COLUMN

静岡県ゆかりの祝祭芸術

加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです

vol.21
横尾歌舞伎-あこがれが生み出す伝承-

子どもたちの三番叟に続いて演じられたのは白波五人男である。
それが、お世辞にも上手いとはいえないのに、拍手喝采どころか、おひねりの花が盛んに舞台めがけて飛んで、大層ウケる。
それはなぜか。その経緯を考えてみよう。

浜松市引佐にある開明座で演じられたのは、横尾歌舞伎と呼ばれる地歌舞伎だ。
横尾歌舞伎の起源発祥は必ずしも定かではないという。伝存した台本や記録などから寛政年間には演じられていたことは確かで、少なくとも200年の歴史がある。

江戸時代は、今日考えられる以上に人の行き来が盛んで、都市に掛かる芝居を観た村人が興奮して伝えたか、あるいは地方巡業の芝居の一行が近隣に来て仮小屋掛けで興行したものを見たか。
いずれにしても、世にも面白いものを見てしまった以上、これを真似て、自ら演じたいと思うのは人情の自然であった。
村にも歌や踊りの上手がいたはずで、芸達者の一人二人もいれば、たちまち興奮のるつぼで、はじめは見様見真似から、やがて本格的な芝居に発展したであろう。

しかし、芝居を年中やっているわけにはいかない。
村には様々な生業があって、日ごろは骨身を惜しまず働く。働き者ほど、しかし、同時に人生を楽しむ術も要る。

芝居はその中でも最高の場であった。
歌あり、踊りあり、三味線やら太鼓の響き、きらびやかな衣装に、おどろおどろしくも滑稽な化粧、仮小屋の表には幟が並び、出店まで出る。
穢土を離れたこの世の極楽。


公演の当日配布された保存会の資料によると、そもそも横尾歌舞伎についての最古の記録は、芝居を禁ずる御定書であるという。

寛政六年(1794)に、神事や盆中に狂言、あやつり、にわか等「決して致すまじきこと」とあるという。
その他の芸能と並んで、ここに「狂言」とあるのが歌舞伎で、それを禁じた通達が残っているのだ。
通達を出して禁じているのは、それ程にも歌舞伎や人形劇(あやつり)が盛んだった証拠である。神事にことよせて、あるいは盆の行事として歌舞伎芝居が行われていた。
 
そもそも、芝居をやり続けるために、若者たちが考え出したのが「神事」としての奉納芝居という仕掛けだった。
つまり、あくまでも神様に奉納するための神事としての芝居である。
ただの娯楽ではない。
だから、村の若者が青年会に入会すると、全員が歌舞伎をやらなければならなかったというのは、神事である以上、芝居をすることは氏子としての務めだからだ。

こうして大義名分を得て、芝居の当日はもちろん、その練習のためと称して、若者たちは公演直前だけでも公休である「遊び日」をおそらくは3日ほど獲得したはずである。
その遊び日を巡る駆け引きが、禁令にあらわれている。
若者は、年に一度ならず芝居をやりたい。しかし、村の経営を心配する長老たちは、自分たちが若いころあれほど芝居に狂っていたにもかかわらず、できるだけ日数を減らしたい。
放っておけば、若い者はどこまでもつけあがるだろう。だから禁令により落としどころを探ったのだ。 
江戸期の村の生業と休暇の研究をした専家の言うところでは、遊び日の平均は、年間に百日前後だったらしい。
だから、落としどころはおのずと決まったはずである。

そのようにして伝承されて今日に至った横尾歌舞伎である。
よそ者にどう映ろうが、当事者たちには面白くないはずがない。


浜松市北区に位置する開明座、すなわち東四村農村コミュニティーセンターには、150人ほどの人が詰めかけ満員の盛況である。
まず、子どもたちによる三番叟。この下座音楽がすばらしい。

これに続いて、白波五人男。

私が開明座に公演を見に行ったのは、昨年の秋だった。
これに先立って、明治神宮で「日本の郷土芸能大祭」という催しがあり、実はそこで横尾歌舞伎のこの演目を見て、興味を持ち本場までやってきたのだ。
芸能大祭の方は、全日本郷土芸能協会の創立50周年記念の催しだったが、全国各地から様々な郷土芸能がやって来ていて、そこに選ばれたのだから、横尾歌舞伎の注目度はすごいのだ。
もっとも、岩手県早池峰(はやちね)の大償(おおつぐない)神楽、島根県の石見神楽などという、郷土芸能中でも特に洗練された出し物に囲まれて、横尾歌舞伎は少々緊張気味ではあった。

開明座にもどると、冒頭にふれたように、あまり上手とは言えない出し物に、おひねりの花が飛ぶ。
特に子どもたちが喜んでいる。
これは子どもの演技をハラハラして見ている親たちの逆で、親の演技を、子どもたちがハラハラドキドキして見ていて、何とかやりおおせたのに安堵して、さらには誇りに思っているのだ。
 
これに続いて、絵本太功記から十段目の尼ケ崎閑居の場が演じられたが、これは立派に芝居になっていた。

さらに何より感心したのは、その間奏に子どもたちによって弾かれた三味線の見事だったことだ。
中学生から小学校高学年くらいの子どもの演奏を、低学年の子どもたちが食い入るように見とれ聴き入っている。

そうか、わずかの年齢の差だが、この憧れ、自分もお姉ちゃん、お兄ちゃんのように弾きたい、という憧れが、郷土芸能の伝承を支えているのだ。

地歌舞伎の面白さは、時折台詞の中に今日では禁句とされている表現が混じるというところにもある。
黙阿弥などによる改変以前、さらにはGHQの検閲以前の台本が伝承され演じられているのだ。だとすると、江戸歌舞伎の研究には、地歌舞伎の台本研究が参考となる場合があるということか。
そういう研究もすでになされているのだろうが、横尾歌舞伎は奥が深い。
 
今年の秋も待ち遠しいことだ。

*横尾歌舞伎2024年は、10月12日、13日に開催される予定。

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