気賀の地は、領主であった今川義元が桶狭間の戦いで戦死した後、永禄12年(1569年)に徳川家康の侵攻をうけました。その際、地元住民は堀川城に立てこもり抵抗しましたが、みるまに落城し、多くの人々が犠牲になったといわれています。残った人々も徹底的に捕えられたのちに首を打たれ、その首をさらしたと伝えられる場所が獄門畷(ごくもんなわて)です。
なお、この場所から600メートルほど南には、住民が立てこもったという堀川城跡があります。
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ふじのくに
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獄門畷(ごくもんなわて)
所在地 | 静岡県浜松市北区細江町気賀 |
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問い合わせ先 | 浜松市役所 文化財課 053-457-2466 |
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