COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.45

無垢に還る

(プログラム・コーディネーター 立石沙織)

夏休み後半のある日曜日。

三島を拠点に活動するLab Qrio(ラボキュリオ)が、こども向けワークショップ「つくって発見★こどもアート de サステナブル!」を開催した。

「この青い容器、見たことあるかな?どんなモノに使われていると思う?ヒントは・・・“みんなが大好きなもの”かな!」

Lab Qrio代表の榎本亜子さんが、こどもたちに優しく問いかける。すると、一人の女の子が口を開いた。

「…お寿司!」

「お〜っ、正解! すごいね、一発で当てちゃった!」

そう、これは工場で製造された冷凍シャリを詰める際に使われる容器らしい。

こうした一般的な工業製品は、一度その役目を終えたらそのまま廃棄されゴミとなることが多い。それゆえほとんどの人は冷凍シャリ容器なんて見たこともないだろう。すんなりと正解を言い当てたこどもの想像力には驚かされる。

Lab Qrioの素材コレクション(色ごとに分類されており、そのグラデーションがまた美しい)

容器をじっくり見てみると、整然とならんだ四角い溝は思いのほか造形として面白い。
その一つ一つにモノを並べれば、まるで見本帳のように見せることもできる。モノは工夫次第で色々な使い方ができる、という良い例だ。

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Lab Qrioは、元々アーティストとして活動していた榎本さんが中心となって、母親仲間とともに2019年8月に立ち上げた団体だ。

榎本さんは十数年前に三島へ移住。自身も子育てを行う当事者の一人として、日本の教育システムに疑問を感じていたとき出会ったのが「レッジョ・エミリア教育」の考え方だった。

レッジョ・エミリア教育とは、イタリアの都市レッジョ・エミリアで、第二次世界大戦終戦直後に地域の共同保育運動として始まった幼児教育である。こどもたち一人一人を独立した個人として認識し、彼ら彼女らが主体的に活動したり、自らの思考や感情を表現したりすることを大切にした教育方法を提唱している。

だからこそLab Qrioでは、大人が一方的に教えるのではなく、こどもたちの個性や主体性を引き出す教育のあり方を模索しながら、ワークショップの企画開発、運営に取り組んでいる。

ワークショップで素材について説明する榎本さん

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今回のワークショップは、企業などから提供を受けた廃材・端材を活用し、アート作品を制作することを通して、モノとの関わり方を見つめ直し、ゴミの減量に対する意識を高めていくことを目的としている。

ワークショップ会場の中央部には、色や形、感触もさまざまな素材が用意された。

これらは、提供されたモノをそのまま並べているわけではなく、Lab Qrioのスタッフが一つ一つ丁寧に“素材化”する工程を踏んでいるという。参加者が扱いやすいよう小さくしたり、汚れを落としたり、ザラザラして危険なものはヤスリで磨いたり。きめ細やかな配慮がなされている。

同団体の顧問で、こどもの造形教育を専門とする水野哲雄さんは、「モノが持つ製品としての役割をそぎ落とすことで、無垢な”素材”へと戻す。そうすることでモノは再び、新たな価値を生みだすサイクルに乗ることができるのではないか」という。

なるほど、私も今回初めて素材化された実物を見て「まるで宝の山のようだ」とワクワクしたが、その背景にはこうした地道なプロセスがあるのだ。

こどもたちが完成した作品に、1点ずつフィードバックを入れながら写真におさめる水野さん

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こどもたちは、素材化されたモノを手にして、その形、色、重み、手触りを確かめて自由に組み立てていく。

このワークショップでは、つくる作品のテーマを設定していないため、そこにあるモノなら何を使ってもいいし、何をつくってもいい。生き物のようなオブジェ、自分自身に身につけるアクセサリーなど、1人で5〜6点仕上げる子もいる。

こどもたちは素材も道具も使いたい放題、のびのびあそぶことができる

「これとこれを、ここにくっつけたい」

ある男の子のリクエストは、大人の私が見るとどうやっても不可能な組み合わせだ。木工ボンドやセロハンテープを使って、自分自身でがんばってみた形跡も見て取れる。

Lab Qrioのスタッフは、そのアイデアを否定しない。

「う〜ん、そうか。どうしたらくっつくかなぁ。ちょっとホットボンドを試してみようか」

けれども、やはりくっつかない。

「ごめんね、ここにある道具だけでは、これはくっつけられないみたい」

それを聞いた男の子は残念そうではあったが、納得したようすで自分のテーブルに戻り、その作品に別のアレンジを加え始めた。

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私は、この男の子の純粋な“こだわり”を通して、再認識したものがある。
それは、私たち大人が成長過程で知識を会得すると同時に失ってきた、“こども心”の存在だ。

各素材の特性、組み合わせる相性、その場にある材料や道具の条件、そして重力などの自然の摂理・・・ここで得られるたくさんの情報は、私たちにとって実現可能かあるいは不可能か、判断するための重要な手立てとなる。
でもそれは同時に、自分自身が持っている限られた選択肢の中から、一つ一つあきらめていくという行為でもあるのではないか、と思うのだ。

特に昨今の長引くコロナ禍の時代にあっては、過去の常識や手法に囚われない斬新なアイデアを求める声が少なくない。

そこで重要なのは、自らイメージをつくり出そうとする“主体性”と、新しい価値を生みだそうと挑戦し続ける“創造性”だと思う。そして、これらを併せ持つものこそ、“こども心”なのではないだろうか・・・?

一心に手を動かし、ものづくりに取り組むこどもたちの姿に、「いつの時も自分の中の“こども心”を忘れないように」そんなメッセージを受け取った気がした。

これはまさに、私自身が無垢な”こども心”を取り戻す、という気づきなのであった。

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