文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。
いっぷく
vol.22
万年橋パークビルの「貸事務所展」
(プログラム・ディレクター 鈴木一郎太)
先月29日まで10日間だけ開催されていた「貸事務所展」に行ってきました。
「貸事務所展」 会期:2021年10月19日(火)~29日(金) ※終了しています 会場:万年橋パークビル(静岡県浜松市中区田町327-14) 6F 事務所(13:00~18:30) 1F 黒板とキッチン(11:30~18:30) 万年橋6階 Twitter https://twitter.com/m_6thfloor 万年橋6階 Instagram https://www.instagram.com/m_6th_floor/ |
活動の受け皿となる駐車場
演劇と能がコラボした公演 | 月見の会と称した音楽会 | 劇団の稽古 | 月いちのバーベキュー | 手作り品市 |
自転車のスロープ登坂タイムトライアルレース | ある会社のバーベキュー大会 | 関西から誘致されたデザインイベント | 囲炉裏の移築プロジェクト | 朝日新聞の一面に連載を持つ方の講演会 |
学会のスピンオフ・トークイベント | イタリア人作家のワークショップ | 囲炉裏を囲んだ鍋の会 | 泊りがけの防災イベント | 人気過ぎてお昼前に完売するマルシェ |
カレーとインド食器即売会 | ヨガ教室 | 自転車初乗り練習会 | 堺包丁職人のワークショップ | 三味線コンサート |
雑貨屋主催の市 | 建具の展覧会 | 木の遊具とワークショップ | スケボーと音楽のイベント | 盆踊りの練習会やオリジナル踊りづくりのワークショップ |
高校生による制服リメイクの展示 | 単位制高校の文化祭 | 近隣店舗のリノベーション什器制作 | 演劇公演 | 展覧会 |
これらは9階建て立体駐車場の1.5フロア分の駐車スペースで過去10年ほどに実施された企画の一部ですが、ビルが主催していたものは月1回開かれるバーベキューのみというからさらに驚きです。その他にもビル内の事務所スペースや能舞台、コミュニティスペース等の室内を使ったものも含めたら、数えきれないほどの企画が民営化された元市営駐車場を舞台として実施されてきました。
「貸事務所展」
「貸事務所展」は、そんな立体駐車場の6階の事務所スペースと、1階のコミュニティスペースを会場として開催された展覧会でした。車社会である浜松において、街の入口としての役割だけでなく、来街者と街の接点が生まれる場所として運営されてきた駐車場ビルに、今年3月から前社長に場所を与えられ活動拠点としていた静岡文化芸術大学の学生たち有志が企画しました。
展覧会は、学生たちが作業場兼部室的に使用していた活動の足跡を表したパートと、駐車場ビルのこれまでの取り組みを紹介するパートにわかれていました。しかし、3月末から始まったばかりの拠点運用の経緯と、10年もの歴史がある駐車場ビルの文化的活用の両方をまとめあげるのには大変苦労したようでした。最終的に彼らはそのことを受け止め、来場者と丁寧に対話することに主眼を置くことにしたそうです。
人に口を開かせる文化事業
その結果、来場者からビルや当時社長であった鈴木基生さんについての話をたくさん聞くことになったそうです。事前のリサーチをはるかに越える大量の情報が集まった以上に、様々な人の思いが集まり、あらためて場所の力を実感したとのことでした。ネットワークや蓄積がある場所で物事を起こし、旧知の人たちの関心を集めることに成功すると、人の口が開き、いろいろな話が聞けることがあります。昔の写真を見ていると思い出話に花が咲く、みたいなことです。
余談になりますが、時々、文化事業の実施がリサーチ手段として機能することがあります。今回の展示はリサーチを目的としていたものではありませんが、たまたまリサーチ成果のように情報が集まりました。リサーチになるというのはひとつの例にすぎませんが、文化事業特有の性質をうまく活用して企画することが、文化芸術を地域振興につなげる鍵になります。
大学生の拠点運営
今年3月末からはじまった拠点運用は、ルールなしの状態で始まり、知り合いの知り合いくらいまでの学生が昼夜問わず自由に使っていました。ダンスや演劇の稽古、手芸、会議、作業場、映像作品の撮影といった部室的な利用をする一方、互いに紹介し合った映画を観たり、ゲームや飲み食い、課題をする等、たまり場でもあったようです。
そのうち、出入りする人の管理やごみの問題がでてきて、運用の仕組みづくりを議論し始めました。
その頃は“学部を越えた、学生たちのきっかきが生まれる場所”を想定していたとのことでしたが、まちの空きスペースに関心のある文化政策学部の学生たちと話をするようになったことがきっかけとなり、「ビルの中の空きスペース」という認識から、「まちの中の空きスペース」として、この部屋を意識するようになったと言います。 それにより、まちのことも加味した仕組みを考えるようになったとのことですが、彼らはやみくもに社会的な方向にシフトするという、よくありがちなことを選びませんでした。あくまで、やりたいことに主軸を置いた上で、社会性とバランスをとることにしたそうですが、そこには基生さんから「町や地域のことなんか考えず、自分たちの好きにやっていい」と言われていたことが後押しとなったようです。
「床や壁を塗ってもいいし、天井を抜いてもいい」
学生たちに場所を貸す際、「自由にしていい」と伝えたのと一緒に基生さんが例示したそうです。
これまでビルにはたくさんの企画が持ち込まれましたが、やりたいことをやらないこと、簡単に見通しが立つようなことや、安易に既存の枠組みに当てはめていくような取り組みを、基生さんは嫌っていました。「そうじゃないほうがおもしろいから」とご本人は言っていましたが、言葉を変えれば、イノベティブになって新しい物事が起こることを志向していたということでしょうし、駐車場ビルの中に整備されたさまざまな機能の全てが、コンテンツの提供ではなく、活動の受け皿であったことの理由もそこにあるのでしょう。
残念ながら一連の仕掛人である基生さんは今年7月に亡くなられてしまい、ビルの様々な機能も順次閉じられていくそうです。すばらしくクリエイティブなビル運営がなされていたので惜しまれますが、その稀有な活動から派生した人のつながりや、個々の人と街のつながりがつくった広がりは確実に各所で息づいていくものでしょう。 基生さんには個人的にも大変お世話になりました。「僕がやっても計画通りにしかならないけど、人にお願いすると予想もしないことになっておもしろい」と言い、とにかく人に任せる方でした。おもしろいことを定義づけてしまわず、わからないことをおもしろがるという基生さんの姿勢は常に心に留めていきたいと思います。