失礼な人間と思い込んだ。いずれも目の前のことを自分の基準だけで判断した結果だ。彼女への誤解が解けたのは、私の率直な疑問に彼女が端的に回答してくれたから。少しの勇気をもっててらいなく話すことで、もやもやした気持ちを解消したできごとだった。

募集概要(終了しました)

アーツカウンシルしずおかでは、自分の思いや発想を文字で伝える体験を通じて、他者に伝わる文章の書き方を学び、静岡県内で文化芸術に関わる書き手として活躍していただくことを目的とした、文化芸術の書き手を養成するアートライティング講座「かきかたきかく」を実施します!

講師は、「共同通信」で毎月展評を連載するなど、現代美術について鋭い批評活動を継続的に行っている美術評論家の福住廉 氏をお迎えします。

ついては、文化芸術に関するライターや批評家を本格的に目指す方、自分で見つけた価値を言葉にして他者に伝えたり広く発信してみたりすることで生活そのものを豊かにしたい方まで、幅広く募集します。

オンライン事前説明会

2022年7月2日(土) 14時から15時

※参加希望の方は、7月1日(金)17時までに下記メール宛にお名前とご連絡先を本文に記入の上、お申込みください。
info@artscouncil-shizuoka.jp
説明会実施後に8/21(日)まで、こちらにてアーカイブ動画を公開します。

詳細

【日時】
全2回の講座となります。
<第1回目>2022年8月21日(日) 14時から16時(13時30分より受付)
<第2回目>2022年11月13日(日) 14時から16時(13時30分より受付)

【会場】
グランシップ 9階 会議室(〒422-8019 静岡市駿河区東静岡2丁目3番1号)
※入場の際は必ずマスクを着用し、受付で手指の消毒を行ってください。発熱やかぜ症状等のある方は、ご参加をお断りする場合があります。

【定員】
30名
※静岡県に在住もしくは通勤・通学されている方、将来的に静岡県での活動等を検討されている方

【参加申し込み締切】
2022年8月5日(金)

【料金】
5,000円 (全2回)

【講師】

福住 廉 (ふくずみ・れん)
美術評論家
著書に『今日の限界芸術』(BankART 1929、2008年)ほか多数。
共同通信で毎月展評を連載しているほか、東京や横浜、札幌などで社会人教育の講師も務める。
現在、秋田公立美術大学大学院准教授。

【申し込み方法】
チケット予約サイトPeatixページよりお申し込みください。

お問合せ

アーツカウンシルしずおか(公益財団法人 静岡県文化財団内) 担当:櫛野、横山、若菜
TEL  : 054-204-0059(9:00~17:00 土日祝を除く)
Mail : info@artscouncil-shizuoka.jp 
HP : https://artscouncil-shizuoka.jp

※新型コロナウイルス感染症対策を行い実施するものですが、感染状況によっては中止又は延期する場合があります。

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