INTERVIEW
しずおかの原石

代表・羽鳥祐子さん 

はらいずみあーとぷろじぇくと
原泉アートプロジェクト
代表・羽鳥祐子さん 

静岡県西部に位置する掛川市は、江戸時代から掛川城下の宿場町として発展を遂げてきた。

駅から車で北上すること約30分。玄関口である大和田トンネルを抜けると、掛川市北部に位置する中山間地域の原泉地区は現れる。

「原泉」とは、500名ほどが居住する5つの集落を総称した呼び名のことで、地区内の使われていない茶工場や寺など使って展開されている現代アートのイベントが原泉アートデイズ!だ。

サスティナビリティという概念に基づき、国内外からアーティストが一定期間滞在し、リサーチ活動や作品制作を行う「アーティスト・イン・レジデンス」を事業の柱としていることが大きな特徴になっている。

これまで滞在したアーティストのうち、独自に作品制作を続けてきた野々上聡人さんなどは、原泉で制作した作品を中心に据えたインスタレーションが「第23回岡本太郎現代芸術賞」で大賞となる岡本太郎賞を受賞するなど、「原泉アートデイズ!」を大きな飛躍のきっかけにしたひとりだ。

このアートイベントを主催しているのが、「原泉アートプロジェクト」代表の羽鳥祐子(はとり・ゆうこ)さんだ。

羽鳥さんは、グラフィックデザイナーとして活躍する傍らで、原泉に居住しながら「原泉アートプロジェクト」を始めた。

羽鳥さんは1983年に3人姉妹の三女として、群馬県高崎市で生まれた。

外遊びが好きで元気で活発な子どもだったが、理不尽なことは嫌いだった。

中学生になると、頑張ってつくった作品が、美術教師から低い評価をつけられたことで、アートへ興味を抱くようになった。

読書が好きで、小学校3年生のときに図書館で手にした本を機に、社会や環境問題について興味を持ったようだ。

やがて、青年海外協力隊の存在を知り、地球全体の環境問題について思いを巡らせているうちに、将来は研究者を夢見るようになった。

高校卒業後は、明治大学農学部へ進学。

野生動植物の種の生態系を中心に、生物多様性や絶滅危惧種の保全、人と自然や生きものとの関係などを学んでいった。

勉強は楽しかったが、大学3年のときには、周囲との温度差から、自分は研究者気質ではないことを自覚するようになった。

大学時代から国際ボランティア団体を経由して、アフリカやアジアなど数カ国を訪問した。

世界から集まった仲間とゴミ拾いやウミガメの保全など、さまざまな環境問題に向き合っていったようだ。

国内では里山保全活動などの国際ワークキャンプにリーダーとして参加し、海外の団体との渉外などにも携わった。

「人と自然が共存する社会をつくるためのパーマカルチャーの現場などを目にする機会に恵まれたんです。私にとっては、中南米の国が、どこか肌にあっていたんですよね」

大学を卒業したあとは、念願だった青年海外協力隊へ志願した。

メキシコの南にあるグアテマラ共和国へ2年3ヶ月滞在し、現地の教育省で環境教育の普及啓発等に尽力した。

その後は、自然と関われる現場を求めて、パークマネジメントを推奨する都内のNPO法人へ就職。

都立公園の現場でイベント企画やブランディング、公園を拠点とした地域連携事業などに関わっていった。

4年ほど勤務していくなかで、「自然のままというよりも、人と自然とさらにつなげるために、自然を表現することこそが自分のやるべき仕事だ」と感じ、独立を決意。

2015年から、グラフィックデザインの事業を立ち上げたというわけだ。

中心に据えたのは、これまで携わってきた「自然」に関すること。

自然と日常を繋ぐ存在としての「窓」に注目し、スペイン語で「窓」を表すventana(ベンタナ)を屋号にした。

「生活のなかに自然が全くないのは、すごく違和感があったので、仕事とは別に、自然のある環境に住みたいと思っていたんです」

静岡県の遠州地域へ何度か仕事で訪れているうちに、原泉地区に多く空き家があることを知り、2016年夏から関東と2つの拠点で生活を始めた。

本格的に原泉一本で活動を開始したのは、1年前からになる。

2016年秋に、翌年に開催される「かけがわ茶エンナーレ2017」の関連企画のひとつとして、旧掛川市立原泉小学校の跡地である「さくら咲く学校」に白羽の矢が立った。

「『一緒に運営してほしい』と声を掛けられたんですが、デザインの仕事が忙しかったこともあったし、首を突っ込みたくなくて、一度お断りしたんです」と当時を振り返る。

それでも、「さくら咲く学校」にアトリエと教室を構える現代美術家の中瀬千恵子さんと会うように勧められたことで足を運んだところ、その作品に大きな感銘を受け、彼女と意気投合して半日以上語り合ってしまったようだ。

