COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.84

混沌」を資源に変える即興の舞台

(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)

熱海という都市は、文豪の記憶と戦後の歓楽の喧騒が、急斜面に無秩序に折り重なった都市の混沌を体現する。

この混沌は、熱海が持つ対立する二つの時期によって形成されてきた。

明治から昭和初期にかけて、徳富蘇峰、谷崎潤一郎、川端康成ら著名な作家の静養と創作の拠点であったこの地には、文学的背景による精神的な深みが根付いていた。

しかし戦後、この静謐さの上に、大規模な旅館や歓楽街の急増という開発の活発な動きが重なり、都市の風景は一変した。

その結果、熱海は静謐な文学の記憶と活発な観光開発の記憶という二つの極端な側面が混在する不完全な状態となった。

しかし、この不完全で不安定な状態こそが、現代の熱海における芸術活動にとって、最も豊かな創造の資源となっている。


巻上公一さんが率いる熱海未来音楽祭は、この混沌に対し、「即興」を核に据えることで、都市に即時的な創造と活気をもたらそうとしている。

巻上さんは、即興の力を指して「熱海だからこその化学反応」と述べており、これは熱海の特異な現状をすべて受け入れ、創造的な活動のエネルギーに転換しようとする彼の姿勢を示す。

この哲学は、巻上さんのバンド活動にも一貫している。

彼の核となるバンド「ヒカシュー」は、1978年の結成以来、テクノポップから即興音楽へと常に形態を変化させてきた。

結成47年目に、サックス奏者の纐纈雅代さんが新メンバーとして加わったことは、バンドの形態を固定せず、常に変化と異質な要素を受け入れる彼の姿勢を体現している。

新メンバーの纐纈雅代(サックス)、黒谷都(人形演劇)によるライブ「顔のモノ語り」

さらに、巻上さんは今年初参加となったアメリカ出身のマルチ奏者であるサム・ベネット(Samm Bennett)とも長年にわたり共同作業を続けている。

ベネットはエレクトロニック・パーカッションと多様な楽器を用い、日本の即興音楽界において国際的な視点を導入してきた存在であり、これは巻上さんが熱海というローカルな舞台を、グローバルな創造の試みを行う場として位置づけていることを示す。

坂口光央(シンセサイザー)とサム・ベネット(ボーカル、パーカッション)

巻上さんは、この柔軟な姿勢と熱海出身在住であることによる地域への愛着を融合させ、自身の海外のコネクションを活用し、熱海を創造的な試みを行う場として世界を見据えている。


初めて視察した第7回熱海未来音楽祭では、この即興による都市への具体的な介入を垣間見ることができた。

参加者が「白いカモメ」を手に街中を練り歩くパレード「波間から迷宮へ——口琴パレード」では、道中のコンビニ前で触発された若い女性が突然踊り出すという予期せぬ出来事が発生した。

この即興のエネルギーは、地域住民に参加意欲や高揚感として伝わり、多くの観光客が驚いてカメラを向けていた。

こうした体験は、日常の喧騒や都市の音を即興音楽の一部として取り込むことで、街の見え方や音の知覚を根本的に変えるという、芸術の異化の価値を生み出し、人々の創造性を強く触発している。

また、起雲閣では、巻上公一さん(ボイス、テルミン)、坂口光央さん(シンセサイザー)らが、エレクトロニクスと人間の声が交錯するパフォーマンスを展開し、歴史的な空間に異質な音を介入させることで、過去と現在の間に創造的な摩擦を生み出していた。

熱海における芸術活動は、この熱海未来音楽祭に加え、空きビルなどを展示空間へ転換するATAMI ART GRANT、特撮の力で地域を掘り起こす熱海怪獣映画祭、そしてクリエイターの拠点提供を目指すGLOUND ATAMIといった多層的な活動によって成り立っている。

なかでも熱海未来音楽祭の特異性は、その都市の混沌への具体的な応答にある。

多くの即興を軸とした音楽祭が音の実験や音楽的境界の拡張に主眼を置いているのに対し、熱海未来音楽祭は、熱海の急な坂道や老舗旅館といった都市の物理的な構造や記憶の不完全性そのものを、即興の対話相手として設定している。

これは、アメリカのHIGH ZEROやノルウェーのAll Earsが追求する純粋な音楽実験よりも、イタリアのTolfamaが試みる「場所特有の即興芸術」に近い。

しかし、Tolfamaが演劇やダンスに重点を置くのに対し、熱海は音楽(電子音響・ボイス)を核としつつ、美術や身体表現を融合させたパレードとして都市に介入する点が特異である。

巻上公一による口琴のWS

上記のパレードにおける路地の舞台化や、歴史的空間である起雲閣に電子音響を介入させる行為は、都市の構造的・歴史的な不完全性を否定せず、即興の素材として積極的に利用している。


熱海未来音楽祭がもたらす最大の価値は、何より経済効果を超えた場所にこそある。

巻上さんの柔軟な哲学と即興という行為が熱海という場の混沌を肯定し、住民を巻き込むことで生まれる活動的な雰囲気は、地域に暮らす人々に「私たちの街はまだ活気がある」という地域アイデンティティの回復と精神的な豊かさという、経済効果を凌駕する価値を創出している。

特に、都市の喧騒や固有の構造を、即興の創造の素材として再定義する活動は、住民に内発的な誇りを与え、地域社会の閉塞感を打ち破る可能性を秘めている。

長与江里奈(ダンス)

熱海の混沌は、巻上公一さんの哲学と即興という手法を通じて、尽きることのない創造の光源となる。

それは熱海サンビーチに新設されたラビリンスドアの鏡面に映り込み、いま熱海の街へと広がっている。

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