文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく
vol.43
視覚に頼らない想像力
(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)
川内有緒さんの新刊『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)に識者としてコメントを寄せる機会があった。
本書はノンフィクション作家である著者が全盲の白鳥さんと一緒に各地の美術館を巡り、そこでどんな作品をどう鑑賞したか、鑑賞の前後には何が起きたのかという体験を綴った本だ。
白鳥さんは作品に関する学術的な解説を求めているわけではなく、鑑賞時の生の声が聞きたいと語る。
作品を前に著者と友人が見たままの感想を語っていると、普段「見えている」と思っている人たちも、気づかなかったことに気づいたり、新たな発見があったりするわけだ。
白鳥さんの例に限らず、視覚に障害のある人とない人が対話を通して作品を鑑賞するワークショップが全国各地で盛んに行われるようになっている。
静岡県東部を中心に様々なジャンルのアーティストと作品を発表してきたスケラボ(Scale Laboratory)は、目が見えない、あるいは見えづらい方へ向けて、場面や人物の動きなどの視覚情報をナレーションとして加えた音声ガイド付きのパフォーマンス動画を制作するなど、これまで視覚に障害がある人とのパフォーミングアーツの可能性を模索してきた。
そんなスケラボの新作公演『彷徨う絵画たち』が、8月26日から3日間に渡ってベルナール・ビュフェ美術館で開催された。
この場所は、フランスの画家であるベルナール・ビュフェの2000点に及ぶ作品を収蔵・展示している世界唯一の美術館として知られている。
公演の最終日には「おしゃべりナイト」と題して、公演を実況したり感想を言ったりしながら美術館を巡るモニターの中に視覚障害の方が参加されると聞いて、足を運んだ。
晴眼者の家族連れを中心とした輪の中に、残念ながら視覚に障害のある人は女性ひとりだけだったが、彼女に寄り添ってパフォーマンスを解説するスケラボメンバーと共に館内を歩かせて頂いた。
美術館で開催中の企画展『線の画家 ベルナール・ビュフェ』は、初期から晩年までのビュフェの油彩画や版画など100点を超える作品展示され、ビュフェの「線」の表現の変遷と画家としての足跡を辿っていく展示構成になっている。
閉館後の美術館に登場したのは、丸本すぱじろう、ミュータン、わっしょいゆ〜たという3人のパフォーマーがビュフェ作品の《サーカス》や《カルメン》などに扮し、絵画の構図を真似たり、説明に呼応した動きを披露したりしながら即興的に演技を繰り広げていった。
そこに時折、学芸員も加わり解説を付け足していくという演出となっている。
例えば、ビュフェが刷りに使用した銅原版は、増版を防ぐため、刷り終えた原版に直接傷を入れていたなど、今回の公演がなければ気づくことのなかった学びも多かった。
それにしても、視覚に障害のある人たちとの鑑賞体験の場合、何よりも問われるのはナビゲーターの力量だ。
幸いなことに、今回のナビゲーター役は、目の前で展開されるパフォーマーたちの演技を的確な言葉で説明することができ、それに呼応するように視覚に障害のある女性からも度々質問が投げかけられていた。
休憩時に「これまでの解説で不明な点はありましたか」と尋ねたところ、「企画展のタイトルになっている『線の画家』の『線』が、どんな線なのかわからない」と返答を頂いた。
「あぁ、確かにその通りだ」と膝を打った。
人は視覚をつかって世界の8割から9割を認識していると言われているが、僕たちが普段どれだけ視覚に依存しているのかを改めて認識する瞬間になった。
終演後には、女性にパフォーマーの衣装や小道具を触ってもらう時間が設けられた。
「こんな大きかったんですね」と女性から感嘆の声があがる中、事件は起きた。
《ピエロの顔》に扮した丸本すぱじろうが被っていたシルクハットを触っていたときのこと。
シルクハットのツバの部分が丸型ではなく正面だけ直角になっていることに気づいた女性が「ビュフェの時代はこのような形の帽子が通例だったのでしょうか」と質問を投げかけた。
演じ手の丸本すぱじろうが返答に困っていたところ、学芸員が「時代考証は定かではないけれど、ビュフェは見たままを描いているわけではないと思う」と咄嗟に助け舟を出していた。
こんな風に視覚以外の情報を頼りにイメージを膨らませ、その疑問をストレートにぶつける彼女の姿を見て、僕はニヤリとしてしまった。
彼女の問いは、僕の心の中で波紋のように広がっている。
障害のある人たちとの関係が、情報を教えてあげなければという「福祉的な態度」に縛られた関係ではなく、視覚障害のある人の気づきをお互いで共有し合うような時間が生まれていたからだ。
これは、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)の著者でもある伊藤亜紗が、「情報ベースのやりとりでは、健常者と障害者はサポートの関係にしばられるが、意味ベースのやりとりでは、お互いの差異を面白がることができる」と述べていることと同義だろう。
そして、こうした視点の違いを双方向で楽しむことこそ、視覚障害の方とパフォーミングアーツとの関係性の裾野を広げてくれるのかも知れない。
この視覚障害のある人からの発信に、今後スケラボはどう応えてくれるのか、その機会を楽しみに待つとしよう。