「かつて彼女はマケドニアで滞在制作をした経験がありました。そこで世界中のアーティスト同士が交流をしたり地域の人たちと食を通じて触れ合ったりした思い出が彼女のなかに強烈に残っていて、具象から抽象画へと作品が変化していく転機にもなったんです」

四方を山脈で囲まれた原泉が、マケドニアの地と似ていたことから、「いつかあのときのような場をここでもつくりたい」と中瀬さんが夢を語ったところ、「実現させましょう」と羽鳥さんは即答した。

羽鳥さん自身も青年海外協力隊でグアテマラ共和国に滞在したとき、同居していた仲間たちのアートフェスティバルの手伝いと、と中南米中の滞在作家たちとの交流の場を共にした体験があり、原泉という場所で同じ夢を見ることができていたようだ。

「せっかく参加するのであれば、原泉まではなかなか足を運んでもらえないので、人に来てもらえるように、集客の仕掛けや作家の選定を考え始めるなど、独自性を持って動き始めたんです」

このとき、一部のアーティストが滞在制作などを行う「アーティスト・イン・レジデンス」を取り入れていたことが、のちの「原泉アートデイズ!」の基盤になった。

そして、「時代の変化が激しいときに、3年に一度の開催を待っていられなかった」と2018年からは毎年「原泉アートデイズ!」を開催している。

「有名なアーティストを呼んで集客したいわけではなかったんです。それよりも、原泉の地に滞在してくれることを条件に作家を集めていったんです」

興味深いことに、羽鳥さんの発する言葉からは、一度も「芸術祭」という言葉は出てこない。

そう、「原泉アートデイズ!」は「芸術祭」とは名乗ってはいない。

あくまでアートプロジェクトなのだ。

そして羽鳥さんは、ここでのアートプロジェクトを祝祭的なものではなく、日々の暮らしの延長線にあるものとして捉えている。

それはつまり、「原泉アートデイズ!」が目指すものは「街づくり」ではなく、滞在するアーティストの成長に重きをおいているということに他ならない。

「作品とアーティストに比重を置きたいなと思っていて、その結果として地域が良くなってくれれば良いなと思っています。全ての中山間地域に当てはまるのかも知れませんが、この原泉には、素晴らしい作品を生み出すことができる、時間・空間・資源という3つの条件が揃っています」

羽鳥さんが言うように、自然豊かな環境のなかでは、不必要なことで「時間」を奪われることも少なく、アーティストは作品制作に専念することができるだろう。

広大な「空間」での制作は、作品も大規模なものに変容させる可能性も大きい。

コロナ禍で三密の回避が推奨される環境下において、人目を気にせず作業できる点でも、まさに理想的な環境と言えるだろう。

そして、原泉の地には自然からの恵みや資材、必要なときに気軽に力を貸してくれる地域の人たちなど豊富な「資源」が揃っている。

まさにアーティストにとっては、理想的な環境で制作と向き合うことができるというわけだ。

また、丁寧な対話を通じて、ひとりひとりの作家性や作品性と徹底的に向き合いながら、作品を通して新たに多様な人と出会い、お互いに成長していける場を創出している。

「原泉アートデイズ!」は今年4回目を迎える。

2021年のテーマには「相互作用」を掲げた。

旧茶工場をアーティストの拠点として解放し、24時間稼働するライブカメラによりその創作活動をインターネット配信・公開する「OPEN AIR SPACE」(企画:都築透)など、アーティストの今を伝えていく企画が盛りだくさんだ。

そして、回を重ねるごとに現代美術家の中瀬千恵子さんにも変化が生じているという。 

「彼女は、高校の美術教員として定年まで教鞭を執っていたので、当初は自分がエンターティナーになって人々の心を持ち上げなきゃいけないという思いが強かったんです。でも、『原泉アートデイズ!』を通じて人と出会ったり、私とじっくり話をして私の意見にも耳を傾けてくれるようになったりしてから、彼女がつくり出すインスタレーションも大きく変化しました。毎年展示を観ている方からは、『すごく展示が良くなった』と言われ、本当に多くの人が感動して帰って行かれます」

羽鳥さんによると、中瀬さん自身も若い作家と交流を重ねるなかで、お互いに尊敬しあえる関係が築けるようになっているようだ。

そして、75歳を超えてなお、精力的に制作を続けるその姿に若いアーティストも触発されるのだという。

「将来的には、この茶工場を常設の展示場とスタジオ、オフィスやショップの機能を兼ね備えたアートセンターにしたいと考えています。ここを起点に『原泉アートパーク化』を推進していきたいですね」

アートプロジェクトは、世界中で数多開催されているが、羽鳥さんが目指しているのは、こうした世界の自分たちと同じような規模のアートプロジェクトと繋がっていくことだ。

原泉という自然豊かな環境のなかに、これまで以上に多くの多様な作家が訪れることで、この場所やここに住む人たちはどう変化していくのだろうか。

そして何より、アーティストたちはどう成長していくのだろうか。

ここから巻き起こる大きな変化を一緒に見守っていきたいと思う。

<記:櫛野展正>

ページの先頭へ