CULTURAL RESOURCE DATABASE

ふじのくに
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焼津の防潮施設

焼津の海岸は大粒の砂利浜で、江戸時代後期以前から高潮(たかしお)による被害を受けてきました。
波除け(なみよけ)の堤防はありましたが、暴風雨のたびにさらわれ、民家や船の被害は大きかったといわれます。特に明治31年(1898年)の暴風雨の被害は大きく、静岡市などへの移住の話が出るほどでした。
そこで立ち上がったのが、山口平右衛門を中心とする堤防委員会で、永久的な石堤防の建設を県に働きかけて、明治32年(1899年)石造りの大防潮堤の建設が始まりました。高さ7から8メートル、上部の幅3.5メートルの堤防が段階的に造られて、明治40年(1907年)には新屋から鰯ヶ島まで総延長1,048メートルの石造り防潮堤が完成しました。これによって焼津の町と人々がほぼ完全に守られることになり、平成12年(2000年)には、さらに海側に造られた新堤防に役割を譲り撤去されますが、明治石造り防潮堤の存在を後世に伝えるために、使用石材を用いた記念碑に姿を変えて残されています。

所在地 静岡県焼津市鰯ヶ島
問い合わせ先 054-629-6847(焼津市歴史民俗資料館)
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