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ふじのくに
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橘逸勢の供養塔

橘逸勢(たちばなのはやなり)は平安時代初期の役人で、嵯峨天皇、弘法(こうぼう)大師とならび日本三筆の一人といわれています。特に隷書(れいしょ)と呼ばれる古い書体を得意としていたようです。
逸勢は、貞元20年(804年)空海と最澄とともに唐へ渡り、その帰国後、朝廷の世継争いである承和の変に係わったとして捕えられました。そして伊豆国への島流しの刑を受けましたが、その途中の月見里で病死したと伝えられています。
亡骸は、逸勢の娘がこの地に葬り、墓前に庵を結んで墓を守ったといわれています。(現地案内板参照)

所在地 静岡県袋井市上山梨
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