文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく

vol.80
「クビかウチクビか」、常識をぶっ飛ばす
(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)
photo by 近藤ゆきえ
「クビかウチクビか」
ユニークな名前のアートプロジェクトが2024年度から静岡市で始まっている。
主催するのは「ハハハなコトをハハハなヒトと」を合言葉に活動する団体、HAHAHANO.LABO(ハハハノラボ)だ。

この団体は、「オレは障害者じゃなくて問題のある子」を自称する息子・KANくんと、デザイナーの母・二宮奈緒子さんが「何か面白いことはないかしら?」と周囲を巻き込んで始めた活動だ。

KANくんは特別支援学校を卒業後、クロネコヤマトでメール便の配達員として働いていたが、業務移管に伴い突然解雇されてしまった。
「この子、仕事をクビになっちゃってね〜」と軽い調子で周囲に話していた二宮さんだったが、ある日、KANくんから「母さん、クビと打首、どっちが良いかな」と聞かれてハッとした。
「確かに、昔なら打首は死んじゃってたから、仕事をクビになるなんて大したことないかもしれない」と考え直した。
こうして始まった「クビかウチクビか」は、KANくんの再就職を模索するプロジェクトとしてスタートしたが、早くも予想外の展開を迎えた。
KANくんの新しい仕事がすぐに決まってしまったのだ。
「あなた、どうするの?」と尋ねる二宮さんに、KANくんは「じゃあ、解散します」と一言。
こんな親子喧嘩が日常的な二宮家だが、喧嘩の最中でもKANくんの突飛な発言をデザインに活かそうとメモを取る二宮さんの姿は、どこかユーモラスだ。

やがて「クビかウチクビか」は、KANくんだけでなく、障害のある人たちの新しい働き方を考えるプロジェクトへと発展した。
特別支援学校を卒業した約10名のメンバーが集まり、月に一度、企業の会議室を借りて近況や仕事について語り合う同窓会のような場を設けている。
初回の会議では、「仕事に不満があるはず」という大人たちの予想を裏切り、メンバー全員が「今の仕事に満足している」と答えた。
二宮さんは慌てて頭を抱えたが、その様子がなんとも微笑ましい。


会議では、主体的に話す人がいる一方で、友だちとおしゃべりしたり、お菓子を食べたり、ミニチュアゲームの動画視聴に没頭したりする人もいる。
効率的な会議とは程遠いが、誰もそれを咎めず、笑顔の絶えない場となっている。
ChatGPTにこの場の是非を尋ねても、きっと答えられないだろう。
それでも、この場はとてつもなく面白い。




当初は企業での職場体験を通じて新たな可能性を探る企画だったが、話し合いを重ねるうちに、この会議そのものが価値ある場だと気づいた。
そこで、DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)を推進する静岡鉄道株式会社とコラボレーションし、前代未聞の公開座談会を開催し始めた。

障害のあるメンバーや従業員が悩みを共有し、例えば「会社の机に書類が山積みで整理できない」という問いに対し、「気にしないようにする」「もっと積み上げてアートにすれば」とユニークなアイデアが飛び交っている。
ときには見学者も議論に加わり、答えのないテーマを語り合う中、お菓子を食べる人や冗談を言い合う人もいて、終始笑いに包まれている。

この座談会の目的は、悩みを解決することそのものではない。
障害者雇用を考える際、法定雇用率など目先の数字に囚われるのではなく、まずは互いを理解し知ることから始めたい。
対話を通じて参加者の個性が浮かび上がっていく過程も興味深い。
例えば、静岡鉄道グループの介護施設で働きながら、ビヨンセを研究するサークル「早稲田ビヨンセ研究会」の代表を務め、ビヨンセのモノマネで話題を集める社員もいる。
こうした個性が発揮される職場環境があるということは、今後選ばれる企業になっていくための大切な要素になり得るだろうし、そもそも障害のある人にとって働きやすい職場とは、誰もが働きやすい職場でなくてはならない。




HAHAHANO.LABOの魅力は、二宮さんが同級生や庭師など多様な人たちを物怖じせず巻き込んでいく、その行動力にある。
座談会には、さまざまな属性の人たちが見学しているが、「二宮さんに声をかけられて、何だかわからないままやってきました」という突然の出会いに導かれてやってくる人も多い。
障害のある人たちを「支援する」という上から目線はなく、皆が対等に「面白いこと」を、ただ追求している。
その新鮮さが、この団体を特別な存在にしている。

そんなHAHAHANO.LABOは、ハプニングも日常茶飯事だ。
絵が得意なメンバーが無償でデザインしてくれた名札に対し、KANくんがグループLINEで「デザインを変えて」と投稿すると、他のメンバーも「自分も」と次々にリクエスト。
収拾がつかなくなったと悩む二宮さんに対し、名札を作った女性が「次から変更は有料にするよ。KANくんは100円ね」と提案があり、いつの間にか新しい経済圏が生まれていた。
この障害当事者たちが生み出すユーモアと柔軟さこそが、HAHAHANO.LABOの真髄なのだ。
また、モルックを楽しんでいたとき、輪に入れないメンバーがいた。
集合写真を撮る際にメンバーはその人の元へ移動して、木陰の薄暗い場所で撮影したというエピソードも痛快だ。
だけど、「みんなが凄いというだけではなく、その場から動かなかった彼もすごい。騒がしいことが苦手な彼がいたからこそ、こうすれば良いというアイデアが閃いた」と二宮さんは付け加える。

HAHAHANO.LABOは、一見すると、KANくんの言葉やイラストを中心にした多彩なグッズ展開ばかりが注目されがちだけど、ベースにあるのは障害のある人たちをはじめ、存在そのものを肯定していく姿だ。
社会学者の松本拓は、世間一般において障害者を「助けるべき弱者」と見なす社会通念に対し、芸術が手がかりにした新たな肯定の形を探る必要性を説いている。
まさに「クビかウチクビか」は、その実践と言えるだろう。
ユーモアと柔軟さで、今後も障害の枠を超えた「面白いこと」を生み出し続けていくことだろう。
行方の定まらない羅針盤は、今日も回り続けている。

【参考文献】
松本拓「出来事としての障害——ジンメルとドゥールズの芸術論から障害を考える」青木惠理子編『<生の芸術>への誘い』,ナカニシヤ出版,2025,170-200頁。