COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.18

アーティスト・イン・レジデンスは

新たなジェントリフィケーションとなるか?

(プログラム・コーディネーター 佐野直哉)

ちょっとセンセーショナルなタイトルで始めましたが、ポジティブな意味を込めていることを予め断っておきます。

在宅リモートワーク中は仕事をしながらラジオをつけていることが多いのですが、東京・天王洲の寺田倉庫で開催されている「バンクシーって誰?」展をしきりに宣伝していたので、早速行ってきました。

展覧会の内容に関しては、すでに様々な媒体で紹介やコメントを読むことができると思うので、そちらに譲るとして、

私がそもそも興味を持ったキーワードは「天王洲」「寺田倉庫」でした。

それこそ20年前に天王洲にある T.Y.Harbor Brewery(1997年にオープン)というレストランに足繁く通っていました。

ここは94年の酒税法改正によって日本で地ビールが解禁となったことから、当時珍しかったクラフトビールを都内で醸造所を併設して出すレストランでした。

日本向けのローカライズされたところはほとんどなく、完全に欧米のお客様をターゲットにしたメニュー、サービス、接客に、当時英国留学から戻って間もなかった私は懐かしく思い、外国人の友人たちと共に機会があると訪れたものです。 お客様もほとんどが外国人でした。

そもそも天王洲という地は、戦後、寺田倉庫の創始者が土地を購入して倉庫を始め、さらに80年代後半からウォーターフロント開発の先駆的存在として、倉庫街から徐々にモダンなオフィスやスタジオに生まれ変わり、その流れにT.Y.Harbor Breweryも位置づけられます。

現在、近くにはテレビ東京のスタジオや外国語放送を含むラジオ局InterFMなどがあります。


次に私が天王洲が関わるのは、英国のレジェンドミュージシャンであるデイビッド・ボウイの「DAVID BOWIE is」大回顧展でした。

この展覧会は2017年に今回と同じ寺田倉庫で開催されたのですが、前職が英国に関連した仕事だったため、後援等で準備のお手伝いをしました。

寺田倉庫で行われるアート系イベントには、既存のいわゆる美術館で開催される本流的なところから少し外れた、独特のカッティング・エッジさを感じていました。

天王洲に集積されている「倉庫」に加わる、そうしたちょっとやんちゃで先駆的な文化の香り、そしてインターナショナルな「食」が惹きつける多国籍で多層的な人々が独特の街のカラーを形づくっています。

そこで「ジェントリフィケーション」 です。

この言葉はご存知の方も多いかと思いますが、「都市の富裕化現象」「都市の高級化」を意味します。

この言葉は1964年に英国の社会学者のルース・グラスが初めて使ったものですが、もともとは居住者の階層という概念ではなく、所得の向上に比例して地域の建物が新しくなったり不動産価値が上がったりするケースを示す言葉として使われていました。

この言葉が「都市再開発」や「都市再生」といった用語と大きく違うのは、この言葉に低所得層が立ち退きさせられることへの批判性が含まれている点です。

英国で生まれたジェントリフィケーションはフランス、アメリカ、日本でも同様の現象が確認されています。(詳しくは こちらこちら のサイトを参考にして欲しいのですが、)

天王洲に関しては、ジェントリフィケーションが当てはまるとは言えないでしょう。
そもそも倉庫街でしたし、低所得者層が立ち退かなければならないほど地価が上がった、という話は聞きません。

ただ天王洲のケースがユニークだと思うのは、開発に関わる主体が価値の向上にアートや飲食などの「文化・芸術」の存在を最初から強く意識していた点です。

都市における芸術家の集住地区と、その地区の空間変動をテーマに研究している笹島秀晃によると、


1970年代以降、欧米主要都市では芸術家街の形成を契機として商業画廊や飲食店が流入し、
最終的に当該地区の人口・建築物・地価が刷新される事例が増加した。
例えば、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区 パリのマレ地区
ベルリンのクロイツベルク地区 ニューヨークの SoHo地区である。

(中略)
近年のアート・イン・レジデンスの広がりの中で 地方都市や農村において
「芸術家村」と名付けられたレジデンス施設はいくつか見受けられる(例えば小豆島芸術家村など)。

(中略)
しかし、現代日本の都心部において、欧米や他のアジアの都市で見られるような
空間的に観察可能な芸術家街の存在はあまり明確ではないように思われる。


と論じ、2000年代に入ってからの大阪市の 「北加賀谷クリエイティブ構想」(北加賀谷)、「此花アーツファーム構想」(此花)プロジェクトの、空き家になった工場跡や倉庫に芸術家が入居し制作・展示活動を行っている例をあげ以下のように指摘しています。


(この)二つの地区の形成は、政岡土地や千島土地といった所有・不動産会社が
未利用の不動産を有効活用するために芸術家に貸し出したことがきっかけとされる。
この意味では欧米諸都市における自然発生的な芸術家街の形成プロセスとは異なるかもしれない。

笹島秀晃. 都市と文化の社会学に向けて: 芸術家とジェントリフィケーションに関する近年の研究動向からの視座
(市大文学部と「都市文化研究」再考(大阪市立大学文学部創設60周年記念学術シンポジウム)).
都市文化研究=Studies in urban cultures, 2015, 17: 97-102.


私自身、英国留学で暮らしていた街は、ロンドン市内のまさに低所得者層が暮らす地区で、多くのアーティストを志す学生が住んでいました。

ところが卒業して20年ぶりに仕事で訪れたその街は大きく変貌し、まさにジェントリフィケーションそのものを証明するような、おしゃれで明るい地区(高級、ではなく個性溢れる、という表現の方がしっくりきます)に生まれ変わっていました。

これは実は2012年のロンドンオリンピックの開発の影響も多分にあるのですが、この話は別の機会にしたいと思います。

ただ天王洲の例や、最近では大分県の別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」の「わくわく混浴アパートメント」の会場として使用されたことから始まった「清島アパート」などの事例が出てきて、日本ではまた違った意味や感覚の(つまりは低所得者層の立ち退きへの批判性などを含まず、経済的なものに限らない豊かさが生まれる)新たなタイプのジェントリフィケーションが文化芸術や芸術家の集積によって起こる可能性がある気がしています。

しかもこれまでジェントリフィケーションは都市部で起こるものでしたが、必ずしもそうでない事例として、例えば定住、というよりも2拠点生活の1つの拠点として、という新たなライフスタイルが都市部だけでない地域にもそうした影響を及ぼすかもしれません。

全国で盛んになりつつあるアーティスト・イン・レジデンス(アーツカウンシルしずおかの採択団体では原泉アートデイズなどが実施しています)や、アーツカウンシルしずおかで今取り組んでいるマイクロ・アート・ワーケーションがその先鞭をつけるかもしれませんね。

もちろんまだこれらの動きは種を蒔いている段階なので、花開くのは、私がロンドンでかつて住んでいた場所のように10年、20年後かもしれません。

でも今から「夢のある」ジェントリフィケーションが起こることを願わずにはいられません。

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