文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく
vol.42
セレンディピティの種がある
(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)
「最初は席に着いてくれなくて、どう対応して良いか分からなかったけど、後半は創作に参加してくれたので良かったです」。
沼津市内の任意団体「こころのまま」主催となる2度目の絵画制作イベントで、サポーターとして参加してくれた沼津西高等学校と田方農業高等学校の高校生たちから、こんな感想が聞こえてきた。
話題になっていたのは、めいちゃんという障害のある高校2年生の女の子だ。
障害のあるメンバーが静岡県総合コンベンション施設「プラサ ヴェルデ」のホールで、創作活動に集中している中、めいちゃんは、色とりどりのシールを手に持って、他の仲間たちに声をかけて回っていた。
高校生たちが「こっちでシールを貼ろう」と誘っても、その場を離れて逃げ出してしまう。
その掴みどころのない様子に、高校生たちも随分と苦心している様子だった。
しばらく経つと、楽しい環境を作りだそうと思案した高校生たちは、自分たちで画用紙にシールを貼って創作の様子を見せていた。
それでも、めいちゃんが席に座ることはなかった。
彼女のこうした様子は一見すると、「あまのじゃく」と呼ばれる行為なのだろう。
少しの間、めいちゃんを観察していて気づいたことがある。
誰かが話していると会話に割り込んでくること、みんなの前では大きな足音を立てて歩くこと、そして決して建物からは出て行かないことだ。
これらは全て、「私を見て」というサインであり、誰よりも彼女は人との関わりを求めているように感じた。
ホールから抜け出す彼女の後ろ姿をこっそり追いかけると、誰もいない控室で紙とペンを広げて、ひとりで絵を描いていた。
僕の姿に気づくと、ドアの前に寄りかかって中に入らせないようしている。
ホールへ戻って、高校生たちへその様子を伝え、「間接的な伝え方」を提案した。
めいちゃんのような自閉症スペクトラムの人の中には、対人間での直接的なコミュニケーションよりも、間に物を介した意思疎通を得意とする人たちが一定数存在している。
例えば、以前に僕が働いていた福祉施設で、ある自閉症スペクトラムの男性が、他の人の部屋に入ってCDを聴いていることがあった。
僕は「音楽に興味があるのでは」と考え、彼が好きそうなCDを購入して渡したところ、大声で拒絶されてしまった。
そこで今度は、整理整頓が好きな彼のこだわりを利用して、部屋のあらゆる家具の隙間に多量のCDを隠しておいたところ、整理整頓の途中にCDを見つけ出し、以後、自室で落ち着いて音楽を聴くことができるようになった。
彼にとっては偶然に発見したと思っているCDだが、全ては僕が敷いた「支援」というレールの上に乗っていたわけだ。
「『描こう』と誘っても逃げてしまうのであれば、逆に、『絶対に描かないで』と言って、控室に画材を置いてみたら。それから、あなたのことを気にしているよとアイコンタクトは常に忘れないで」。
早速、僕の提案を学生たちが実践してくれたところ、いつの間にかめいちゃんは、ホールのさまざまな場所で手に持った画用紙にシールを貼ったり絵を描いたりするようになっていた。
果たして、この手法が成功したからなのか、その真意のほどは分からない。
けれども、こうした試行錯誤の繰り返しこそが、障害のある人たちの支援の面白さだと感じている。
一方で、かんたくんは、「土星」や「スペースシャトル」と言いながら、宇宙をテーマにした絵を描いていた。
その時に、横から「ソフトクリームは?」などと声をかけてみたら、彼はソフトクリームの絵を描いてくれるのだろうか。
ゆうこちゃんは、漫画『ちびまる子ちゃん』の表紙を見ながら、一文字ずつ字を書いたり、キャラクターの絵を描いたりしていた。
もし、表紙をパラリとめくってみたら、もしかすると今まで見たことのないような絵が生まれるのだろうか。
そんな僕の妄想は止まらない。
こうした偶然に幸運な予想外の発見をする能力は、「セレンディピティ」として知られている。
昔、セイロン(現在のスリランカ)の国の王様が三人の王子に宝探しを命じた。
第一の王子は、宝石があると思われる山に脇目もふらず突き進んだ。
途中で目にしたことなど、それこそ眼中になかった。
第二の王子は、サボり癖か、休みやすみ行った。
そのとき足元に落ちていた見慣れぬ石を目にして、拾い上げて見るには見たが、宝物としての価値がないと言って捨ててしまった。
第三の王子は、宝石があると思われる山に向かうが、闇雲に行くのではなく、計画を立てて進んだ。
ある場所で休息をとっていた際、足元に落ちていた見慣れぬ石を目にして、拾い上げて見た。それは、目的とする宝石ではなかったが、素晴らしいものであることに気付いた。
そして、当初の計画を打ち切って、それを持ち帰った。
言うまでもなく、この第三の王子がセレンディピティに恵まれたのである。
水と間違えて炭酸水を入れたことで生まれた「コカ・コーラ」や木からりんごが落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したニュートンのように、歴史的な大発見や進歩の多くはセレンディピティが働いた結果だとされている。
どんな状況下においても常にアンテナを張っておくことこそが、セレンディピティを引き寄せる近道と言えるだろう。
そうした意味では、障害のある人たちの目線の動きや何気ない仕草や癖など、彼ら彼女たちから発せられる言葉にならない行為から、僕らは何らかのメッセージを読み解く必要があるわけだ。
支援とは、ただ側にいることではない。
微細な心の動きを感じ取り、障害があるが故にそれまで経験することの少なかった人たちにとって、時には新たな画材へ挑戦できるよう促してみることだって大切かもしれない。
そうした思考実験の場こそ、この会の大きな魅力となっている。
事実、回を増すごとに高校生たちからは活発な意見が出始めている。
そして、こんな素晴らしい空気感が生まれているのは、30年以上障害のある人たちの支援に関わり続けている美術家でアートディレクターの中津川浩章さんのファシリテーションの力によるものだ。
この場は、今後中津川さんから高校生たちへバトンを受け継いでいく予定になっている。
どんな風にバトンが繋がれていくのか期待に胸を膨らませると同時に、この場は高校生たちにとっても、きっと良い人生経験の場になっているはずだ。
終了後、すぐに中津川さんの元へ駆け寄り、熱心に質問を投げかけている高校生たちの姿を見て、僕はそう確信している。