梶井基次郎(1901~1932)は療養の地として湯ヶ島を選び1年と5か月ほどをここで過ごした。
川端康成との知遇がきっかけとなって多くの文学者と触れ合うほか、同人誌「青空」の仲間たちが訪ねてきて、一時は湯ヶ島文士村と呼びたい状況が現出した。
碑文は「伊豆の踊子」発刊直後の川端康成に宛てた書簡の一節が刻まれている。
山の便りお知らせいたします 桜は八重がまだ咲き残ってゐます つつぢが火がついたやうに咲いてきました 石楠花は浄蓮の瀧の方で満開の一株を見ましたが大抵はまだ蕾の紅もさしてゐない位です げんげん畑は掘りかへされて苗代田になりました もう燕が来てその上を飛んでゐます
CULTURAL RESOURCE DATABASE
ふじのくに
文化資源データベース
- 石碑
- 伊豆市
梶井基次郎の詞碑
著作権について
本サイトの著作権は、(公財)静岡県文化財団(アーツカウンシルしずおか)が有しますが、掲載されている画像、文章等の著作権は、制作者である登録者・登録団体に帰属します。文章や画像等の無断転載及び複製等の行為は著作権侵害にあたりますので十分ご注意ください。
免責事項について
「ふじのくに文化資源データベース」に掲載されている情報において、アーツカウンシルしずおかは利用者がこのデータベースの情報を用いて行う一切の行為について、何ら責任を負うものではありません。
また、当データベースは、予告なしに内容を変更又は削除することがあります。あらかじめご了承ください。