COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.12

「本質」を考えるために「ルール」はある

(プログラム・コーディネーター 佐野直哉)

いよいよ静岡県にも新型コロナウィルス拡大防止のための緊急事態宣言が適用され、私が居住する神奈川県も、まん延防止等重点措置から同様に緊急事態宣言が適用されています。

現在は在宅勤務を続けており、なかなか静岡に行くことができません。担当団体やオフィスとのコミュニケーションも、ここしばらくはずっとメールとオンライン会議です。

今回は東京・六本木のミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTの企画展「ルール?展」で感じたことをお話したいと思います。

展覧会の公式サイトには、

私たちは、さまざまなルールに囲まれながら暮らしています。
憲法や法律、社会基盤となる公共インフラや公的サービスから、
当事者間の契約・合意、文化的背景に基づいた規則やマナー、
家族や個人に無意識に根づく習慣、また自然環境の中から生まれた法則まで、
ルールは多岐に渡り私たちの思考や行動様式を形成しています。

と書いてあります。

さて展覧会の最初の展示を見てどう思いますか?

いかに私たちはルールに囲まれて生きているかが実感できますね。

私自身、英国で6年ほど暮らした経験があるのですが、日本と英国のルールに対する感覚の違い、社会人になってからも日英両方の組織に勤務した経験からなおさら社会における「ルール」の在り方と運用に興味を持っていました。

個人的な、本当に小さいところで言えば、英国留学前後の20代はパイプオルガンを学んでいたのですが、オルガニストは楽器を自分で所有できません。

常に練習は教会等でするのですが、英国では常に「楽器は演奏されて、適切に使われてこそ生きる、伝統が継がれる」「若い世代のオルガニストを育てる」「教会に親しんでもらう」ことを前提に使用のルールが決められていて、私のような異国から、しかも当時は信者でもなかった留学生にも快く教会のドアの鍵を渡してくれたのでした。

のちに信者になり、オルガニストとしても活動しましたが、オルガンを通したキリスト教音楽との出会いと学びを大切に支援してくれた、と感謝しています。教会にとっても結局信者が増えたわけですから、ある意味、彼らの目標をひとつクリアできた、とも言えます。

「楽器を守る」観点からルールが作られている日本とは違って驚いたことを記憶しています。

ルールには不自由さを伴うのも事実ですが、何のためにそのルールがあり、その「何のため」の意味を見失わないためにも、一律に「ルールだからダメです」と思考停止するのではなく、緩やかに運用してみたり、変更やアップデートすることを厭わないことが必要だ、ということを英国の組織で学びました。

そうした試行錯誤や思考実験を経ないと、ルールはみんなにとって快適でなくなり、洗練もされないのです。

この展覧会、11月28日までなので、もしコロナがそれまでに落ち着いているようであれば、ぜひ訪れていただきたいです。

それこそ法令などのルールのつくられ方から、群れを生むルール、死後の個人データ保護や肖像権に関するルール(まだ存在しないそうですが)、来場者同士で意見を交換してルールをつくる、など社会を構成するルールづくりを体験できます。


紹介したい展示がいくつもありますが、今回は「ルールがつくる文化」を少しだけ紹介します。

事例のひとつである真鶴町まちづくり条例「美の基準」は、まちづくりにおける「美」について8つの原則を立て、町、町民、町を訪れる人々、それぞれに参加を促すルールで、1993年の制定から真鶴町の風景を生み出す導線となっているそうです。

例えばキーワード「小さな人だまり」では前提条件として

日常生活の中で人はいつでも小さなたまりを作って立ち話をはじめる。
これら町の噂、自慢等の世間話は大変楽しいものである。

に対して、解決法は

人が立ち話を何時間でもできるような、交通に妨げられない小さな人だまりをつくること。
背後が囲まれていたり、真ん中に何が寄りつくものがある様につくること

とあります。

そういえば近所で立ち話なんて、ここしばらく自分もしたことがないし、している人を見たことがありません。

でもこのようなコミュニティにいる「人間」のための「生活が楽しくなる」ルールづくりは思わず参加したくなるし、ルールをポジティブに捉えられるように思います。

最近コロナで様々なルールや制約が生まれ、ともすれば自分自身が押しつぶされそうになる中、逆に「コロナ禍で生活を楽しむためのルール作り」を仲間と考えてみるのも良いかもしれません。

この「美の基準」をまとめたのは1990年から2004年まで真鶴町長を務めた三木邦之さん。

娘である三木葉苗さんとの対談では沢山の珠玉の言葉を見つけることができます。


葉苗さん:
『美の基準』は、決して“雰囲気のいいまちづくり”の話ではないし、“景観条例”でもない。
これは政治の話だなって。みんなが真剣に、町の姿を考えていくこと。
それはどんな町にも、必要な姿勢だと思うんです。

「考える。暮らし、雛形」より


「本質」を考えるために「ルール」はある。
なぜこのルールは必要なのか?
本質はどこにあるのか? 
そのためのルールとは何か?

そう考えると自分の生き方や、他者や社会との向き合い方にまで考えが及んできます。

つまり「xxのルールづくり」とは「xxの姿を真剣に考えること」、「自分のルールづくり」は「自分のことを真剣に考える」所作でもあるのですね。

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