文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく

vol.97
「先生」のいない場所
(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)
「こんなにも皆さんが弊社のために色々なアイデアを考えていただいていることに感激している」。
8月22日、株式会社サンが所有する「サン用宗研修センター」で開かれた座談会の終盤、同社の才茂代表取締役専務がこぼした一言だ。

この言葉には、値段も採算も出てこない。
ただ、驚きと戸惑いと嬉しさが、そのまま声になっていた。
その日、HAHAHANO.LABOが呼びかけ役となり、この清掃業を主軸とする企業が持て余していた研修施設に、福祉関係者だけでなく、静岡大学の教員、店舗経営者、デザイナー、今後の協働を予定している企業の社員たちまで、約50人が押し寄せた。


テーマは「この場所をどう使うか」。
ただそれだけの、答えのない問いだった。
株式会社サンといえば、テレビCM「1、2、サンです!」でお馴染みの、静岡では知らない人のいない清掃会社だ。
今回会場となったサン用宗研修センターは、かつて新入社員研修や管理職会議等で賑わっていたが、コロナ禍を境にリモート主体の運営へ移行し、遊休期間が長期化している。

おそうじ体験とサン独自の検定制度。
インバウンド向け掃除講座。
アーティストが一晩かけて行うライブペイントを見守り、翌朝サン社員が消すという企画。
赤ちゃんの夜泣き駆け込み寺。
地域住民の得意分野を活かしたバザー。
実現可能性もばらばらな、玉石混淆のアイデアが飛び交う。
正直、まったく洗練されていない会議だった。

「アートプロジェクトの価値は、完成された作品よりも、こうした未完成で混沌としたプロセスの側にある」。
そう語られることは多い。
僕自身、これまで幾度となく、そう書いてきた気がする。
しかし、なぜそれが「良い」のか。
その理由を突き詰めて考えたことは、実はあまりなかった。
あの日の座談会に立ち会いながら、僕はこの手垢のついた言い回しを、もう一度自分の手で解体してみたくなった。
誰も「先生」になれない
理由の一つ目は、混沌が続く間、そこに集う人たちの「役割」がまだ確定していない、ということだ。
もし株式会社サンが最初から「福祉施設に清掃道具のデザインを発注する」というかたちで話を進めていたら、両者の関係は一瞬で「発注者」と「受注者」に固定されていただろう。
「企業が福祉団体を支援する」という体裁を取れば、「支援する側」と「される側」という、聞き慣れた上下関係にすぐさま落ち着いてしまう。
しかし、あの日の座談会に、そうした役割は存在しなかった。

清掃のプロである株式会社サンの社員も、長年福祉に携わってきたHAHAHANO.LABOのメンバーも、初めて顔を合わせた静岡大学の教員も店舗経営者も、「遊休施設をどう使うか」という問いの前では、全員がただの素人だった。
誰も答えを持っていない。
だから、誰も「先生」にならずに済む。
この「全員が素人である」という一時的な平等状態こそが、混沌の効用の正体なのだと思う。
完成形やプロダクトが早々に決まってしまえば、この平等な時間はすぐに終わってしまう。
答えを急がず未完成のままにしておくことは、役割が固定される前の、まだ誰もが対等でいられる猶予期間を、意図的に引き延ばす技術でもあるのだ。
損得の外側にある反応
理由の二つ目は、完成されたプロダクトが持つ「値付け」の力から、いっとき自由になれることだ。
商品として世に出た瞬間、それは必ず値段や採算という物差しにかけられる。
安いか高いか、儲かるか儲からないか。しかし、まだ何のかたちも取っていないアイデアの群れは、そうした損得勘定の外側にいる。
冒頭の才茂専務の言葉を、もう一度思い出したい。
「感激している」という反応は、経済合理性からは出てこない。
もしあの場に出ていたのが、精査され、価格まで算出された一つの企画書だったなら、専務は「検討します」と答えたはずだ。
損得を超えたところで初めて生まれる、この種の反応こそ、アートプロジェクトが企業の中に持ち込める、数少ない資源なのだと思う。
清掃道具のデザインというアイデアが、この協働のきっかけだったことは事実だ。
ただ、それはあくまで一つの種にすぎない。
あの座談会は、清掃道具の商品化に向けた打ち合わせでは、もとよりない。

企業の中に生まれた「この人たちとなら何か面白いことができるかもしれない」という機運が、清掃道具というアイデアを離れ、施設全体を巻き込むかたちで、勝手に増殖していった結果だ。
株式会社サンのウェルネス事業部は、藤枝東高校サッカー部への協力やJリーガーのセカンドキャリア支援、トランポリン日本代表選手の社員採用など、本業とは異なる才能を受け入れてきた実践知をすでに持っている。
損得の外側で判断する経験を、すでに何度も積んできた企業だったからこそ、清掃道具という一つのアイデアが、思いもよらない方向へ転がっていくことを面白がれたのだろう。
混沌は放っておくと終わる
とはいえ、この二つの効用——役割の未確定さと、損得の外側にある反応——は、放っておけば自然に長続きするものではない。
役割は誰かが決めなければやがて曖昧なまま宙に浮くし、感激は時間が経てば冷めていく。
混沌は、意図的に手入れをしなければ、あっという間に「いい話で終わった一日」として風化してしまう脆いものだ。
今回は初めての試みだったこともあり、株式会社サン側の意向で来館者を限定し、HAHAHANO.LABOが知人等に声をかけるかたちで参加者を集めた。
次回以降、対象をどこまで広げ、継続的な座談会をどう設計していくか。
役割が固定される前の対等な時間を、どれだけ意図的に延命させられるか。
そこにこそ、この協働の価値が問われることになる。
清掃道具のデザインも、研修センターの活用も、それぞれ別の速度で、別のかたちに育っていくのだろう。
ただ一つ確かなのは、この「まだ誰も何者でもない」時間を、僕はHAHAHANO.LABOとともに、これからも意図的に耕し続けていくということだ。

あの一言を、次回もまた聞けるかどうか。
それは才茂専務ではなく、僕らの側の宿題だ。
