CULTURAL RESOURCE DATABASE

ふじのくに
文化資源データベース

井宮神社と中条右近太夫

江戸時代に開削された嶺田用水は、その実現にあたった中条右近太夫の逸話が残されています。
菊川流域は、昭和期までは有数の干ばつ地域として知られ、住民は水、特に灌漑用水の確保に常に悩まされてきました。右近太夫は、嶺田の地に用水を開削する必要性を領主に訴えますが、どうしても聞き届けられることがなく、右近太夫は、将軍へ直接上申するしかないと思うようになりました。しかし、当時は現在よりも身分制度が厳しく、ましてや一般庶民が幕府の将軍に直訴するなど、思いもよらぬ蛮行とさえ言える行為でした。このため右近太夫は、直訴により身内に危害が及ぶのを防ぐため、 両親が世を去るのを待つと妻子とも離別し、自らは狂人を装って凧を上げたり木に登ったり、さらには人家の床下に潜ったりしながら3年間にわたって測量を続けました。もちろん、このような許可を得ない測量行為も越権行為であり、処罰の対象でした。右近太夫はひたすら将軍への直訴の機会を待ち、将軍が当地に来るのを見計らって、将軍の乗る輿の前に跪き直訴に及びました。右近太夫の訴えが真実であると認めた将軍は、嶺田用水の開削を許可し、用水を引くことに成功しますが、右近太夫の一連の越権行為は処罰の対象となり、寛文3年(1663年)1月22日に処刑されました。
現在、 菊川市嶺田にある井宮神社は、地域の窮状を身をもって救った中条右近太夫を祀るために建立された神社で、毎年、右近太夫が処刑された1月22日には、太夫を奉るお祭りが催されています。

所在地 静岡県菊川市嶺田1番地
問い合わせ先 菊川市観光協会 TEL 0537-36-0201
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