COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.40

流れ落ちる絵の具の軌跡

(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)

「とにかく笑顔で」

浜松市出身の美術家でアートディレクターの中津川浩章さんは、事前の打ち合わせで、集まった人たちに「障害のある人たちのアート活動」に対する自らの経験談を優しく語りかけた。

会場である静岡県総合コンベンション施設「プラサ ヴェルデ」に集まったのは、障害のある子どもやその母親たち、そしてサポーターとして参加した県内の高校生たちだ。

準備段階から高校生たちが携わった

本事業は、沼津市内の任意団体「こころのまま」による障害のある子どもたちを対象とした初めての絵画制作イベントで、数回のワークショップで完成した作品を静岡県内の企業に展示することを通して、将来的には仕事へつなげていくことを目指している。

このワークショップで、「こころのまま」が昨年制作した冊子で中心的に取り上げられていた「ここちゃん」と初めてお会いすることができた。

彼女は、進行性神経難病を抱え、現在は車椅子での生活を余儀なくされている。

まずは、彼女に使いたい絵の具を選んでもらうことから始まった。

高校生たちが何色かの絵の具を彼女の手元に置いてみる。

どの絵の具に対しても指先がピクンピクンと反応する。

しばらく経つと、自助具である「指筆」を付けてもらい、小さなキャンバスの上で動かした指の軌跡が、かぼそい線を描いていた。

ただ、ここちゃんは目から入る刺激が多いと体全体がピクンと波打ち、それが発作を誘発してしまうこともあるようだ。

そのため、ここちゃんの目線の高さまで日除けシェードが降ろされている。

しゃがみ込んで、彼女の顔をしばらく眺めているうちに、僕は居ても立っても居られなくなり、一番大きなキャンバスを持ってきて高校生たちに声をかけた。

「せっかく描いているのに、ここちゃんは自分の手元が見えていない可能性もあるから、これを使ってみて。それにこの指筆だと『自分が描いている』という感覚を味わうことが難しいから、直接手に絵の具をつけてみよう。きっと絵の具に触れる触覚や絵を描くというよりも絵の具が流れることが好きなのかも知れないから、高校生たちでキャンバスを自在に動かしてみて」

ここちゃんの手にべっとりと絵の具をつけると、ピクンピクンと反応した。

そして、高校生たちがキャンバスをくるっとひっくり返したあと、キャンバスに流れ落ちていく絵の具の軌跡をはっきりと目で追い続けていた。

彼女の後ろに回って観察してみると、キャンバスをひっくり返す瞬間に、キャンバスの裏側から絵の具の軌跡が透けて見えた。

まるで「いないいないばあ」のようにキャンバスをひっくり返した瞬間に立ち現れる色の動きが、楽しかったのかも知れない。

とても興奮した様子で、ここちゃんの体が動いていた。

「チャンネルが合う」というのだろうか、こんな瞬間を僕はこれまで何度も目にしてきた。

もちろん、これは学生たちとの共同制作ということになる。

でも、結果的に参加者の中で一番大きなキャンバスを描いた彼女の姿が、僕はなんだか誇らしかった。

当然のことながら、この支援が正解だったのかは誰にも分からない。

終了後のフィードバックでここちゃんを担当していた学生が「最初に絵の具を選んでもらったとき、どの色にも反応していたから、どれを選んだら良いか分からなかった」と感想を述べてくれた。

気づけば、僕が障害のある人たちの芸術活動の支援に携わって20年以上が経過している。

ずっとこんな風な試行錯誤を続けてきたわけだけど、「正解が分からない」ことこそ障害のある人たちの支援の面白さだといえる。

悩んで悩んで悩み続ける。

それが正解かどうかなんて分からない。

でも、こんな風にここちゃんの作品づくりに関して、みんなで真摯に考える機会は今まであったのだろうか。

そう考えると、どんなに立派な作品を生み出すよりも、このワークショップはきっと貴重な体験になるはずだ。

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