COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.17

想像力で街を歩けば

(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)

その男、山下陽光(やました・ひかる)

以前、ディレクターとして勤務していた広島の美術館で、2014年に山下陽光(やました・ひかる)くんの初個展を企画開催したことがあった。

いまや芸能人からも愛用者の多いリメイクファッションブランド途中でやめるのデザイナーである陽光くんは、著書『バイトやめる学校』やアーティスト・下道基行さんとの「山下道ラジオ 新しい骨董」などを通じて、常に新しい時代の生き方を発信し続け、最近はわさび取りに夢中になっているというちょっと変わった人物だ。

そんな彼にとって、初となる個展のタイトルが『山下陽光のアトム書房調査とミョウガの空き箱がiPhoneケースになる展覧会』だった。

ミョウガの空き箱云々というのは、当時発売されていたiPhone 5とミョウガの空き箱がピタリとハマってしまうという現象を説明したもの。

おそらく誰もiPhoneケースがスーパーに並ぶミョウガのトレーと同じサイズだなんて気づかなかっただろうし、何気ない日常のなかでそれを発見してしまうのが陽光くんだった。


謎の古書店「アトム書房」

そして当時、彼が3年に渡って研究を続けていたのが、「アトム書房」に関する調査だ。

アトム書房とは、原爆投下直後の広島で原爆ドーム前に現れた古書店のことで、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が連載される何年も前に「アトム」という「原子力」を意味する語を店名に冠するなど、その挑戦的とも言えるメッセージは、2011年の東日本大震災と福島第一原発の事故を受けて反原発デモに繰り出しながら、これからをどう生きるかという問題に直面していた陽光くんのこころを大きく揺さぶった。

彼の調査によると、アトム書房は古書だけでなく被爆で溶けたガラス瓶などを進駐軍相手に販売するという明確な反骨精神を持って商売に臨んでいたようだ。

そして度重なるフィールドワークの結果、アトム書房の店主は当時21歳の杉本豊という復員学徒兵だったことを突き止める。

彼が探しだした雑誌の記事によると、親戚の土地にアトム書房を出店した理由を、のちに杉本さんは「これほど破壊されても、日本人はすぐ立ち上がるぞと、気概を進駐軍に示したかった。満州大連育ちで、外国人に臆することはなかったが、被爆の惨状を目の当たりにして複雑な気持ちだった」と語っている。

広島が平和復興の道を歩むなかで、こうした市民レベルの活動は長らく歴史の闇に隠されていたが、彼が発見したのはそれだけではない。

陽光くんは、杉本さんが当時どこかのコミュニティと繋がっていくなかで、アトム書房の開店にこぎ着けたのではないかという仮説を立て、広島の比治山下で画材店を営んでいたダダイストの山路商をはじめ、彼のもとに集っていた日本画家の丸木位里や洋画家の靉光、画家の船田玉樹、画家の末川凡夫人など戦前戦中の広島のアートシーンとの繋がりを見出そうとしていた。

加えて、原爆で一瞬のうちに消えた広島市猿楽町の古地図を手掛かりに、陽光くんは資料や証言を集めていたが、「アトム書房があった場所に建てられていた山本兄弟洋家具店は店主の親戚の店であり、その隣の看板屋で働いていたのが画家の末川凡夫人だった」とか、「岡本味噌店のおてんば娘は、産業奨励館の階段の手すりを滑り台にして叱られた」など、研究成果を都度、口伝していくことで、その存在すら歴史の闇に葬られていた市井の人たちの生活の息吹を蘇らせようとしていたのだ。

末川凡夫人の絵画

あのときの陽光くんは、間違いなく想像力を抱いて、原爆で消え去った猿楽町をひとり歩いていた。

ファミカセの裏に書かれてる名前だけを頼りに、インターネットを駆使して持ち主を探し出し、本人に返却しに行くプロジェクト

こうした陽光くんの活動を眺めていると、ひとりひとりの見方ひとつで街はいくらでも面白くなる可能性を秘めていることが分かる。


しずおかのひみつ交換所

そして、ここ静岡の地でも、2014年から活動を続けてきたシズオカオーケストラの街を切り取る視点は、とりわけ面白い。

現在、力を入れているのが、秘密にしておきたいほど大切な静岡の情報を交換する「しずおかのひみつ交換所」という企画だ。

ガイドブックなどには載っていない自分だけの秘密の場所などを交換することで、静岡の街に愛着を持ってもらおうという意図だが、この企画が優れている点は、シズオカオーケストラのスタッフがホスト役となり、対話を通じて参加者から「ひみつ」を引き出している点にある。

それまで街には関心がないと自認していた人でも、シズオカオーケストラを主宰する井上泉さんらと話していくうちに、自然と自分のなかに眠っていた街の魅力に気づくことができるのだ。

しかも、自分の「ひみつ」を提供した代わりに、まるで薬のように処方された他人の「ひみつ」を自分だけが覗き見ることができるなんて、なんて面白い試みだろうか。

さらに、今年5月に開催した第1回目のときに「ひみつ」を受け渡す道具として使っていたのは、拝見盆という茶の品質鑑定に使われるお盆だった。

井上さんは、こうした静岡らしい道具にも注目し、深い愛着を寄せている。

将来的には、「うごく観光案内所」として静岡にちなんだ雑貨も購入できるようなスペースを運営していきたいようだ。

「この街には何もない」とただ悲観するのではなく、想像力を持って街を眺めることの面白さを陽光くんやシズオカオーケストラの取り組みは、僕らに教えてくれている。

さぁ、想像力を抱いて街に出よう。


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