引間城主飯尾連龍が謀殺されたのち、引間城を守り今川方と対峙したのは老臣江間安芸守泰賢と江間加賀守時成であった。時成は今川義元の死後、岡崎の家康との関係を進めたが、今川氏真の怒りをかい、結果的に主君の連龍を死に至らしめることになった。永禄11年(1568)一二月に家康が遠江に進攻するにいたり、武田信玄に通じたいと考えた従弟の泰賢に殺害された。その際、泰賢も時成の家臣に殺され、引間城を守る有力家臣は失われた。
遠江を平定した徳川家康は、元亀元年(1570)に岡崎から浜松に移り、引間城から浜松城と改称した。時成の墓は、中区上島七丁目の白華寺にあり、墓石には「江間加賀守平時成之墓」、側面には「永禄十一戊辰年十二月十五日於遠州曳馬城討死」とある。近くには、江間殿松と呼ばれる松がある。
はままつ石塔めぐりより
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