COLUMN

静岡県ゆかりの祝祭芸術

加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです

vol.11
富士山静岡交響楽団の初夢

グランシップでの、富士山静岡交響楽団のニューイヤーコンサートが、期待以上に楽しいものだった。

指揮者が袖から指揮棒を振りながら小走りに出てくる途中で早くも演奏が始まったり、独奏バイオリにストも弾きながら登場したり、という動きのある演出が随所に見られた。

あるいは、指揮者自らが軽妙なトークを交えて進行し、演奏者の編成を変える場面転換がスムーズで、あまり音楽に詳しくないアナウンサーが司会をするような時に生じる間延びが避けられた。

プログラム自体が、なかなか興味深いというか、さりげなく選ばれたようで、新年にふさわしくもあり、不思議なものでもあった。

ロッシーニの「ウイリアム・テル」序曲からプログラムが始まる。
この歌劇の序曲に続いて、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲とポルカ「雷鳴と稲妻」が、そしてミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」から「ドレミの歌」他何曲かが演奏され、サラサーテ「カルメン幻想曲」で前半が終わる。
「カルメン幻想曲」はもちろん、ビゼーの著名な歌劇「カルメン」に基づいている。

こうしてみると、前半の曲すべてが、歌劇(喜歌劇を含む)かミュージカルにかかわる曲と、ダンスの曲だということがわかる。 つまり、歌や踊りや演劇とともにある音楽である。

プログラムの後半も、歌や踊りや演劇とかかわる曲目が続くが、クラシック音楽の王道とされるドイツ音楽が含まれない。

そして何よりも、「ツィゴイネルワイゼン」である。
作曲者サラサーテは、バイオリンの名手で、スペインの旧ナバラ王国だったバスク地方の出身だ(つまり、フランシスコ・ザビエルの出身地と同じ)。
子どものころから聞きなれたロマ(ジプシー)の旋律を演奏して、楽譜に書いたのがツィゴイネルワイゼンである。
楽譜はあるが、それはこの曲の場合、メモにすぎない。 あたかも津軽三味線における津軽じょんから節のように、「さわり」満載の曲は、技が冴えわたっていれば、後はどう歌うかにだけかかっている。

楽譜の記述をどこまで超えられるか。
この日はまさにバイオリンが歌っていた。 いい歌だ。


その昔、田舎町の公会堂で生のオーケストラを初めて聴いて以来60年以上が過ぎた。

それが、今や、静岡でこれだけの高い水準の演奏をする交響楽団を新年から聞くことができる。

この日の選曲は、新年ならではの祝祭性を出すためであり、特にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを意識したに違いない。
ウィーンの定番の「美しき青きドナウ」がプログラムの最後に置かれ、アンコールでは「ラディツキー行進曲」を持ち出して、客席が手拍子で応えるのは、完全にウィーンのノリだ。
こうした観客参加型の祝祭コンサートの演出によっても、しかし、観客に若い人が少ないのはどうしたことか。

観客参加による祝祭性の演出という方向性はおそらく間違っていない。 交響楽団が、純粋器楽曲だけを墨守して、あたかも苦行僧の勤行を目指すのではなく、本来あった歌、踊り、演劇などの要素を取り入れて、さらになる祝祭芸術へと突き進む必要があるのだろう。

その時に、ウィーンフィルは思いもかけないヒントを提供してくれるに違いない。

細かい説明は省くが、ウィーンフィルは、オペラ劇場管弦楽団を母体としている。 現在も、ウィーン国立歌劇場の管弦楽団として驚くなかれ、年間に300公演ものオペラを演奏しているのだ。
その歌劇場に正規に雇用された音楽家の中から選ばれた人たちが任意団体として構成しているのがウィーンフィルで、給料もウィーンフィルからではなく国立劇場管弦楽団から支給されている。

つまりは通年で300回ものオペラ公演があって初めて成り立っている管弦楽団である。
だから、突飛な提案に聞こえるかもしれないが、富士山静岡交響楽団もこの方向性を目指せばいいのではないか。
オペラを中心に据えるのである。
もちろん、いわゆるグランドオペラを毎日上演する歌劇団は県下にはないので、今さらこれを作るなど、いくら何でもかなわぬ夢だろう。

では、どうする静響。

経済学者で創造都市に詳しい佐々木雅幸さんによると、イタリア語で「オペラ」とは、いわゆる歌劇のことだけではなく、もともとは楽しく創造的な仕事のことを幅広く指したのだという。
英語で言えば、operatingのことだが、もっと楽しく広い意味があった。

つまりは、静響は今の時代に即応した新しいオペラを生み出せばいいのだ。
規模は小さくてもいいので、祝祭的な新しい総合芸術である。

幸いにして、近所にはSPACのような劇団もある。 こうした劇団との提携も考えられるだろう。
あるいは、ダンスの中でも若い人に受けるヒップホップに代表されるストリートダンスとの組み合わせなども検討の余地があるかもしれない。

富士山静岡交響楽団が指し示している方向性を、さらに飛躍させるとどうなるか、ニューイヤーコンサートのお陰で、勝手な夢を見させていただいた。

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