本多肥後守忠真(ほんだひごのかみただざね)は、徳川家の草創期を支えたといわれる徳川四天王の一人・徳川忠勝の叔父にあたる武将です。忠真は、三方原の戦いで武田勢に大敗し撤退する徳川軍の中で、最後尾となる『殿(しんがり)』を買って出て、討死したといわれています。
石碑には、徳川宗家16代当主・家達(いえさと)公によって書かれたとされる題字と、本多家が代々、松平家と徳川家に仕えたこと、忠真が戦で数々の功績を残したといわれることが刻まれています。
CULTURAL RESOURCE DATABASE
ふじのくに
文化資源データベース
- 石碑
- 浜松市
本多肥後守忠真の碑
所在地 | 静岡県浜松市中区鹿谷町 |
---|
著作権について
本サイトの著作権は、(公財)静岡県文化財団(アーツカウンシルしずおか)が有しますが、掲載されている画像、文章等の著作権は、制作者である登録者・登録団体に帰属します。文章や画像等の無断転載及び複製等の行為は著作権侵害にあたりますので十分ご注意ください。
免責事項について
「ふじのくに文化資源データベース」に掲載されている情報において、アーツカウンシルしずおかは利用者がこのデータベースの情報を用いて行う一切の行為について、何ら責任を負うものではありません。
また、当データベースは、予告なしに内容を変更又は削除することがあります。あらかじめご了承ください。