COLUMN

静岡県ゆかりの祝祭芸術

加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです

vol.16
アートプロジェクトの時代

大井川鉄道の抜里(ぬくり)駅には家族連れとお年寄りがたむろしている。
あちらこちらで四方山話に花が咲くが、アート作品について熱心に説明するおじいさんもいる。

駅舎の中には、ぽつねんと座る人の形をした白いオブジェが鎮座していている。
手足も目鼻も何もなく、ツルっとした形になぜか親しみが持てる。
余計なものをすべてそぎ落とした究極の形だ。

さとうりさの作品である。

近くの茶畑の中にも、同じ形の結構大きなオブジェが置かれている。
こちらの方は、風船のように空気で膨らませている。
緑の茶畑に鮮やかに映える。

島田駅前の空きビルには、足を広げて座している巨大な人体を思わせる青い作品が展示されていて、この形から今の形へと変化したことがわかって興味深い。

それはあたかも、ブランクーシが、鳥の形態を探求して最後に弧を描く一本の羽のようなフォルムに至ったような経緯を彷彿とさせる。

さとうりさの場合、青い作品の方ははじめ横浜の黄金町で発表したもので、その町の歴史を考えれば明らかに女性性を色濃く帯びていたものが、ついにジェンダーを超えたフォルムに至ったのだ、ということを理解させてくれる展示だ。

こうして、アートについていろいろ考える機会になることは芸術祭の一つの価値である。

さらに、この「無人駅の芸術祭」が優れているのは、抜里駅に高齢者を含む人々が集まってくるように、集客という以上に人を引き付ける力があるからだ。

アクセスの不便な中山間地域で、野外や駅舎、さらには廃屋など、およそ作品展示に向かない無防備な場所で、わざわざ開催する以上、地域の人々の主体的参画が不可欠である。

そういう意味では、抜里駅に地元の方が居場所を見つけてたむろし、野菜や干し柿なども販売しているのは、芸術祭の大きな効果だ。

芸術祭を見て回る親子連れも、つい話の輪に加わる。

経済的には小さく見えるかもしれないが、地域社会の活気が回復するためには、こうした小さな居場所の積み重ねが重要だ。

抜里には古民家を改造した交流拠点ヌクリハウスも誕生した。
芸術祭が着実に地域に溶け込み、人々の交流を促している。

芸術祭は、まさに面白くてためになる祝祭芸術である。


無人駅の芸術祭が始まったのは2018年で、県下のアートプロジェクトは最近始まったものが多い。
全国的に見てもアートプロジェクトや芸術祭が広がってきたのはここ20年ほどのことだ。

ところが実は、静岡県では随分早くからアートプロジェクトが開催されていた。
浜松で早くも1981年に浜松野外美術展(1981-1987)が開催されているし、1988年には川俣正のインスタレーションを中心にした袋井駅前プロジェクトが開催された。

彫刻は石やブロンズを素材とする場合には野外にも展示されるのは普通のことなので、彫刻を展示した浜松野外美術展は違和感なく受け入れられたのだろうが、駅前のよく知られたビルを工事の囲いのような材木で覆った川俣正のプロジェクトの方は、ほとんどアート活動とは受け止められなかったのではないだろうか。
きわめて先駆的な実験であった。

それでも、このプロジェクトの4年前、1984年に川俣は東京代官山のヒルサイドテラスの屋上に工事の囲いを組んだ、文字通り「工事中」という作品を展示している。

それがいかに斬新すぎて人々の理解を超えていたかは、ヒルサイドテラスを管理する朝倉不動産の朝倉健吾氏から聞いた話に示されている。
「テナントから苦情が殺到して、それでも川俣さんはどんどん増殖させて頑張るし、結局は10日ほどで撤去しましたね」という状況だった。

袋井駅前の場合は、解体することが決まっていたビルを覆ったので、関係者のクレームはなかっただろうが、これがアート活動だと広く理解されたとは思えない。
それでも、木材の調達などに地域の方の協力があって実現したプロジェクトだったと、静岡市美術館の「イベントアーカイブ」に記録されている。

アートプロジェクトは、このように様々なアートの実験の歴史の中から誕生した。

芸術史を広く紐解けば、近現代のアーティスト個々人の仕事を独立して評価する時代以前は、芸術活動のほとんどはアートプロジェクトだったといえなくもない。

たとえ個人の名前が冠されている場合でさえも、西洋では例えばルーベンスの仕事の多くは、プロジェクトとして成立していた。
ルーベンスは絵画だけの注文も受けたが、しばしば、礼拝堂全体の注文を受け、そのネットワークの中で、建築、調度、絵画などなどを分担して推進する事業家でもあった。

日本の例では、鎌倉期の大仏再建など国家的アートプロジェクトだった。

プロジェクト全体のプロデューサーとして勧進和尚の重源の名があり、彫刻家は運慶快慶などという個人名が上がっているが、名前が埋もれてしまったはるかに膨大なアーティスト群の協働事業としてのプロジェクトだった。
何よりも勧進に応じて何らかの協力をした無数の民衆の力をも結集したプロジェクトだったのである。

無人駅の芸術祭に代表される現代のアートプロジェクトは、だからこそ、地元の方々の創造的参画がなければ成立しない。
したがって、地域社会にインパクトを与えるプロジェクトにならなければ持続できない。

見方を変えると、アートプロジェクトの展開が地域社会になぜインパクトを持つのか。
インパクトは経済だけではなく、アートの創造性が広く人々の心を動かし、したがって地域社会を変える力があるからである。


芸術祭を見て回ると、足も草臥れるが、喉も乾く。

近年の静岡は、煎茶を中心としたお茶ブランドの再構築に取り組んでいる。

「賑わい交流拠点」形成の観点から、大井川鉄道に門出駅を新設し、駅に隣接して、大井川流域の旬の野菜や果物を販売するだけではなく、喫茶体験のできる、体験型フードパーク「KADODE OOIGAWA」がオープンしている。

もちろん、無人駅の芸術祭のパンフレットでも紹介しており、ぼくたちも、ここで美味しいお茶を頂いた。

芸術祭は地場産業との結びつきにも新たな可能性を示しつつある。

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