COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.34

会議をアートプロジェクトへ

(プログラム・ディレクター 北本麻理)

春の訪れを体全体で感じる暖かい日の午後、『アーツカウンシルしずおか 2021年度「文化芸術による地域振興プログラム成果報告会」』を、東静岡駅にあるグランシップ10階の会議室で行った。

「報告会」は、アーツカウンシルしずおかの支援のもと、県内各地で実施されたアートプロジェクトについて活動報告を行うものである。

参加者に配布した「成果報告会」の次第
  1. 活動報告
  2. ディスカッション
  3. ディスカッションでの気づきを発表

おおよそは、上記の3つの区分で「報告会」を行った。


1. 活動報告

スクリーンには画像を1枚のみ映しだし、スクリーンの前で約3分間、好きなように話してもらった。

威勢の良い音調に高揚したり、「語り」のような穏やかな声色に眠気を誘われたり、気になるキーワードを耳にして注意を傾ける人など、発表を聞く人たちもそれぞれに、また度々と変化していた。

「わたしは80歳です」

会場の集中力が一気に高まった瞬間だった。

とある発表者が、人前で話す緊張ゆえ言葉をうまく手繰ることができずにいる時、その緊張感が会場中に伝播した瞬間。

会場には見守る空気が漂った。

2. ディスカッション

3名のプログラム・ディレクターが担当する3つのグループに分かれて、グループディスカッションを行った。 グループは西部・中部・東部/伊豆のエリアで分けた。

私の担当する東部/伊豆グループでは、

・ 活動を行う上での課題や解決できた方法
・ 相談したいこと
・ 面白い人や物事などのエピソード

Etc…

などから選りすぐりの「伝えたいこと」を1つ選び、グループ内で共有してもらうことにした。

共有した後は好き好きに「伝えたいこと」について話し合ってもらい、そこから導き出した「気づき」を発表してもらうことにした。

「活動についてもっと知ってもらいたい」
「運営メンバーに、どこまで関係性のある人に入ってもらば良いのか悩む」
「運営メンバーが離れていった」
「表現とは、あらかじめどうなるか分からないことがある。まずはやってみる」
「言葉がなくてもだいたいわかる」`
「空っぽから出発する!うまくいかなくてもいい」

などなどの「伝えたいこと」が共有された。

3. ディスカッションでの気づきを発表

3グループそれぞれの代表が発表を行い、その後にゲストコメンテーターのコメントを発表した。

・ 活動を周知するには
・ 支援者を増やすには
・ 理解や共感を得るには

おおよそ、上記をテーマとした内容が示された。

そのような発表を経て、耳にした印象的な言葉は「孤独」。

地域で行われる事業は、一見賑やかで華々しく、周囲からも注目されているように思える。 しかしながら、その中心にいる人たちは「孤独」であると言う。

その「孤独」とは、一体どのようなものなのだろうか。

「孤独」の対義語を辞書で調べると、「集団、群衆、賑やか、、」といった言葉が並べられる。 事業で行うイベント性の高いものの状態と、それを運営し支える人の状態とが対極にあるという訳だ。


「文化芸術による地域振興プログラム」では、

まちづくりや観光、国際交流、福祉、教育、産業など社会の幅広い分野の多様な担い手が「住民プロデューサー」として行う創造的なプログラムで、以下の要件を満たすものを募集します。
※住民プロデューサーとは、地域に根ざしたアートプロジェクトを統括する人や団体を指します。

•まちづくりや観光、国際交流、福祉、教育及び産業などの様々な分野と文化芸術が協働する取組であること
•地域住民・団体等との協働の事業であること
•地域資源や社会課題についての新たな見方を提示するなど、地域の魅力の向上や、社会課題に対して創造的な対応を目指す取組であること(特に、高齢社会に対応したプログラム等)
•協働する分野等への波及効果が期待される取組であること
•先駆的な取組で、将来的なビジョンがあること

を対象としている。

敢えてひとことで言い表せば、先駆的で、地域資源や課題に創造的に対応し、文化芸術と文化芸術以外の分野と協働した事業である。 それを企画したりリードしていくのが、住民プロデューサーだ。 まずは誰かに知って欲しいこと、伝えたいことを、そして、ゆくゆくは一緒に考えてみたいことを、地域で創造的に表現する方法の一つが、アートプロジェクトである。

けれどもその知って欲しいことや一緒に考えてみたいことは、これまでの社会では見過ごされてきたことや、あるいは気づくこともなかったものごとだったりする。 アーティストがそのものごとに、時に高い関心を示し行動する人なのだとすれば、住民プロデューサーやプロデューサーとともに働く人たちも同様だ。

先の「孤独」との関係でいえば、集団や群衆という人々の集まりに存在する関心事と、この報告会に集まる人々との関心事が違うのだろうと推察するし、だから先駆的で創造的だとも言える。

発表に使用された画像の2/3は、集合写真のような、プロデューサーとともに働く人たちの姿が映し出されていた。 ここに集う人たちの2/3が「人」を見ている。 活動発表での注目や見守る雰囲気も、「人」に対する行為である。

アートプロジェクトが見ているのは「人」なのではないだろうか。 目の前に存在する「人」、あるいはまだ出会ってない「人」。 そのような「他者への眼差し」を、確認することができた「会議」であった。

「他者への眼差し」を持つ人が「孤独」であるというちぐはぐな状態を、どこかで経験している「人」がいると想えるのが、ネットワークの良さではないだろうか。


報告会予定日の1ヶ月前、「報告会をアートプロジェクトに」という話を受けた。 実はすでに報告会の内容は想定していたが、それはアートプロジェクトではなかった。 なので、その急な話も、ありがたく受け止めることにして、せっせと「アートプロジェクト化計画」を思索した。

「会議」において、見過ごされてきたこと、気づくこともなかったものごとは何か。「伝える」を「伝わる」に変えていくにはどうしたらよいか。 住民プロデューサーの持ち味や主体性を活かしながら、互いに知り合うとはどういうことか。

ここでの気づきを、今後に生かしたいと思う。

ページの先頭へ