加藤種男アーツカウンシル長による連載コラムです
静岡県ゆかりの祝祭芸術
西伊豆の松崎町の宿で目覚めると、すぐ目の前が海だ。
ここは伊豆の長八として知られる鏝絵(こてえ)の名手、入江長八を生んだところ。
普段は壁塗りを生業とする左官が、鏝(こて)を駆使して民家や土蔵の壁に漆喰を盛り上げて縁起物を描いたのが鏝絵の始まりとか。
長八の造形技量は群を抜いていたので、その作品を展示する美術館までできている。
専門的技量が他の追随を許さないレベルで、しかも独創のある場合に高く評価されるのが近現代の芸術。 今でこそ鏝絵も芸術的評価がなされるようになったが、かつては土蔵の持ち主こそ自慢の種だったろうが、街並みに溶け込んだ鏝絵は、左官の本業である白壁を塗った後の「仕上げの装飾」(藤田洋三)であり、芸術的評価はほとんどなされなかった。
しかし、近年のように野外や街中にアートを解き放つ芸術祭が盛んになると、鏝絵こそ街中アートの先駆に見えてくる。
さらには、祝祭芸術は孤高ではなく、だれでもが創造者として参加できることが肝要なので、左官の表現が評価され鏝絵は全国的に広まる。
もちろん、多くの人の創造的参画を促すのもアーティストの仕事だ。
そこで、長八の仕事を踏まえつつ、松崎町で展開されているのが、町民だれでもが参加できる活動「まちかど花飾り」である。
なまこ壁の街並みのあちらこちらに花が飾られる。
籠やら樽やらが家の前に出され、その中に花がふんだんに生けられている。
さらに蝶の乱舞する一角がある。
秋の七草、フジバカマの群落に無数のアサギマダラが集まっている。
ところで花を巡るとなぜか喉が渇く。
古民家を改造した「であい村 蔵ら(くらら)」に案内される。
「皆さんが気軽に立ち寄り、憩える場所」として、地元の婦人たちが手芸品やお菓子などを販売し、和カフェも営業し、「ものづくり介護として蔵ら手あそびくらぶを、体験教室として蔵らミニカルチャー教室を」開いているという。
中に入ると実にカラフルで美しい。 座敷も花飾りで満ちている。
しかもありがたいことにお茶がふるまわれる。 県下どこに行ってもお茶がうまいがここのはまた格別。
しかも、お茶うけに出していただいた無花果とポテトが圧巻。
花より団子ではなく、まさに花も団子もだ。
夜には「松崎まち灯り」と称して、なまこ壁のライトアップも。
長八だけではなく現代のアーティストも加わっており、持塚三樹が駿河屋のなまこ壁にプロジェクトマッピングを映写した。
松崎小学校の生徒が描いた花の絵を持塚が映像化した作品なども映写され、白壁ではなく、意外にもなまこ壁がマッピングの映写に向いていて、不思議な効果を生んでいた。
持塚三樹は、アーツカウンシルしずおかの マイクロ・アート・ワーケーション に参加して松崎町を訪問した。
こうして町に縁のできたアーティストが、活動を継続し、小学生を含む町民の創造性を引き出している。
優れたアーティストの中には、自己表現だけではなく、市民の創造性を刺激して共同で創造する人も増えてきた。
アーティストにとって技術の研鑽は不可欠だが、「県民全てが表現者になる」目標を掲げているアーツカウンシルしずおかとしては、それ以上に、だれでも参加できるアートプロジェクトに期待している。
その意味でも松崎まちかど花飾りは優れた試みだといえるだろう。
日ごろから生花や立花に研鑽している町内のお花のグループもいくつか参加している。 長八やなまこ壁、さらには古民家などの文化的遺産が豊富で、その資源活用もなされている。
そこに何人かのアーティストも加わってきている。
これ以上もしも望むことがあるとすれば、すべてを実行委員会が仕切るのではなく、さらに広く町民に声をかけることではないだろうか。
現在行われているように、レベルの高い花飾りは見本としてあっていいだろう。 しかし、どういう形で花を飾るかは、もっと町民の自由な発想に任せるといいのではないか。
下町で見かけるようにプランターを家の前に出す、あるいは玄関先に一輪挿しを飾るなどなどの多様な手法があると祝祭芸術感がさらに高まるように感じた。
松崎町の創造的可能性は高いのだから。