加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです
静岡県ゆかりの祝祭芸術
近年、熱海が熱い。
「アートの街、熱海」をめざして、温泉の街は、先ごろ大規模な展覧会「ATAMI ART GRANT」を街中に展開した。
また、これ以外にも 熱海未来音楽祭、 熱海怪獣映画祭 なども行われており、アートプロジェクト間の緩やかな連携も見られるようになってきた。
「ATAMI ART GRANT」のメイン会場となったホテル・ニュー・アカオは1973年の建築だという。 半世紀前だ。
その時代はまさに高度経済成長の完成期で、これから到来するであろう豊かな時代への最大限の期待を担って、このホテルは建てられたことになる。
客室のあちらこちらに現代の若手を中心としたアーティストの作品が展示された。
ホテルという立地を考え、観光や宿泊を意識した作品も散見する。窓の外に開けた海が作品と溶け合った部屋もある。
ホテル内を探索するように今日ただ今のアート作品を見ながら、当時の豊かなイメージがどういうものだったかを見て歩くことになり、時代の落差に頭がクラっとする。
全面に広い窓を開けて、初島を浮かべた海が手に取るように見える大広間には、奥にステージがあり、その壁には西洋古典美術を思わせる美しいレリーフが飾られている。
人々は楽器を抱えており、演奏する楽曲までもが聞こえてくるようだ。海に浮かぶ大広間の西洋風レリーフ!
これこそが当時の豊かさのイメージの象徴で、この大広間での宴会に参加することが、どれほどのステータスだったかを忍ばせる。
今ではだれも信じないだろうが、あの時代、例えば友人がフランスに留学するとなったら、家族はもちろんだが、幾分かの羨望を心に秘めて、友人知人もこぞって羽田空港まで見送りに行ったものだ。
出発する当人が初めて手にした外貨であるドルの交換レートは、1$が360円に固定されていた。 そういう時代だった。
どんな時代にも人は今より豊かで幸せな生活を夢見る。
留学など程遠いとしても、多くの庶民のささやかな夢の一つが熱海での新婚旅行で、全国各地から新婚夫婦が熱海に押し寄せていた時代だ。 幸いにも、典型的なDVともいうべき寛一お宮の銅像は、まだ建てられていなかった。
当時の人々が持った夢は幾分かは実現したであろう。
しかし、その一方で、子育て世代が伸び伸びと子育てができる社会はひたすら狭まり、少子社会が誕生し、高齢化への対処もままならず、都市でも田舎でも、人々の孤立、孤独が進み、先進資本主義においては類例を見ないほどの貧困率の高さをもたらしてしまったのも事実だ。
そこで、アートの出番である。
アートが社会課題を解決するのではない。 けれども、アートは社会課題に新たな照明を当てる。 あるいは、新たな切り口を提供する。
会場ではいろいろ不思議な体験もした。
ドアを開けると、おっと、中に見えるのは建物のコンクリートのむき出しの躯体だけで、アートらしきものは何もない。 それが特殊なゴーグルをつけて眺めると、あら不思議、蓬莱山のように(比喩が古くてスミマセン)幻想的な風景が浮かび上がってくる。
これが冨安由真のアート作品である。 世界には確かに存在して見えているものと、存在するのに見えていないものがある。
したがって、今私に、このようにしか見えていない世界も、あるいは何らかの働きによって、違った世界になるかもしれない。
その働きを想像力というのだろう。 そうした想像力による創造を、我々はアートと呼んでいる。
アートは世界の見え方を変え、ついには世界そのものを変えるきっかけになる。
アートが見せた新たな切り口のおかげで、経営に行き詰まったホテルが再生するかもしれない。
一つのホテルだけの話ではない。 熱海全体が沸き立ち渦巻くようになるだろう。
展覧会のテーマは「渦――Spiral Atami」とされているのだから。
そのためには、アート側がさらに一層社会の現状に切り結ぶ必要があるかもしれない。
個人の思いから出発しつつも、もっと広い視野に立って、人々の共同の夢に取り組まねばならないだろう。
アートイベントだけでは街づくりはできない。 社会を変えるには、アートがアートプロジェクトになり、持続性のある事業として展開していく必要がある。
ホテルは所有者が変わったので、「ATAMI ART GRANT」も、来年からは会場も変わるらしい。
幸いにも、広大な敷地での「ATAMI ARTIST VILLAGE」を展開する構想だという。
アートプロジェクトが、古民家や空き店舗さらには街並を再生する事例が増えてきている。
アートは生活と深くかかわるものだ。 豊かな食材のある土地で、何よりも茶所としての価値をさらに高める必要がある。
祝祭芸術が開花することで、儚いが美しい夢の跡が次々と甦り、地域社会は創造性を帯びるに違いない。