加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです
静岡県ゆかりの祝祭芸術
三島で去年始まった「満願芸術祭」に、ビーズを編んだカーテンの作品が出ていた。
三島から見える雲のかかった富士を中心に、町並みと林が織り込まれている。白い雲、青と黒の山肌、緑の木々の中に朱や黄色が混じる。
作者の辻梨絵子さんによると、色の違うビーズを選んで、一つ一つ糸に通すのに、何人もの人の手助けがあって、この美しい作品ができあがったのだという。
嬉しいことに、その作品が今年も展示されている。
三島ではありふれた景色を、様々な色のビーズを用意して、パズルのように糸を通してわざわざカーテンに仕上げるのはなぜだろうか。
おそらくこうした手間暇をかけることによって、実際にモノを見ることの難しさと、楽しさを改めて問うているのだろう。
この作品に出合って、その昔、やはり、ビーズを糸に編んで、簾(すだれ)というかカーテンとした作品に心が震えたのを思い出した。
それは、フェリックス・ゴンザレス=トレスの作品で、現代美術の企画展示で見たのだが、思いがけずソウルでも、企業が設立した美術館で再会したことがある。
かき分けながら通り抜けるときの、何と表現したらいいのか、頼りなくも切ないような、しかし、かき分けるモノの確かな抵抗感があって、小さくとも確かな希望が見えるような、そういう感じだと言えようか。
面白や どの橋からも 秋の不二
三島といえば、正岡子規はこんな句を詠んでいる。
富士の伏流水が湧き出す三島には、小川の流れに掛かるどの橋からも秋の富士が見える。
本当にどの橋からも見えたかどうかはともあれ、こう言いたくなるほどには、どこからでも富士が見えたのだ。
しかし、三島の人にとっては当たり前すぎる情景で、それをどうして子規は句にしたか。
これは芭蕉への挑戦だったかも知れない。
芭蕉は、箱根の関を越えて、三島に下ろうとしたとき、富士が見えなかったらしい。時雨が降って霧がかかっていたためである。
けれどもそれを芭蕉はあえて句に詠んだ。
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き
こういう文学的修辞を近代人たる子規は理解しなかった。
富士は見えるから面白いのではないか。現に、三島に下れば、どこからでも富士は見える。
それで、この芭蕉の句に挑みかかる意気込みで、子規は先の句を詠んだ。
明らかに芭蕉に挑戦しているではないか。
まさに見たままを句にしたのは、「実際の有がままを写す」写生を提唱した正岡子規ならではのことだ。
そうではあるが、しかし、富士が見えるのを面白いと表現するのでは、あまりにも凡庸ではなかろうか。
文学としてどちらが優れているかという評価はさておいても、見えない富士を想像して、心中にはっきりと見て取ることこそが、表現としては面白いのではないか。
旧時代に対抗して、斬新な表現を開拓したはずの近代人の表現力が、随分薄っぺらになり、かえって陳腐に見えるのは、眼前にないものを想像する力を軽視したからではなかったか。
芭蕉と子規の句を三島で比較することになったのは、現代のアートプロジェクトである「満願芸術祭」を見て歩いたおかげだ。
桜川沿いにいくつも文学碑が建てられていて、まさに、芭蕉の句と子規のそれが並んでいた。
これを建てた人の鋭い文学観に感服するが、眼前に見えるものの写生と、見えないものへの想像力と、文学の創造にはどちらも必要だろうが、どちらをより重視すべきかと、問うているようである。
ふと、乾武俊が千利休についていった言葉を思い出す。
「現実の否定をつうじて、よりアクチュアルな現実を照らし出すことがフィクションとしての茶の機能である」と。
この「茶」を「文学」あるいは「アート」に置き換えてみると、芭蕉の面白さ、アートプロジェクトの面白さの秘密が解けるのではないだろうか。
してみると、近代知識人のやったことなど、つまりは近代科学に親炙して写生とか実証とかいってみたが、フィクションを軽視した結果、現実以上に「アクチュアルな現実」など到底表現できなかったのではないか。
二人の句に限らず、三島は少なからぬ文学作品の舞台となっている。
「満願芸術祭」も実は文学作品がその名称の由来だという。
「満願」というのは、神仏への願いが、その期が満ちて成就することだが、太宰治が三島に滞在して『ロマネスク』という小説を書いた際、身辺の些事に触れた、ごく短い小説が『満願』である。
その主題は、庶民の小さな幸せの成就で、太宰はそうしたことに心配りをする人だった。
太宰は三島を主題にしては『老(アルテ)ハイデルベルヒ』という小説も書いていて、出生地の津軽と並んで、太宰文学にとって三島は重要な土地だった。
『ロマネスク』の結末では、それまで別々の人生だったはずの登場人物三人が一堂に会し、「いまにきっと私たちの天下が来る」と啖呵を切る。
「私たちは芸術家だ。王侯といえども恐れない。金銭もまた我らに於いて木葉の如く軽い。」
さて、彼らの思うような天下が来たかどうか、まだまだ道遠しではあるが、アートの面白さは、眼前に見えないものを想像力で創造することにある。
芸術家であろうがなかろうが、だれでも想像力を働かせる権利はある。
「満願芸術祭」のような地域に根差したアートプロジェクトが展開することは、県民全てが表現者となる状況が生み出されることだ。
だからみんなで「私たちは芸術家だ」と啖呵を切る世の中が来るであろうことを太宰は、この三島の地で予言したのである。
この予言こそ、県民全てが表現者だ、という我々の目標と重なり合うではないか。
かくして、二年目の今年は「満願芸術祭」も広がりを見せ始めた。
佐野美術館庭園の隆泉苑や浅間神社にも小林万里子さんの作品が置かれた。
浅間神社には豊かな色彩の鳳凰の羽ばたく姿があった。
文化の伝承の場に、新たな創造が加わる。
こうした新旧の出会いが、古い文化と新しい文化の双方に光を当てる。
市中を縦横に流れる水路の一つ、源兵衛川のほとりには、水車のついたミニチュアの小屋がつくられている。
しゃがんで中を覗いてみると、小屋の壁には何と小さな作品が展示されている。
さながら、世界最小の美術館というべきか。
こうした作品を見て回ると喉が渇く。 その時は、カフェ「ラ・ペー」で喫茶はいかが。
水戸部春奈さんの「きおくのきろく」を眺めながら、お茶をいただく。
アートプロジェクト見学は少々歩き疲れるが、目だけではなく喉も、そして心も潤うのである。
「満願芸術祭」は、こうした試みを継続する中で、やがてアートプロジェクトのネットワークのハブとして重要な役割を果たすに違いない。