INTERVIEW
しずおかの原石

代表・沼田潤さん

こころのまま
こころのまま
代表・沼田潤さん

「1歳半検診で言葉の遅れを指摘されたときから、覚悟はしていました」 

そう語るのは、静岡県沼津市在住の沼田潤(ぬまた・じゅん)さんだ。

彼女の息子・晃太朗(こうたろう)くんは、小さい頃から砂を口に入れたり「ママ」という言葉が出てこなかったりと、他の子と比べて発達の遅れがあったようだ。

そして3歳児検診で検査の結果、当時の呼び名で「精神発達遅滞」と診断を受けた。 

20歳から看護師として働いてきた沼田さんは、晃太朗くんを保育園へ預けて仕事復帰する予定だったが、晃太朗くんに障害があることが分かってからは、正社員ではなくパート勤務として看護師に復職した。

「いまとなっては恥ずかしいのですが、看護師として復帰しようと思っていたのに、望んだ形で仕事に戻れなかったことを、彼のせいにしていた時期がありました」と当時を振り返る。 

発達障害のある晃太朗くんは、3歳からは沼津市の療育施設へ通うようになった。

「療育園では学べないことを学ばせたい」と沼田さんは、晃太朗くんの姉が通っていた幼稚園へ、初めて療育園から「逆並行通園」という形で週に2度、晃太朗くんと一緒に通うようになった。 

「親がずっと一緒にいることなんてないので、幼稚園の子どもたちは初めのうちは私のことを先生と勘違いしていたみたいです」と笑う。

そんな沼田さんにとって悲しい出来事があった。 

「ある園児が運動会のリレーのときに、『僕たちが負けちゃうから晃太朗くんは走らないで』と私に告げました。そのときはとてもショックでしたが、『これが子どもの正直な気持ちなんだ』と納得もしました。小学校高学年にもなると、子どもたちだけでリレーに勝つための作戦を立てるようです。それぞれにどんな役割があるのか、相手を知り、自然とみんなが力を合わせて目標に向かって努力していくんです。地域でともに育っていくとはどういうことか、私自身考えさせられる良い機会だったとも感じています」 

晃太朗くんに障害があることが分かったとき、「嘘であってほしいと思った」と教えてくれた。

仕事で忙しい夫には負担を掛けられないため、「私が頑張らなきゃいけない」と思っていたが、療育園や特別支援学校で同じような思いを抱える母親たちと繋がっていくうちに、「自分は孤独ではない」と感じるようになった。

そして、自身が40歳を迎える頃までには、晃太朗くんの将来が見えるような道筋をつくってあげたいと願ってきた。 

そうした想いが実を結び、39歳のときには、障害のある子どもの母親たちと任意団体「障害者のしごとを考える母の会」を発足。

2017年6月のことだった。

その3ヶ月後には、沼津市の文化交流プラザで子どもたちの展覧会を開催したというから、そのスピード感には驚かされてしまう。 

「初年度は作品が無かったので、特別支援学校などで制作された作品を拝借しました。仕事に繋げていくためには、子どもたちの得意なことや表現を紹介すること、お母さんたちも楽しんで取り組むこと、生き生きとしている姿を子どもたちに見てもらうことが大切だと思います。お母さんたちが得意な手芸のワークショップを開催するなど、子どもたちの将来の仕事に繋がるようなスキルアップのためのセミナーや勉強会を実施していきました」 

次年度からも毎年展覧会の開催を続け、誰もが気軽に関わることのできるイベントやワークショップ、仕事体験の活動などを続けている。

そして会が発足した翌年の2018年から個人事業として始めたのが、カフェと工房ぼくの色だ。 

「コミュニティだけで終わってしまっても仕方がなくって、実際に仕事をつくれないと意味がないんですよね。私は人任せにできない性格なので、自分で仕事を切り開いていきたい旨を主人に相談し、承諾してもらうことができました。いまは応援してくれています」 

