COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.73

第8回MAW茶会レポート ゲスト:石黒健一さん

(プログラム・コーディネーター 立石沙織)

マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)のその後をゆるゆると追いかけるインスタライブ「MAW茶会」。静岡県内を旅してもらった「旅人=アーティスト」にお話いただく公開インタビューとして、昨年度はじめた試みです。
今回は、2024年2月21日(木)に開催した石黒健一さんの回をレポートします!


祖父母が暮らしていたまち、伊豆

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石黒健一さん

石黒健一さんは京都の大学院を修了後、そのまま関西を拠点に置き、歴史的主題や物質などの土地に根差した事象を扱いながら、それらの結節点としての彫刻や映像を制作しています。
 
MAWに参加したきっかけは、石黒さんの祖父母がかつて静岡県伊豆市に住んでいたこと。祖父母に会うため、両親とたびたび修善寺に帰省していたことから、伊豆という地は思い出深い地であったよう。

「とはいえ、静岡県や伊豆地域の文化的背景をあえて知ろうとする機会は今までありませんでした。公的な施設や観光スポットというより、そこに暮らしながら文化活動をしている人たちの営みを見てみたい。MAWがそれを知る機会になるのではと思って応募しました」
 
そんな動機が面白くて、改めて話を聞いてみたいとMAW茶会への参加をお願いしたところ、2023年4月から若手芸術家の海外研修事業でアメリカのニューヨークに滞在していた石黒さん。いつも20時から開催していたMAW茶会を、今回に限り21時から始めることにしたものの、ライブをつないだ石黒さんの開口一番は「こっちはちょうど、朝日が出てきたところで」でした。
日本との時差は14時間で、現地時間は早朝7時。ニューヨークのさわやかな朝日に包まれた、和やかなMAW茶会となりました。

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右下の石黒さんは、ニューヨークの朝の光に包まれています

ホストがいてこそ成り立つMAW

そんな石黒さんがMAWでマッチングされたホストは、伊東市を拠点に活動するITOまなびやStationのみなさん。
「ITOまなびやStation」は、「りんがふらんか城ヶ崎文化資料館」の中に2021年5月に開設された、ESD-持続可能な開発のための教育-を目指す地域活動拠点です。伊豆半島の自然や歴史、人の恵みを学びながら、子どもたちと地域や地球の未来を考える取組を行っています。
 
MAWで一番印象的だったことを訊ねた質問で、石黒さんは「ITOまなびやStation代表の薄羽美江(うすば・みえ)さんのホスピタリティ」と即答でした。

「薄羽さんは何気ない会話をするなかでも、自分たち『旅人』の関心をかぎとってくれました。当初の僕の関心であった地域の人たちの営みや文化活動についても、薄羽さんは広い視点で捉えてくれ、養蜂を手がける方やダイビングを行っている方など、どんどん地域の人たちをつなげてくれたんです。だから僕自身も、ホストが導いてくれるものを積極的に受け入れていこうという意識で過ごしていましたね」

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MAW地域案内のときの写真
左から6番目がホストの薄羽美江さんです

ホストが導いてくれるものを、積極的に受け入れる

この石黒さんの「積極的に受け入れる」という表現。「受け入れる」という言葉に受動的なイメージがあるからこそ、「積極的に」と「受け入れる」は一見、相反するような言い回しです。
前段で触れたように、「旅人」はMAWに応募する目的をある程度持っているものですが、石黒さんは「そこに固執してしまうと、地域側の提案を受け入れられなくなってしまう」と続けます。
そこには「旅人側の視点、アーティストならではの考えや発見を伝えなければならない」というような、変な力みは感じられません。むしろ、地域側の考えや解釈を吸収するための余白を大いに残しておこうとする柔軟な姿勢を感じました。
 
「作品制作を目的に据えたレジデンスプログラムは納期が決まっているので、自分の関心事に意識と時間を集中しなければなりません。でもMAWは、作品制作が求められていないので、自分が思っていなかったことにも出会いやすく、それを素直に受け止められました。ホストがアートとは異なる分野の専門であること、地元の人であること、そして“その人”だからこそが重なったからこそ、鳥瞰した視点で伊豆半島を捉えることができたのだと思います」
 
実際にアーツカウンシルしずおかも、ホストが実施した地域案内に同行させてもらったので、その時の石黒さんの様子が強く印象に残っています。首にかけた一眼レフで目にしたものを幾度となく写真に収め、気になったところはすぐに質問をし、聞いたことはすぐにメモを取る。地域やその人から全身で学ぼうという熱量があふれていたのでした。
 

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地域案内に参加中の石黒さん(写真中央)

伊豆の文化的なコミュニティを築いた伊豆高原アートフェスティバル

石黒さんがMAWで伊東市を希望したもう一つの理由に「伊豆高原アートフェスティバル」の存在がありました。
「伊豆高原アートフェスティバル」は1993年から2017年までの間、毎年5月に行われていた住民による住民のための文化活動としてのアートイベント。これについては、石黒さんが MAW滞在のまとめとして、noteに詳しく紹介してくれています。
 
