俳人吉田明枝は修善寺をこよなく愛した吉田絃二郎(1886~1956)の妻。
昭和12年夏に明枝を亡くした絃二郎が建碑した。
夜や秋や さびしき風の おとづれや
滞在した菊屋の裏山(鹿山)は二人でよく散策した場所であり、二人が永く眠ることになった場所である。
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ふじのくに
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吉田明枝の句碑(鹿山)
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