天竜区佐久間町浦川を流れる相川の右岸、尾平峠に江戸の歌舞伎役者尾上栄三郎(おのえ えいざぶろう)の墓がある。尾上栄三郎は、主に安政年間(1854~1859)に活躍した音羽屋一門の歌舞伎役者で、飯田で公演中に病で倒れた。近在の医師の治療を受けたが良くならず、浦川に蘭学の名医三輪見龍がいることを聞き、天竜川を下って辿り着いた。見龍の治療と村人の看護のおかげで一時的に快方に向かったが、病は全身を蝕んでおり、死を悟った栄三郎は、世話になった村人への恩返しに「仮名手本忠臣蔵 五段目 山崎街道の場」を演じ、その舞台の上でこと切れたという。安政5年(1858)4月、享年29歳であった。生前栄三郎が望んでいたとおり尾平峠に葬られ、墓が作られた。
栄三郎の没後、村人は歌舞伎の魅力にとりつかれ、役者を呼んで歌舞伎を上演していたが、そのうち、自分たちで演じるようになり、地域住民による浦川歌舞伎が始まった。社会情勢の変化により昭和40年(1965)途絶えたが、平成元年(1989)浦川歌舞伎保存会が結成され、再び浦川の地に歌舞伎の灯がともり地域の伝統文化がよみがえり、令和元年度まで公演が行われた(令和2年度以降休止中)。
はままつ石塔めぐりより
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尾上栄三郎の墓
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