「滞在していたゲストハウス『K’sハウス』の近くで早朝に喫茶店を探していたとき、偶然入った『ヤマモトコーヒー』というお店にたくさんの彫刻作品が飾られていたんです。それらは、伊豆高原アートフェスティバル発起人の一人である彫刻家・重岡建治さんの作品で、話を聞くと先代のオーナーが重岡さんと懇意にしていたことを知りました。その話をホストの薄羽さんにしたところ、同じく発起人の麻生良久さんと重岡さんのお二人と対話する場を薄羽さんがセッティングしてくれました」

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重岡さんのアトリエにて、左から重岡建治さん、薄羽美江さん、麻生良久さん
(MAW note:石黒健一「ヤマモトコーヒー一番館、みつばちたちの秘密、雑木林、ぼら納屋、J-GARDEN、富戸小学校、重岡建治アトリエ、浜名亭(5日目)」より)

アーティスト・コミュニティの自律的な動きがもたらす地域への好影響

石黒さんがこのフェスティバルに関心を寄せたのは、自身の活動背景にも関連するかもしれません。石黒さんは大学院修了後、作品制作を継続させるため、京都と滋賀の県境の山間に位置する辺鄙な場所に、彫刻を学んでいた仲間たち7人と共同スタジオを構えました。
それが「山中suplex(やまなか・すーぷれっくす)」です。

京都府には美術系の大学は複数あるものの、卒業後に制作活動を継続できる場所は限られています。とりわけ彫刻という分野になると、木や石を素材に彫ったり削ったりするうえで、大きな音や煙、粉塵などが発生し、市街地で場を持つことは限りなく難しいのが現実です。
石黒さんたちは、山間に残った廃工場を自分たちの手で少しずつ改装し、制作が可能なスタジオとして整えていきました。

制作場所としてはある程度環境が整う一方で、人里離れた立地条件から、作品や制作と外(社会)との接点は希薄になってしまいます。市街地ではキュレーターやアーティスト等が各スタジオをめぐり、よりよい作品づくりに向けた議論や対話の機会が多々あるにも関わらず、郊外ではありません。
「だったらその機会も自分たちでつくろう」と、オープンスタジオやバーベキューなど、積極的に外の人に訪れてもらうイベントを打ち出してきました。
7人から始まった共同スタジオは、メンバーの入れ替わりがありつつ、現在ではスタジオ利用のアーティスト10名とプロジェクトメンバー4名を含めた計14名で構成されています。
そして最近は、他団体が主催する展覧会やレジデンスプログラムにも「山中suplex」として招へいされるようになってきたといいます。

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シェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」(2024年)
Photo: Tomohiro Yamatsuki 提供:山中suplex

このアーティスト自ら外とのつながりをもつ機会をつくっていこうとする自律的な動きは、まさに「伊豆高原アートフェスティバル」にも共通しています。このアートフェスティバルもまた、伊豆地域で活動するアーティストたちが立ち上げ、地域内外の人々にスタジオを開きつつ、多様な人が集まり、居合わせた人々のモチベーションを育む機会をつくってきました。

2017年に惜しまれつつその幕は閉じましたが、今では「伊豆高原五月祭」として、アートフェスティバルの土壌を継続していくための新しい企画が生まれています。

 

アーティストや芸術家というと、自分自身の興味関心を突き詰めていく内向きな意識の強さも特徴のひとつですが、そんなアーティストたちが集まると、内だけでなく外をも巻き込むパワーになっていくことは、「伊豆高原アートフェスティバル」や「山中suplex」が耕してきた状況からもよくわかります。

もちろん、本人たちは地域のためを第一目的にしているわけではありませんが、私たちアーツカウンシルしずおかでは、このようにアーティストたちが創造性を発揮できる環境を県内各地につくっていくことで、地域自体のエンパワーメントにも寄与できるのではないか、と考えています。


MAWに対する提案

MAW茶会の最後で、石黒さんにMAWというプログラムに対して提案したいことはないか問いかけてみました。
 
MAWの良さはインプットの部分を支援してくれているところ。そういった制度は多くはありませんが、一部のプログラムでは、滞在の数年後にグループ展を開催して、その後どのように発展したかを見せる機会があるものもあるので、そういう機会があってもいいかもしれませんね」
 
なるほど、「数年後」というのがいいですね。
その時はもうすでに、ホストも旅人もMAWなんてプログラムを忘れた頃かもしれません。でもそうしてまたアーツカウンシルしずおかから、静岡県に関わる機会を旅人たちに呼びかけることで、MAWから現在の系譜を辿る機会になり、ひょっとしてMAWでの経験が“今”の作品や考えにつながっているという線が見えてくるかもしれない。
MAWは「出会い」に特化したプログラムだからこそ、数年後の「出会い直し」企画があったなら、どのようなモノや関係性が見られるでしょうか。
 
石黒さん、遠くの地アメリカからのご参加ありがとうございました!
また静岡で再会できることを楽しみにしています。

(プログラム・コーディネーター 立石沙織)

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