COLUMN

いっぷく

文化やアートをめぐるさまざまなこと。
アーツカウンシルしずおかの目線で切り取って、お届けします。

vol.38

歓待の場としての「原泉」

(チーフプログラム・ディレクター 櫛野展正)

原泉アートプロジェクト」は、静岡県掛川市北部に位置する中山間地域である人口500名弱が暮らす原泉地区を舞台に、さまざまなアートプロジェクトを展開している。

柱となるのは、国内外からアーティストが一定期間滞在し、リサーチ活動や作品制作を行う「アーティスト・イン・レジデンス」(以下、AIR)で、その発表の場となっているのが、「原泉アートデイズ!」という地域の空き寺や旧茶工場、空き家、空き施設などで行われる現代アートの展覧会だ。

2018年から開催して今年で5回目を迎えるが、今年度はさらに広がりを見せたものとなっている。


特徴的なのは、AIRを展覧会のための準備期間として位置付けているのではなく、地域の中で通年にわたってAIRを展開する企てにある。

それゆえに事業名も「原泉におけるアーティスト・イン・レジデンスの取り組みとその実践による地域振興事業」といささか長いタイトルになっている。

今年は、初回より展覧会場として使用されていた旧茶工場を、AIRだけではなくアートストアやギャラリー、ライブラリー機能なども兼ね備えた「アートセンター」として整備していくようだ。

書庫には、かつて使われていた「茶箱」を利用予定

アトリエだけでなくギャラリーとしても併用することで、これまでAIRでは紹介することが難しかった県内在住のアーティストを紹介することも可能にしている。

ちょうど僕が訪れた日は、多くのサポーターらと一緒にペンキを塗り直した後で、ペンキが塗りたての真っ白なその空間に、否が応でも期待感が高まってしまう。


常に場をひらく」こと。

これが原泉アートプロジェクトの新たな挑戦だ。

旧茶工場でペンキを塗ったり、AIRのアーティストが作品制作をしたりしていると、地域の人が様子を伺いに来てくれる。

海外のAIRアーティストと打ち合わせをしていたときには、子どもと一緒に柴犬も迷い込んできたというから、まさに来るもの拒まずの環境が生まれようとしている。

都築透『obscure self portrait』より「うろ覚えの肖像」(HARAIZUMI ART CAMPの展示より)
尿素の結晶化現象を利用して、肖像写真のイメージをぼかすことで「忘却」を表現

ここで思い出すのは、カントが『永遠平和のために』の第三確定条項において,他国の土地に足を踏み入れた外国人が,その土地で敵意をもって扱われないようにするための「歓待の権利」を掲げたことだ。

この歓待をデリダは批判的に継承し、「無条件の歓待」という概念を提示している。

「招かれた客ではなく、訪れる者を歓迎する」というデリダの思想は、ひとつの共同体にさまざまな波紋をもたらす危険性を孕んでいる。

ここでいう「訪れる者」とは、原泉アートプロジェクトにとっては、間違いなくアーティストの存在だろう。

異邦人であるアーティストは、ある共同体にとっては薬にも毒にもなり得る可能性を秘めている。

しかし、場を開かなければ、こうした侵入者を迎え入れることさえできない。

『鶴の恩返し』や『笠地蔵』などのおとぎ話にも象徴されているように、「鶴」や「地蔵」といった境界を超越する者を受け入れない限り、僕らが「美しい反物」や「ごちそう」を得ることはできないのだ。


もちろん、原泉アートプロジェクトの挑戦は、旧茶工場だけに限った話ではない。

木下琢朗『ユクチセ』(HARAIZUMI ART CAMPの展示より)
『ユクチセ』とはアイヌ語で「鹿のたくさんいる場所」を意味し、展示会場を鹿と人の「共存」、そして「まつり」の場とした

近隣のキャンプ場内の有休施設を利活用した「HARAIZUMI ART CAMP」や中国や米国をはじめとした諸外国のアーティストとの国際交流プログラムなど、地域や海外など、あらゆる場を開いていくことで、緩やかな共同体としてのつながりを生み出そうとしている。

アーティストの滞在が、今年はこの地にどんな変化を見せてくれるのか。

5年目の変化を共に見届けていきたいと思う。

https://haraizumiart.com/

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