そう語る沼田さんは看護師の仕事を週一度まで減らし、本格的に障害のある子どもたちの存在やその活動を広めていくことを決意。

ちょうどその頃、沼田さんは晃太朗くんのある行動に悩まされていた。 

発達障害のある人のなかには、視覚や聴覚などさまざまな感覚の過敏性を抱えた人が多いことはよく知られている。

晃太朗くんにとって、それは嗅覚だった。

小さい頃から臭いに関して敏感で、苦手な臭いがすると、先に進むことができないことも多かった。

臭いが原因でさまざまな場所へ訪れることができないという状態は、年々増していった。 

そんなとき、偶然立ち寄ったコンビニで、晃太朗くんは自動ドアが開いた瞬間に、突然オリジナル専用マシンで提供するセルフ式のドリップコーヒーの匂いを嗅ぎに走った。

挽きたての珈琲の香りを嗅いだとき、一瞬で晴れやかな表情に変わった。

そのときは沼田さんの夫が購入した珈琲を飲むことはできなかったものの、砂糖とミルクを入れることを覚えてからは美味しく飲むことができるようになった。 

「コンビニで淹れる珈琲が大好きになり、誕生日プレゼントは『コンビニの珈琲マシン』と言うので、代わりに手頃なコーヒーメーカーをプレゼントしたところ、とても喜んでくれたんです。それまで家で珈琲を飲む習慣はなかったのですが、色々な豆の匂いを嗅ぎ分けて、好きな珈琲豆を挽いて毎朝珈琲を淹れてくれるようになりました」 

カフェの仕事へ興味があった沼田さんは、晃太朗くんのこの行為を「仕事」にすることにした。

当初は、特定のスペースを持つことも考えたが、拠点をつくってしまうとその場に来て貰える人としか交流することができない可能性がある。

会の支援をしてくれていた企業が移動販売車を取り扱っていたこともあり、紹介されたツートーンのチョコレート色の車両に一目惚れをして購入し、移動販売車「ぼくの色号」と命名した。 

挽きたての珈琲と障害があるなど多様な人がショコラティエとして活躍している「久遠チョコレート」を取り扱うようになった。

「カフェと工房ぼくの色」は、障害のある人と一般の人が一緒に働くことができる社会を目指して、ものづくりの工房とコミュニティ構築のためのカフェを同時に運営している。

沼田さんによれば、「ぼくの色」という言葉は、晃太朗くんが絵や造形を楽しんでいる風景からイメージした言葉で、それぞれ違った強みを持つ障害のある人たちを「色員(いろいん)さん」と呼び、色員さんの仕事や居場所をつくる場こそが「カフェと工房 ぼくの色」だという。

イベント時には、晃太朗くんはルパン三世の格好で珈琲を入れることもある。

沼田さんがその視線の先に夢見ているのは、理想とする仕事の姿だ。

「好きなことを突き詰められるので、彼は職人として焙煎士になってくれたらいいなと思っています」と教えてくれた。

さらに、沼田さんの挑戦は続いていく。

さらなる社会参加の可能性を求めて2020年1月に立ち上げた新たな任意団体こころのままの活動は、静岡県文化プログラムの事業として採択された。 

「障害のある子どもたちの母親として、これまで地域と繋がることは難しかったんですけど、専門性を持つコーディネーターの外部からの視点やさまざまな人を繋ぐような関わりが活動の後押しとなりました。今後の夢は、障害のある人たちの活動拠点を地域の人と一緒につくっていくことですね」 

僕らがそうであるように、障害のある人もひとりで生きていくことは難しい。

沼田さんは、障害のある子どもたちに「仲間」を増やそうと尽力している。

それは障害のある人たちに関わる人を増やすということだ。

継続していくことで活動はどんどん大きくなり、少しずつ従来の福祉の枠を超えた支援者も広がり続けている。

「晃太朗と出会えたからこの世界を知れたし、いろんなきっかけを彼から貰えました。彼のいない人生は考えられません。長女はこの春から大学の看護学部へ進学しました。当事者の家族としていろんな葛藤があったんだろうなと思います。彼女の人生観は息子との関わりの中でプラスになったと感じていて、一緒に育ってきたからこそ、どう羽ばたいていってくれるのか楽しみにしています」

晃太朗くんという存在を起点に、さまざまな出逢いが生まれ、まるで吸い寄せられるかのように多様な人が繋がり合っていく。

一番身近な存在である「母親」が動かなければならなかったという現在の社会制度の希薄さは残念で仕方ないが、沼田さんのような強い意志と行動力のある女性が牽引していく未来に期待を抱かずにいられない。

「私なんてただのお母さんですから」と謙遜するが、障害のある人たちが生み出す表現に、今後はどんな人が巻き込まれていくのだろうか。

< 記:櫛野展正 >

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