綺堂が修善寺を訪れたのは1908(明治41年)9月。
修禅寺の頼家のものと伝わる木彫りの面を見て「一種の詩趣」を得て書き上げた戯曲が「修禅寺物語」である。
碑文は戯曲中の夜叉王のセリフをとった。明治44年市川左団次によって初演、好評を博した。
幾たび打ち直してもこのおもてに、死相のありありとあらはれしは、われ拙きにあらず鈍きにあらず源氏の将軍頼家卿が斯く相成るべき御運とは今といふ今、はじめて覚った。神ならでは知ろし召されぬ人の運命、先づわが作にあらはれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神に入るとはこの事よ。伊豆の夜叉王、われながら天晴れ天下一ぢゃ喃。
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ふじのくに
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岡本綺堂の詞碑(修善寺梅林内)
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