CULTURAL RESOURCE DATABASE

ふじのくに
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増田平四郎翁の碑

水害に悩まされてきた原村を救おうと、明治時代、浮島沼の大干拓を手がけた『増田平四郎(ますだへいしろう)』の碑です。
増田平四郎は、飢饉や水害に悩む住民の救済を決意し、浮島沼の干拓を計画しますが、江戸幕府からの許可が出ず、また地元の賛同も得られませんでした。そのため、計画の立案から許可が出て工事に着工するまでなんと27年もの月日がかかりました。工事は海から浮島沼にかけて全長約505メートル幅約7メートルにも及ぶ大規模な掘りを築くもので、2年後の明治2年(1869)春、ついに大排水路を完成させます。人々はこれを『スイホシ(水干)』と呼んで平四郎に感謝しますが、その年の8月、高波の被害により無情にも排水路は崩壊、約30年に及ぶ平四郎の夢も露と消えてしまいました。さぞかし無念だったと思いますが、平四郎の計画は後に同じ場所にできた昭和放水路に生かされました。
昭和放水路を見守るように、放水路の西側にその碑は立っています。

所在地 静岡県富士市沼田新田
問い合わせ先 富士山観光交流ビューロー TEL 0545-64-3776
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