超老芸術
ほんだ てるお
本田 照男
本田 照男
1946年生まれ
静岡県沼津市在住
沼津市内で、1969年に「焼肉ペテコ 本田苑」を開業。
60歳になったある日の夜に、ラジオからバッハの《マタイ受難曲》が流れてきた際、自動筆記により初めて絵を描く。
以後、絵画制作を中心とした暮らしを送るようになる。
家族との離別や実弟の逝去、店舗の閉店など数々の不幸に見舞われるが、絵を描き続けることで自身の心の安定を保つことができているようだ。
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1946年生まれ
静岡県沼津市在住
沼津市内で、1969年に「焼肉ペテコ 本田苑」を開業。
60歳になったある日の夜に、ラジオからバッハの《マタイ受難曲》が流れてきた際、自動筆記により初めて絵を描く。
以後、絵画制作を中心とした暮らしを送るようになる。
家族との離別や実弟の逝去、店舗の閉店など数々の不幸に見舞われるが、絵を描き続けることで自身の心の安定を保つことができているようだ。