1945(昭和20)年太平洋戦争末期に日本軍の敗色が濃くなって来ると、アメリカ軍の本土上陸作戦が必至とみて、軍令部総長から本土決戦を想定した作戦のために特攻兵器の製造要請が出されました。今ではとても考えられないベニヤ板で建造された海軍の震洋((○四)艇)と陸軍の連絡艇(○,レ艇)です。
1944(昭和19)年3月、三保に清水海軍航空隊が設置され、航空機搭乗員養成の海軍飛行予科練習生旧制中学校4年1学期終了者(甲種)、高等小学校卒業者(乙種)の訓練が行われました。三保には訓練用の軍用機は配備されないほど物量は不足しており、グライダーの飛行訓練のみでした。
昭和20年3月、予科練の教育を休止し6月には解隊され、各地の部隊に配属され、残留隊員は、震洋艇の格納庫と本土決戦壕(横穴)の建設に動員されました。
第一特攻戦隊第十五突撃隊第136震洋隊斉木(海軍中尉当時23歳)部隊、震洋艇は五型ベニヤ板製長さ6.5メートル、速力25ノット、炸薬250キロ搭載、特攻搭乗員48名,隊長以下総数235名、格納庫数現在数8基(地図参照)。格納庫は倉庫などとして使用されていますが、これまでに数基が撤去されて、戦争遺跡として残すことが望まれています。特攻搭乗員は飛行機に憧れて予科練に16歳で志願した少年たちでしたが、当時17~8歳の少年が九死に一生さえもない水上特攻に選抜されました。しかし、三保基地からは出撃せず戦争終結となったので、全員が故郷に帰ることができました。私有地内での見学は、地主の了解を得てください。
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「特攻艇震洋」の格納庫
所在地 | 静岡県静岡市清水区三保 |
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