文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく
vol.23
偶有性の海に飛び込め!
(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)
脳科学者の言葉
「偶有性の海に飛び込め!」
脳科学者・茂木健一郎さんがよく発する言葉だ。
「偶有性」とは、半ば規則的で半ば偶然の出来事を表現する言葉で、ある程度は予想できるが予想できない部分もあることを指している。
この「偶有性」という言葉は「偶然性」とは異なっている。
街を歩いていて友人に会ったり、運転している車の走行距離メーターの数字が規則正しく並ぶことを発見したりするのは偶然性だけれど、街を歩いていて友人に会ったり、運転している車の走行距離メーターの数字が規則正しく並ぶことを発見したりする「可能性があること」は、「偶有性」によるものだ。
言い換えれば、偶有性は「可能性の扉」ということができるだろう。
ペンキの飛び散る現場で
そんな偶有性の場を目にしたのは、10月23日(土)に沼津港で開催されたイベントでの出来事だ。
この日は沼津港外港の矢板を使って、任意団体「こころのまま」による「心のままアートプロジェクト」が行われた。
母体になっているのは、障害のある子どもの母親たちが設立した任意団体「障害者のしごとを考える母の会」であり、会場には「色員(いろいん)さん」と呼ばれる障害のある子どもたちだけでなく、地元の美術部に所属する高校生やアーティストなど多様な人たちが集っていた。
この季節にしては珍しく雲ひとつないような晴天のもと、会場に到着すると色員さんや高校生たちが着ていた真っ白なTシャツは、色とりどりの手形で染められていた。
午前中の間に、それぞれがペンキをつけあったようで、既に和気あいあいとしたムードが漂っている。
開会式のあと、幅30メートルもの矢板に向かって色員さんたちが思い思いにペンキ入り水風船を投げ始めたのだけれど、これが実に楽しい光景だった。
ストレスを発散するように力強くペンキ入りの水風船を爆発させる人もいれば、力が弱くて割れない人もいる。
当日は、NHKの撮影班も取材に入っていたけれど、何しろペンキ入りの水風船は、どこに飛んでくるのかいつ爆発するのか分からない。
新参者の僕たちはビクビクしていて、それが妙に面白かった。
もちろん、普段描く画用紙なんて比にならないくらい大きな壁に挑む色員さんたちの姿は、みんな生き生きしていた。
しばらくすると「この範囲の内側に描いてね」とマスキングテープで印をした外側に平気で描いていく子どもたちもいた。
でも、誰もそれを制止する人なんていない。
とにかく、あの場にいた誰もが全てを肯定していたのだ。
障害のある人たちの表現活動に20年以上携わってきた僕にとっても、こんなにも幸福な場は初めてだった。
障害のある人たちの共同制作の現場では、通常「アーティスト」と呼ばれる人たちが作品をまとめ上げてしまうことが多いのだけれど、今回参加したアーティストのSHOGENさんは、決して前に出ることはなく、サポート役に徹していたのが印象的だった。
自由の象徴
とくに「めいちゃん」と呼ばれていた女の子の姿は、うらやましささえ覚えた。
途中で制作に飽きてくると、今度はオンラインで福祉施設と繋いでいた携帯電話に夢中になって、顔を近づけては「お〜い」と呼びかけている。
なんとか描いてもらおうと誘いに来た高校生も、彼女のことを瞬時に理解していて、強制的に連れ戻すようなことはしなかったから、その様子に思わず感心してしまった。
最後に集合写真を撮影したときも、彼女はみんなの前を楽しげに横切っていて、誰もがそれを当然のこととして許容していた。
障害のある人を中心とした世界がそこには確かに生まれていて、それは同時に「こころのまま」が団体としても目指す姿勢を体現したものになっていたはずだ。
沼津港の協力を得ることやペンキ等の材料を企業から寄贈してもらうこと、そして協賛金集めなど、企画の実現に至るまでには苦難の連続だったことは容易に推測される。
でも、どうなるか分からないけれど、偶有性の海に飛び込んだことで、この日の開催を迎えることができた。
そして、この矢板に描かれた絵画は、恐らく半年後には外壁工事が始まるため、消失してしまうそうだ。
あの場にいた人しか経験できなかったことや見ることが出来なかった景色が、僕らの胸には刻まれている。
四方八方に飛び散った絵の具のように、予測できない物ごとの中にこそ面白さの種はある。
「失敗こそが面白い」という障害のある人たちの表現は、その可能性を大いに秘めているように思う。